指先に触れるもの 10

 やはりどこか彼女からは特別な印象を受ける。それがなにに起因する感覚であるのかはわからないが、目を離してはいけない、そんな思いが泰之の中で一つの形になった。
「どうしても行きたい場所って? 良かったら俺、付き合いますよ。レンタカー借りてるんで、明日と明後日の昼ぐらいまでなら時間あるし」
 その形を確かめるように、探るような言葉を投げれば幸恵は驚いた顔で真っ直ぐに彼の目を見詰め返す。時の流れが緩やかになったような印象がテーブルに降り、泰之は彼女の目に吸い込まれそうになった。
 その時間を動かしたのはどちらの氷の音か。結露したグラスの中で氷が踊った。再び流れはじめた時間の中で、泰之は無意識に詰めていた息をそっと吐き出す。幸恵に捕まってしまいそうになっていた自分を自覚した。
「そう、ですか? では、お願いしてもよろしいでしょうか」
 泰之の申し出に目を細め、幸恵は儚い笑みを浮かべる。それにはっきりと頷き返し、彼はなんでもないことのように笑ってみせた。
「勿論、堀本さんさえ良ければ」
「ありがとうございます」
 幸恵の答えを聞きながら食事を再開した泰之は、それから程なく全ての皿を空にしたのだった。

   11

 泰之の食事が終わってすぐ、スタッフが泰之の皿を下げに来たのをきっかけに二人は席を立った。
 いつの間にか時計の針は十一時を回っている。泰之のルームキーでキャッシュレスの清算を済ませ、二人は連れ立ってエレベーターホールへと向かった。
「堀本さんの行きたい場所って、どこですか?」
 部屋に戻る前に聞いておこうと問いを投げながら、泰之は横目に幸恵の表情を窺う。僅かに視線を伏せた彼女は、逡巡するような間を置いてゆっくりと視線を彼に向けた。
「太平洋戦争の史跡に、行きたいのですが……」
「え………?」
 幸恵の言葉に泰之は戸惑いと困惑の混じった視線を返す。彼の反応をどう解釈したのか、彼女は申し訳なさそうに再び視線を伏せた。
「太平洋戦争の、史跡……ですか?」
 確認するようなその言葉に、彼女は申し訳なさそうに視線を伏せたまま小さく頷く。泰之の脳裏に、再びあの夢がはっきりと浮かんだ。あの夢の舞台になった時代は、場所はどこであったか。幸恵の指定した、まさにその場所ではないのか。泰之を言い知れない恐怖が包み、全身に鳥肌が立った。
 薄い緊張を含んだ沈黙が二人の上に降り、自然と足が止まる。エレベーターホールはすぐそこだ。
 彼はなんとか沈黙を破ろうと言葉を探すが、恐怖から空回りする思考では言葉など見付かるはずもない。降り続ける沈黙は重さを増し、焦りは恐怖と絡み合い膨らんでいくばかりだ。足が竦み、靴底に感じる床が曖昧になっていく。
 不意にその沈黙を破ったのは、幸恵だった。止めていた足を再びゆっくりと動かし、エレベーターの前まで行くと上昇のボタンを押し泰之を振り返る。
「すみません。つまらないですよね? 観光スポットになっていると聞いたことがあったので、行ってみたかったのですが………。ご迷惑でしたら断ってくださって構いませんから」
 儚く笑みを漏らし、幸恵は身動きできずにいる泰之に深く頭を下げた。その姿にぎこちないながらも再び足を動かすことのできた泰之は、彼女の前に立ち無理矢理笑みを作る。
「そんなこと、しないで下さい。びっくりしただけですから。まさか堀本さんがそういうものに興味あるなんて思わなくて。それに……、俺も行くつもりの場所なんです。だからその、一緒に行きましょう?」
 泰之の言葉にゆっくりと顔を上げた幸恵は、今にもそのまま消えてしまいそうな儚い笑みを浮かべ、頷いた。その目が薄らと濡れているように見えるのは泰之の気の所為だろうか。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
 泰之が答えたところで、エレベーターが一階に到着した。ゆっくりと開いたドアを確認するように目で追い、泰之は幸恵を促してエレベーターに乗る。開いた時同様、ゆっくりと閉まるドアを確認しながらそれぞれ降りる階のボタンを押した。

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