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尉繚子講釈の概要説明

皆さまこんばんは、軍師の弓削彼方です。
尉繚子講釈の準備が整いましたので、次回から講釈を進めていきます。
今回は講釈の進め方の説明です。

尉繚子講釈も三略講釈と同じく、原文は載せずに現代語訳を中心にして講釈を進めます。
その上で、一番伝えたい要点と簡単な解説を付けるようにします。
先の三略講釈と同じ形になるので、今までの講釈を読んで下さった方には慣れ親しんだ記事になります。

有名な他の兵法書とは違って尉繚子は馴染みが薄いと思いますので、簡単に紹介しておきましょう。
尉繚子の「子」は、孫子や呉子と同じく「先生」と言う感じの敬称です。
ですので著者は尉繚と言う人物になります。
「多分この人だろう」言う候補が二人存在していますが、現在でもどちらの尉繚が著者かは確定していません。
ただし尉繚子の原本となるものが出土しているので、後世の人が尉繚の名を借りて書いたものではないと言う所までは分かっています。
これは太公望の名を借りて書かれた、六韜や三略との大きな違いです。

肝心の内容ですが、法制度の確立と信賞必罰と言う考え方に重きを置いている内容となっています。
法律で国内を整え、規則で軍隊の規律を維持し、それの裏付けとして信賞必罰の方針を維持する。
そうすれば軍隊は強くなって他国の侵略を受けず、国内は治まって国力が高まるので自然と強国になると言う考え方が大筋にあります。
また占いや迷信と言ったものは徹底的に否定し、何事も人事(人が行った行為)の結果であると主張しています。
そのような考え方が根本にあるので、戦術に関する話では訓練の必要性や武器や防具の準備など、「やるべきことをしっかりやる」と言う話が多くなっています。

尉繚子は一節毎の文章が長めな場合が多いので、前回の三略講釈に比べて一つ一つの記事の文章量が自然と多くなります。
文章量が多くなると読みにくくなる懸念もありますが、そこは初心者の方でも理解しやすい記事になるよう、工夫をして記事を書いていきます。
尉繚子講釈は九十回前後で一通りの講釈を終える予定で、概ね二年ほどかかる見込みです。
少し長い期間になりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

以上が尉繚子講釈の概要となります。
それではまた、次回お会い致しましょう。



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