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「Road to K2」上映会@宮古島 パニパニシネマ

冬ですね。年末すこし時間もとれるかも、とパニパニシネマの予定表を見ると、写真家の石川直樹さんの上映会とトークショーがある模様。予定表に入れておいたところ、石川さんのイベントがあるよ!とお知らせなどももらい、楽しみ度もマシマシで、風の冷たい冬の夕方、パニパニシネマへ行ってきました。

写真家、石川直樹さんは、23歳までに7大陸の最高峰に登って、そのあともうあちこち世界を旅しながら写真家の道に入っていくのですが、とくにネパールとチベットの国境や、パキスタンと中国の国境にあるヒマラヤ・カラコルム山脈地帯には幾度となく訪れて、人生とともにある場所のようでした。

新型コロナウイルスがおさまりつつあって、海外へも足を伸ばせるようになった2022年、体力を考えると、体に無理をしながら山を登れるのもあと5年か10年かという思いもあって、山三昧の年だったそう。話を聞いていると「なぜそんなに山に」というのが、平たい島に住むひとりとしての感想でしたが、もし「なぜ山羊を可愛がるのか?」と聞かれれば「そこに山羊がいるから」と答えるに決まっているじゃないと言い聞かせて、短編映像を観ていました。

しかし、山に登る理由について映像の合間のトークで石川直樹さんが言うには、挑む何日も前から体調を整え始めるのだそうです。最近は東京にも、高山の環境に似た低酸素の空間でトレーニングができる施設もできてきているという話でしたが、それがなければ山に登る前に、標高の高い山麓の町で何日か過ごして、体を慣らしていくという話でした。
食事や体の調整をして、いよいよ山を目指す。シェルパの民にとって神聖な山に入る前の祈りに立ち会い、いざ登山となると、大自然は時に時に美しく、時に過酷に覆いかぶさってくる。帰ってくるときには放心して、空っぽになっておりてくる。体重も大きく落ちてしまう。
登山に向かう数週間のうちに、体の細胞が入れ替わってゆくような感覚になるのだと言います。

行きて帰りし物語。月を冠にした山の尾は、死の象徴にも感じられます。命のいける果てに行き、ふれて帰ってくるいきさつは、生まれ変わりの物語なのかもしれません。

上映された映像の最後は、難峰ブロードピークの凛と険しい山峰が蒼天の空に映える光景です。それまで「厳しい」「大変そう」「命を寄せ付けなさそう」と無情な横顔を見せる山の姿が、この時は静かに、また輝くようにそびえたっているのでした。
パニパニシネマで観たアバター2の「海はあなたの外にあり、あなたの中にもある」というようなセリフが思い出されます。キャメロン監督の愛する海に対する思いが、石川直樹さんのレンズを通した山の姿に重なるのです。

山は命の行き着くところであり、また始まるところでもある。山は、地球そのものでもあり、またあなた自身でもある。山に向かっていくとき、実は自分自身の内へ内へと向かっていくような、そんな気さえするのでした。

平たい島で、いったいどうすれば生きて帰りし物語を味わうことができるのでしょう。台風の時に高台の畑にでも行ってみようかと思っているうちに上映会は終わってしまいました。たぶんスキューバダイビングとかするのが良いですね。

ぼぼ日さんでの、石川直樹さんのインタビュー記事。
鈴木理策さんのこと、森山大道さんのこと。写真家としての石川直樹さんを形づくる断片が垣間見えるようなインタビューでした。
とくに星野道夫さんは私も大きく影響を受けています。でも星野道夫さんの何が好きかというとはっきり答えられない。壮大なオーロラの空から、地面に生える草葉に霜の降りる様子まで、土地の歌を聴くような写真たち。
沖縄の写真家、石川真生さんの写真を見たときに、技術とかそういうことではなくて、写真ってたぶんその人の生き方とか、世界の見え方とか、人そのものの結果として写真があるんじゃないかなということを思いました。
星野道夫さんの写真が胸に刺さるのは、雄大な世界とそこに息づく生命を見る星野さんの、情熱的でピュアな眼差しを感じるからかもしれません。

特別な生き方が必要ということでもなくて、例えば川内倫子さんのような、日常をひそやかに切り取る眼差しにも、とても惹かれる。もちろんそこには技術的な投資も沢山あるのだと思う。でもその風景を見る眼そのものが、写真に表れていく。
そう考えると写真って、誰が撮っても何かしらの価値があるようで、でも逆にいくら技術を重ねても自分自身を問われ続けるようで、表現として、すごいものなのかもしれません。

今年は映画館もいつもより行けずに、あれもこれも見そびれたなあとしょんぼりしているところです。来年は今年よりもっとパニパニシネマに通いたいと思います。



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