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「宮古馬保存計画見直し」についての雑感

今朝の宮古毎日新聞の一面記事は宮古馬に関するものです。活用方法、補助対象とする範囲など今後検討していくとしています。今回何かが決まったわけではないですが、「10歳以上で繁殖履歴のないときは保存馬から除外する」方向性は保つなど、市および保存会の方針が明確にされた重要な記事だと思います。

宮古馬の頭数はおよそ44頭※1。日本在来馬のなかで2番目に少ない数です(同じ沖縄県の与那国馬は130頭※2)。宮古馬の受け入れに手を挙げている企業もあり、経済活用に異論ある人はいないと思いますが、助成金削減とバーターにされているところは問題視されて良いと思います。

馬主ごとの飼育数(あるいは仔馬が産まれた数)を出せば、宮古馬の育成に尽力されてきた牧場もおのずと分かるはずなのです。このままでは、宮古馬の増頭の下支えをしてきた飼育者から先に馬を手放さざるを得ない状況になってしまうでしょう。

1978年に7頭まで減少した宮古馬を40年かけて40頭台まで増やしました。経済活用を考えはじめても良い時期かもしれませんが、市の助成を打ち切って良い時期なのか、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

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一昨日、陸自駐屯地の候補地視察で社民党の照屋寛徳衆院議員が宮古島を訪れました。そのおりの地域住民との意見交換会に行かれた方から「宮古馬の話をしていたよ」と教えていただきました。

日清・日露と大きな戦争を経た大正時代、軍馬増強の必要性を感じた日本政府のかかげた馬政計画のなかで、在来馬と大型外国馬の交配が進められたといいます。しかし牡馬の去勢により農耕馬として不適応になることから、宮古島では反対の声が上がり、陳情が繰り返されて、大正11年に適応区から除外されたのだそうです。

日本の在来馬のほとんどが姿を消したことに比べて、与那国、宮古、トカラ、対馬など、その多くが離島に残っている理由は、戦前の軍馬増強施策の波が届きにくかったからだと聞いたことがあります。そのなかでも宮古島は政府政策に島民が声をあげて、在来馬を守った地域でもあるのですね。

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平良港・下地島空港の整備、市役所移転、陸自駐屯地・JTAドーム近辺の商業施設建設…宮古島は建設ラッシュで、地価は値上がりし、マンションもおおよそ建設業者で入居がうまり、移住者や島内で引越しをする人などは住居がほぼ見つけられない状況だといいます。

皆が口をそろえて宮古島はバブルだという現状の裏で、宮古馬の予算314万※3 が削減されようとしています。この好景気は、この島に昔ながらに人とともに生きてきた馬の存在を、見えなくするのに都合がいいのかもしれません。

もし私になにかできることがあるとすれば、今は見えなくなっている宮古馬の現状を、少しでも多くの人に見えるようにすることかもしれない、と考えています。

※1 2018.08.04 宮古毎日新聞より
※2 H28.馬事協会発表
※3 2018.08.04 宮古毎日新聞より:
  予算574万円。うち馬事協会助成金220万円、市の補助金は314万円


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