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"Across the Cyber-Diverse" echostruct reports vol.6
echostruct reports とは
Yugaming と Dessan が興味あるトピックを持ち寄りブツブツボソボソ話す企画。
登場人物
・Yugaming
・Dessan
・『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
以下、リファレンスなど
・「ラテンアメリカの民衆芸術」
以下、リファレンスなど
・音楽、あるいは映画の感想について
以下、リファレンスなど
・あとがき
収録のあと、わたしも『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』をみた。聞いたとおり、とんでもない表現に終始圧倒されてしまった。前衛芸術のような映像にもかかわらず、ストーリーがとびきり面白いことなどあり得るのだろうか。
将来の選択肢が無数にあるティーンエイジャーを主人公に据えたスパイダーマンは、無数の世界線を同時に描くマルチバースと相性がいいのだろう。物語の最序盤で語られるように、マイルス・デイビスは将来の進路に悩んでいる。そういえばスパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームは、ピーターがしくじってマルチバースを呼び寄せてしまう話だったが、その発端はMITの合格を取消しにされてしまったからだった。
現実とは異なる世界線を想像することが物語だとすれば、マルチバースは個別の物語を並列に繋いで俯瞰するような構造を持っている。このような並列繋ぎは無数のキャラクターが入り乱れてワクワク楽しいけれど、同時にそれぞれの物語の価値を貶めてしまう。この現実も無数の物語と等価なのだと示されると、今生きている現実を信じられなくなってしまうのではないか。
だからマイルスは、貶められた彼自身の物語を、あるいはマルチバースによって毀損された物語を救おうとしているのかもしれない。
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