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帰属意識による先入観や敵対心を相互理解へ繋げるために

初対面や馴染みのない人と話をしていて話が盛り上がってくると、こんな質問をされる時があります。

「●●さん、血液型は何型?」

この質問が発生する背景は雑にわけて3つあって、①話が盛り上がって相手が気が合うと判断して、聞いた ②話す内容がなくなって、なんとなく聞いた ③相手と気が合わないと判断したので、確認のため質問した …のパターン。

血液型ごとにかかりやすい病気等一定の傾向が出るということはありますが、「血液型と性格の関連性は科学的に証明されていない」ことは多くの方が既にご存じだと思います。しかし、社会で生活していると「血液型と性格の話」を好む方が未だに多くいることを、個人的には感じています。

血液型と性格についてはwikiに詳しく書いてあるので、私も言わんとすることは同じです。血液型性格分類を好むのは日本、韓国、台湾等一部の地域なので「一部の地域で血液型と性格に関連性があるという先入観が成育環境上ですり込まれてしまって、小さい頃から大なり小なり影響を受けた状態が現在も継続し続けている」のだと私は思っています。


私もそういった世間の影響を受けていましたし、高校生くらいまで血液型の話はわりと好きでした。しかし、同時期にその話をした相手から「血液型なんて性格とは関係がないのだから、自分はその話をされることに不快感を覚える」と言われてから、血液型と性格について疑問を持つようになりました。また、A型と言っていて自他ともに「A型っぽい」と言われていた性格の子が、検査したら実はO型だったこともありました。思い込みと決め付けによる勘違い。

例えばA型は几帳面で神経質、O型は大らかでズボラと言われていますが、私の周囲にはこれが真逆の人がいました。A型だろうとB型だろうとマイペースな人はマイペースだし、個人の性格の傾向を成育環境からカテゴライズされることによって「これが血液型による傾向の差だ!と思い込んでいるだけ」だと思い始めます。

その疑問は年を重ねるほど強くなり、20代の前半になると「血液型と性格はまじで関係ないぞ…思い込みだった…」と気付き、自分からはあまり積極的に話さないようになりました。


しかし、血液型の話が好きな人が私の知り得る環境にはとても多く、聞かれて答えると「なるほどね!だから〇〇なんだ」「あ、ぽいわー。どうりでー」と言われることもありました。そういう経験が増えていくと、気が合わない相手にレッテルを貼ったり、逆に気が合う相手と同調する材料にしているだけだと気付き、私は自身の血液型を隠し、「わからない」と言うようになりました

ある種、実験ですね。「血液型は?」と聞かれて「わからない」と答えると、人は発言者に対してどのような印象を受け、どういった言動に繋がるのか。

で、どうなったかということなんですが。

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