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森に帰ろう…私達は急ぎ過ぎた

1994年5月1日 イタリアのイモラ-サーキットで行われたサンマリノグランプリに出場し 決勝レースにおいて首位を走行中 「タンブレロ」と呼ばれる左コーナーでコンクリートバリアに高速で激突し 帰らぬ人となった

…音速の貴公子 アイルトン•セナ

それを私は真夜中のテレビで見ていた

一瞬 ナニが起こったのか分からなかった
美しくカーブを描き 直線に入るのが当たり前と思っていたから

でも アイルトン•セナは人間だ
恐怖のリミッターを外すことが出来ても
鳥やチーターの動体視力や反射神経を持っているわけではない
音速の貴公子でさえ ほんの0.00何秒かの何かでコンクリートに激突する

これは余談だが…
セナはこのレースに出場前 ホテルで彼女に
「このレースに出場したくないんだよ 嫌な予感がする」
と言っていたそうだ
それは予感なのか?
それとも 死を自分で引き寄せたのか?
そのどちらでもないのか?
私にとってこれは 大いに謎だ


ユヴェル•ノア•ハラリは
人間はフィクションを作り出し 共有する生き物だと言った
(要約し過ぎかな?)
フィクションを作り出し共有することで発展して来た
国 貨幣 宗教 平和 幸福 労働の仕方…
でも
誰かが作り出したフィクションを共有するって無理がある
どうしたって 誤差が生じる
誤差以上に フィクションを受け入れられないことだってあり得る
そんな人達を脱落者…みたいになってないだろうか?
本当は誰かの洗脳に染らないだけかもしれない

フィクションを作り出し共有することでここまで発展したが
良くも悪くも働く

犬が足を怪我したら 怪我の痛みに勿論苦痛を伴うけれど
人間の様に
「僕が何か悪いことをしたから怪我をした」とか
「僕がちゃんと確認をしなかったから」とか
「この先の生活はどうしたらいいんだろう」とか
勝手なフィクションを作り出し
自分自身を 自分の作り出したナイフで グサグサ刺しまくったりしない

自分の作り出したフィクションで
自分を何度も 何度も刺しまくるって おかしいよね

現実は 足を怪我した…それだけなのに

これは 個人的に作り出すフィクションだ
世間が作り出すフィクションはアップデートされるけれど
個人的に作り出すフィクションは 
個人でアップデートしない限りはアップデートされない

これは自分(個人)という意識が強い人に出やすい傾向だそうだけれど
自分の利権にこだわりが強いからではないかと思う
怪我した事で失われる利権 そこにこだわるからではないだろうか?

先ずは 足を治そうよ
…そう アップデートするだけなのだ

こう言うと簡単そうな事だけれど
そう出来ないのは 
世間の作り出したフィクションについて行けないと不安が出来るからだ
私達の脳の進化より 世間のフィクションの方が先に進み過ぎている


もう一つ
人間の進化を超えたフィクションを上げると
ガンダムの様にスペースコロニーを目指す事だ

人間が宇宙に住めば
酸素もない 重力もない 紫外線•放射能に曝される
酸素がなければ生きられない
重力がなければ 筋力低下し 心肺機能も低下する 
それに伴い認知機能も低下する
放射能に曝されれば 被爆するでしょ
それら全部クリアするって どうでしょうか?

もはや 体を手放して霊体になるしかなくないだろうか

住める地球を守りましょうよ


フィクションはなんかキラキラしている
でも 
フィクションは人間の進化を超えていて
音速の貴公子でさえ音速をコントロール出来なかった
誰かのフィクションの為に貧富の差は開きまくる
成長し続けるモノなどないはずなのに永遠の経済成長を信じている
フィクションをコントロールしきれず 
自分自身をナイフで刺しまくってしまう
宇宙のフィクションは 
すでに人間の体を手放して霊体を目指すしかない

人間の進化に並行した世界に戻って森に帰ろうよ

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