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この夏欲しいもの : 独り言


「欲しいもの、なに?」
「なにが、願い?」

こんな質問をされると…


ずっと昔の豊川悦司のドラマを思い出します。

と言っても、ドラマの内容は覚えてもいないのですが😰

「願いごとはなに?」

「ない」

そして、
願いごとがないのは不幸だから
…と言うのです。

何となく、
そんな会話って、
オシャレな感じがしませんか?
どこかシニカルで切ない様な?


でも、
私の場合は
別にオシャレでもなく
シニカルで切なくもないのです。

なぜに、
欲しいものも
願いも
浮かばないのか?

その理由は簡単。

思ったら買ってしまってるか、
行動してしまってるからです。

買うのを我慢することもないし、
買えないものを欲しいとも思わない。
そして考えるより先に動いている。
動いてダメだったものって、
「もー、いいや。」
になるか、
「リベンジだぁ!」
になるかで、
どちらかを選べば既に願いではないしねぇ。
諦めがつくまでリベンジすることもあるし、
途中で
「まー、いいや。」
に、棚卸しされることもある。

詰まりは、
心にモヤモヤと溜めている状態が
殆ど無いわけです。


だから、
欲しいものや、
願いごとが無いことを、
「不幸」
とは、
思えないんですよねぇ。

それどころか、
人生をくまなく食い荒らして生きてきたと思ってます。
チャンスがあることは全てやってやった!…みたいな感じです。
振り返ると、
私が食い荒らした残骸が沢山。

それは、
楽しい人生じゃなかろうか?


豊悦のドラマの中で、
「南十字星がみたい。」
と言うのです。
沖縄なら少しだけみられるけど、
本土では無理。
「南十字星って、北斗の拳のサザンクロス! かっこいー。」
そんな風に思っていたら、どこの島かは忘れましたが、海岸でサザンクロスを見たのでした。
分からないけど、神秘的に思えたのを覚えています。

そんな風に、
願うともなく叶っているごとが多い気がします。

そう思うと、
引き寄せの法則って、嘘でも無いような。
叶うべきものは叶うし、
叶わないものは叶わない。
…当たり前か?
でも、
「欲しいな。」
「見たいな。」
「やりたいな。」
「行きたいな。」
「食べたいな。」
そんな小さな願いは、小さい故に気付かないうちに叶っているのかもしれませんね。
日々、色んなことを叶えながら生きているのかもしれません。

そしたら、
誰にお礼を言えばいいのでしょう?

いったい誰にお礼をすればいいのか分からないけど、

「今日も一日、ありがとう。」


あ!
この夏欲しいもの…でしたっけ。
まぁ、
そう言うわけで、
特には思い当たらないのでした。





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