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正木さんが言っていることを自分に置き換えて考えてみた。

こんにちは!(はじめまして!)
ゆふいんのさとです🙋‍♂️

noteを始めました✨
これまでも、Twitterのフォロワーさんに感化され、noteをやりたいと思ってはいたのですが、実行できず🫣

3度目の正直ですね👏

調べたところ、noteに書く一発目は、自己紹介的なのが普通のようなんですが…。
自分は初っ端から、お題のごとくのテーマです。笑

正木伸城さんの数々の発信と、それに対するさまざまな反応については、いろいろな思いをしている学会員がいると思います。私もその一人。

ということで、いきなりを承知で書きました🖋

宗教2世、政治と宗教、旧統一教会といったかなり重めのテーマが毎日話題に上がる中でも、信心の素晴らしさを、明るく爽やかに書いている同志がたくさんいますよね。
(師子若丸さんが一覧化していたので借用🤳)

他にもnoteを始める人が続々と😆

内容を読み、本当に書くのが上手だな〜すごいな〜と感動しっぱなしです。

信心のバイタリティーあふれた読み物をお探しの方々!🙋‍♂️🙋‍♀️
ぜひ👆で紹介したnoteやTwitterを読んでいただくのをお勧めします✌️

ということで、早速。
今回は、正木さんが前後編のエッセイで書いた内容を、自分に置き換えて考えてみました。

まずは前編。8/10の公開でした。

法戦で、卒業アルバムの名簿を片手に、片っ端からから電話をかけさせられた

メディアが好きそうなテーマです。笑
こうしたやり方については、都市伝説的に噂を聞いたことはありますが、自分がいた組織ではこんな事はなかったです。(私は正木さんより数個下の世代です)

私の場合は、名簿やら携帯の電話帳やらと睨めっこして、最後は自分の意志で友人に電話するのが常でした。自分の周りもそう。

ただ、正木さんが先輩に促されたのは事実だと思います。先輩の言い方、導き方を、直接見ていないのでなんとも言えないですが、相手を選んでやっている(=全くの非活動家にやらせる訳がない)のは間違いないと思いました。
つまり、正木さん本人もそうであったと自認しているように、そうした実践に「楽しさややりがいを見いだせる」人がやっていたということ。
強制ではなく🙅‍♂️

すると、自らも楽しくやっていたことを、後になって「組織の裏側」みたくメディアに書いてしまう価値観は、自分には理解しがたかったですね。

オフィシャルには自由が言われていても、学会組織の現場で本当にその自由が確保されているかというと、心もとない

私も、組織内で政策論争を望んだことが何度もありました。
そのうち何度かは、先輩の話に納得し、何度かは、地方議員からの説明を受ける機会をいただきました。最後は自分で納得しました。

同時に、同じく政策論争を望んでいた活動家の方で、公明党に投票しなかった人がいたこともあります。だからと言って冷たい態度で突き放す先輩はいなかったし、本人もそれが嫌になって信心から離れることはありませんでした。(今も元気に活動に励み、公明党の支持も頑張っています)

こうした経験から、学会組織は政策論争できないような閉じた組織ではない、というのが私の考えです。

では続いて後編。8月21日の公開でした。

公明党の振る舞いや判断が池田先生の考えと一致しないため、公明党に疑問を抱いた

公明党のどんな振る舞いや判断と、池田先生のどのお考えを比較しているのかは分かりませんが、「一致していなかった」点を見つけたとして、
それで公明党に疑問を抱くという思考が、理解できなかったというのが正直なところです。

イラク派兵? 安保法制? 私にも、公明党の選択に対して、平時以上に考えさせられたことが何度もありました。かなり時間をかけて勉強したこともある。あって良かったと思っています。

「池田先生のお考えと違う公明党/学会」って、学会アンチの人らが使うロジックでもあるので、正木さんにはあまり使ってもらいたくなかった。
しかも正木さんは、イラク派兵の件で公明党に疑問を抱いた後に、本部職員になってますよね?
会員さんが汗水流して公明党支持に走る中で、会員さんの浄財で生計を立てていた方が、公明党を斜めに見ながら活動していたのであれば、一会員として単純にショックでした。

ところで、上記のように学会や公明党を批判する人たちは「先生のお考え」にどれほど肉薄しているのでしょう? 著作をたくさん読んだから? 活動していない(or会員でない)人が先生の考えていることをどこまで理解しているのでしょう?

公明党と創価学会について、世間と学会員の間でフェアな議論がなされればと思っている。その気持ちで語らいを続けてきた

前後編のエッセイの中で、最大のミステリーはこれでした😅

「フェア」ってどう定義するのでしょうか?

公明党と創価学会という、特定の政治団体と宗教団体を題材に、世間(=特定の政治信条も持たず宗教にも属さない)がどう「フェアに」議論するのでしょう?
言うは易しで、無責任な発言だと思いました。

フェアな議論を「意図」しているであろう、正木さんの数々の発信の「帰結」は、一つ一つのツイートへの反応が示す通りです。
無数のアンチに学会攻撃の材料を提供し、多くの会員同志が、正木さんの発信に心痛めている。
「フェアな議論の場の提供」は、あまりできていないと個人的には思います。

長くなりました🫣
もやもやしていたことを、ひとまずツラツラと書いてしまいました。

伝えたかったのは、「正木さんの経験と、自分の経験は結構異なる」ということでしょうか。
正木さんの経験が学会の「リアル」の全てを描いている訳では全然ない。
エッセイの刊行元である出版社にも訴えたいことですね。

もちろんこう言われることに対しては、正木さんも伏線を敷いていて。

8/11の投稿でこう言われています👇

拙エッセイでは僕にしかできない経験と僕以外の人もしてきた経験との両方をなるべく書こうと思ってる。今回の記事で紹介した学会員の発言「公明に反対するお前は信心がおかしい」 等は党に違和を抱いた人が言われてきた割とあるあるな言葉なので後者にあたる。これを特殊として切り捨てないでほしい。
正木伸城さんのツイートより引用


「特殊として切り捨てない」のは大事な姿勢だと私も思います。
と同時に、この投稿のリプではこのような指摘がありました👇


正木さんの投稿によって、正木さん個人の経験=学会員全般に見られることだと読み取れてしまうというのを、一部の人たちが感じているのは事実なんだなと。
そして、そう感じさせてしまうのは、正木さんの本意ではないのかなと。

私のような凡人が学会について物語れば、「お前個人の話だろ」で終わるのですが、
拡散力のある方が、とりわけメディアを通じて発信してしまう内容は、それが学会全般の話だと捉えられる可能性が高いという自意識を、持つことが大切なのではないかと思います。

まとめ

日本人ってブラックボックスが好きだと思うんですよね。ましてや元来の宗教嫌いも相まって、
「これが学会組織の内実〜」みたく書かれると、どうしても拡散されるしビュー数も伸びる。

学会を悪く言うほんの一握りの人たちの声ほど、勢いよく拡散しているように見える一方で、
それよりはるかに多い、純粋な気持ちで信心をしている全国の同志の学会活動の様子は、今まではあまり伝わってきませんでした。

でも今、SNSの中で、毎日のように見られるようになって嬉しい😆

学会の素晴らしさ、信仰の喜びを、自分の言葉でありのままに発信していくことが、広布のための最大の防御であり攻撃なんじゃないかと思ったりもします🏯

私もそんな発信をする一人でありたいと思います✌️

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