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夜明けのホーチミン、シクロとともに揺蕩う

ホーチミン朝6時、朝食まえの自由なひとときにホテルを抜け出し夜明けともに街に出て川辺に向かう。朝でも蒸し暑い。早朝からバイクはビュンビュンと走り、喧騒は始まっている。大通りには歩行者用信号などどこにあるかわからない。Tシャツ姿のおばちゃんはバイクに群れに怯むことなく大通りを横切ってゆく。渡るには車列の一瞬の間隙に突っ込むしかないのだ。思い切って通りへ踏み出す。ビービーとクラクションを鳴らされつつ一台一台やり過ごす。にいちゃんもねえちゃんビービー鳴らす。ホーチミン素人のあゆみは遅いがともかく隙のあるごとに漸進する。渡り切れるのだろうか?弱気になったところに救世主があらわれる。一台のシクロ(人力車)が現れ、バイクの車列を止めて、私のために通路をつくってくれたのだ。おかげで無事に渡り終わった。「サンキュー」と声をかけると、神は笑顔で去っていった。ベトナム語で「ありがとう」くらいは覚えておかないとな。

川沿いの遊歩道は平和そのものだ。かつて開高健が特派員としてマジェスティックホテルに陣取り、毎晩マティーニ飲み昼まで泥のように眠っていた時代はとうに過ぎ去り、今では脈絡なく爆弾テロがあるわけはない。ベトナムもグローバル経済の生産拠点として経済発展を享受している。朝も早くからやかましいのもそれが発展の槌音だと思えば好ましく聞こえる。

歩きつつ脇を静かに流れる澱んだ川を眺めていると誰かが私に話しかけている。振り返ると先ほどのシクロの漕ぎ手だ。小柄で痩せ型、真っ黒日焼けした肌は骨にへばりつきやけに白目が目立つ。

「このサイゴン川はね、潮の満ち引きで流れの向きが変わるんだよ」

「きれいな写真撮りたいならホーチミン美術館にでもいけば?」

「カメラはしっかり持っておかないとバイクマフィアの奪われちゃうから用心してね」

いろいろ親切に説明してくれるが要はシクロに乗ってくれってことだろう。客を乗せる三輪車もインドならリキシャーと呼ぶがここベトナムではフランス植民地時代の名残りだろうcyclo由来のシクロと呼ぶ。

先ほど受けた恩に負い目があるので乗ってみることにした。

出かける前から目的地は生鮮マーケットと決めていた。

「じゃあ市場まで乗せてくれよ、いくらだい?」

「5ドン。行って帰って5ドン」

それは安すぎるお。だって1ドル22,000ドンくらいなんだから。

「5,000ドンって意味でしょ?」

「いや5ドンだよ。5USドルでもないよ」

「じゃあ前払いするよ」

「いいやあとでいい」

ベトナムドンは通貨安でなんでも桁が大きすぎるので1000を省略してるんだろ。前日にGrabを使っているから同一距離でのタクシー料金は検討がつく。

まあリスク承知で乗ってみるか。
まさかの時のためシクロの車体番号をスマホでパチリ。

大通りをバイクの集団にまじりシクロが走り出す。周囲のバイク音がうるさいしどんどん抜かれるので少し心細いが雑踏の中での安全運転技術はこれまでの経験で養っているだろう。身を委ねてみると、ゆったりした走りは意外にも快適だ。周囲のバイクやバス、大型トラックの排ガス臭は致し方ないとして。

騒音の中を走っている様子をとろうとスマホを前に向ける。

「iPhoneはしまった方がいいよ。バイクマフィアに奪われる」
人相悪いのに意外とやさしいのね。

観光客なれした色黒小柄なオッサンはベトナム人には珍しく英語発音がうまい。語尾もはっきりしている。ベトナム語はトーンが6種あるせいか市井の人の英語はほぼ聞き取れない。

汗をかき身体を上下に揺らしつつ「こどもが二人いるんだ」と親近感を醸し出し、教育費の問題、仕事の苦労なんかを語り続ける。

マーケットにはほんの10分くらいで到着。しかし市場はまだ開いていなかった。7時半オープンらしい。開始時刻待っていたら仕事のアポイント時間を過ぎてしまう。でもせっかく市場まできたからには入ってみようと、シクロを外で待たせて、商品陳列準備中の市場を見て回わった。そもそも市場に来るのは何か買いたいせいではない。色とりどりの魚やら野菜、果物の競演を見たいだけなのだ。植物と魚とスパイスが混じった鼻をつく匂いも嫌いじゃない。各地から集まったグリーンは種類ごとに積まれるとグラデーションができて美しい。肉に切り身のピンクもしかり。おばちゃんが肉切り包丁で音を立てて支度する姿は勇ましい。ところどころで朝からくたびれた様子の犬が寝ている。

ひと通り市場を巡ってからシクロに戻る。オッチャンに勧められるがままにあたりをぐるりと一周してから帰路につく。

すぐに出発地点の川辺のロータリーに到着した。ホテルを行き先に指定しないのは宿泊先を見知らぬ人に知られたくない思いがどこかにあるからだ。ともかく知らない場所に連れて行かれることはなかった。なかなか快適で楽しい朝のひとときだったと言っていい。

「いくら?」
「5ドン」

5000ドンと仮定して、その倍の10,000ドンを出した。
「いや5ドンだよ」

といいつつポケットから畳んだ料金表をおもむろに取り出しどや顔でこちらに見せる。

そこにはなんと50万ドンと記されていた。

ゼロが多すぎてゆっくり数えちゃったよ。

ふざけんな。

5ドンがどうして50万になっちゃうんだよ。10万倍。

きっとこいつの頭の中はインド思想が入ってる。インドには10万をあらわす単位がある。ラク(lac)という。50万は500 thousands と言わずに5ラクという。

ベトナムはインドでなく中華圏のはずだぞ、でも中国にしたっても白髪三千丈の誇大妄想の世界だから変わらんかな。

ともかくオレは払わん。元バックパッカーとしての矜持がある。オレは騙されないのだ。インド以外では。

まあ、とは言っても5ドンはともかく1万ドンでも安いから2万ドンを手渡そうとした。

それまで柔和だったオッチャンの目が、ぎらりと光り、白目はますます白くなり、邪悪な脅しモードにギアチェンジした。

「お前が5ドンにアグリーしただろ、払えよ!」

「ノー、払わねえよ」

かわいそうな漕ぎ手を演じて客にすがるスタイルならまだしも完全脅しの目つきで迫ってくる。こっちは卒業旅行の女子大生じゃねえ、そちらがその気ならこちらも戦闘モードオンだ。

「50万ドンなんてありえねえよ、ばかやろう、ふざけんじゃねえ」

日本語ですごんでみた。

「What did you say?」
オッチャンきょとんとしてる。

「なんでシクロがタクシーより高いんだよ!」

「タクシーはエンジンついているからドライバーは楽だろ!」

一理ある。
それに車はクーラー効いてるしな。

前日のタクシー代が往復で8万ドンくらいだったので5万ドン払うことにした。

彼は初め受け取ろうとはしなかった。しかし彼の更なる脅しに怯まず、日本語で言い返してくる私にあきらめ顔で最後は手打ちした。

去り際にオッチャンは大声で叫んだ。

「ファック・ユー」

昔米兵と戦ったことがあるのかもしれないな。元チャーリーか?当時米兵はベトコン(Viet cong) のV.C.のCをとって彼らをチャーリーと隠語で呼んだ。



この朝の出来事は7-8年前のことだが久しぶりにホーチミンの喧騒にでてみるとありありと思い出した。

朝食後ホテルの車寄せにはすでに迎えの車がまっている。しっかり磨いた黒い大型バンだ。黒いパンツに白いシャツを着たドライバーが後部ドアを開けてくれる。車内はクーラーでキンキンに冷えている。南国はクーラーをきかせすぎる。後部座席の調整ボタンで少し温度を下げた。革張りシートのリクライニングを傾け、シートベルトを締める。車窓からはいつものバイクの群れが見える。高層ビルの間を走るカラフルなヘルメットはどれも煤で汚れて鈍く光り、ライダーたちはマスクやスカーフで口を覆っている。相変わらずだな。成長は続いてる。アポイントがあるお客さんのオフィスまでは約1時間かかるらしい。少し眠れるかな。昨夜も遅かったし。

車はゆっくりと止まった。目を開けて身体を起こしスマホの時計を見る。ずいぶんと時間がかかったな。アレ?電波がたってない。でもともかく到着した。「Cảm ơn (カム オン)」=ありがとう。ドライバーに送迎のお礼を言う。返事はない。

高い塀に囲まれた屋敷にはココナッツやマンゴーなど南国の植物を配した庭園が設えられ、玄関前には大きな道教風の彫像が見える。成功者の邸宅だ。でもオフィス棟らしき建物は見当たらない。門の脇の檻には大きな犬が1匹見える。

シートベルトを外す。ん?外れない。リクライニングを元に戻す。ベルトはまだロックされている。ドアに手をかける。ノブを引いても軽い引っかかりだけでドアは開かない。

ドライバーに助けを求める視線を送る。振り向いた彼の黒光りした皮膚に白目が光る。しばし時間が止まる。頭が整理できない。彼は不敵に笑い低い小声で呟いた。「ファック・ユー」



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