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米津玄師、楽曲「Undercover」の歌詞解釈とライブ映像からの考察

2020年10月24日のブログ記事から、編集して書いています。

今回は、米津玄師、楽曲「Undercover」の解釈と考察です。
2019年に行われたライブツアーのDVDを持っているので、そちらで歌われているのを観ての感想兼考察と歌詞の解釈を進めていきます。

MV等はないので、公開されているライブ映像の動画を貼っておきます。

12:29秒辺りから「Undercover」です。


まずは感想から。
「Undercover」は太鼓叩く人たちが出てくるんですが(10人ほど?)出てきかたからしてもう格好良くてですね。照明の使い方も格好良くてですね。もちろん楽曲も格好良いもんで、ハマって2時間くらいぶっ続けでコレだけを繰り返し観てて、家族にそれを言ったら「怖いよ!」とか言われてしまいましたが。

何でしょーね、この中毒性というか何というか…。

そしてそれ以上に…ヤバくない?この舞台演出。って思ったんですよね〜。

(この映像には入ってないけど)ライブDVDでの「amen」もヤバいと思ったんですがまた違った意味でヤバい!って思ってなんか…怖くなってしまいました。

なんなんでしょーね、この曲全体を支配するような「逃・が・さ・な・い」感。。。


ということで、ここを軸にしてライブ映像から考察と歌詞解釈をしていきたいと思います。

ちなみに「Undercover」の意味は、
秘密に行なう、秘密の、(特に)諜報活動に従事する。隠れて、内密に
だそうです。


Undercoverの歌詞、引用https://j-lyric.net/artist/a0579b7/l037d18.html
ーーーーーー
1、
どうやってあがいたって 逃げられやしないもんだって
理解してみたってどうしようもない
ーーーーーー
ここで、逃げられやしないって言っています。でも何から?


ーーーーーー
さあ今夜逃げ出そうぜ ありったけのお菓子もって
きっと役に立つと銃も携えて
ーーーーーー
ここで、逃げだそうって言っています。でも何から?


ーーーーーー
ハッピーなエンドがいいんだよ 誰だって喜べるみたいなさ
そんなことを思いながら僕はずっと生きていくのか

いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら
その瞬間に僕は引き金をひきたい
ーーーーーー
それは何故?という疑問も浮かぶのですが、それは後に回します。

ーーーーーー
どんな今も呑み込んでいけば過去に変わっていく
進む方はただひとつ

いつだってさ この退屈をかみちぎり僕は
駆け抜けて会いにいくんだ
あのトンネルの先へさ
ーーーーーー
擬人化してるけど、逢いにいきたいのはたぶん「未来」なんだなと思いました。

つまり、この舞台上に立っている人たちを擬人化するなら
今=「現在」は米津さんで、
太鼓隊の人たちが「過去」または「過去たち」という役割なのかなと考えました。

「Kenshi Yonezu - Live from 2019 Tour 」動画より


そして、逃げられないのは米津さん演じる「現在」か、はたまた「未来」か?ということを思いました。


ーーーーーー
2、
簡単に思えたって 上手くはいかないんだって
もう散々確かめたことだったのに
ーーーーーー
次の歌詞とのアイダにギターの不協和音みたいな音が入っているので、あ、ここで「現在」が「過去たち」に捕まったんだなって思いました。

ライブ映像でもこの部分は照明が紅くなっていますしね。

「Kenshi Yonezu - Live from 2019 Tour 」動画より

ーーーーーー
もういいやなんて言って 引き返そうとしたって
一体全体どこへと帰るのですか

ラッキーなヒットでいいんだよ こんな苦しみを味わうより
そんなことを思いながら僕は きっと生きていくんだな
ーーーーーー
1番の歌詞よりも消極的になっているように思いました。


ーーーーーー
いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら?
その瞬間へ辿り着くにはどうすれば?
ーーーーーー
この問いの答えとして「逃がさない」になったんじゃないかなと思いました。“未来”を。


ーーーーーー
どんな今も笑っているうちに錆び付いていくんだ
後戻りは無理なもんだ
いつだってさ 不安の腹にナイフを突き刺して
闇雲に手を伸ばした 何を掴むや知らずに
ーーーーーー
この部分は、なんていうのか洗脳過程に思えました。

そして、この後に長めの間奏が入るんですが、その間で洗脳完了したんだなと思いました。


ーーーーーー
どんな今も呑み込んでいけば過去に変わっていく
進む方はただひとつ
いつだってさ この退屈をかみちぎり僕は
駆け抜けて会いに行くんだ
ーーーーーー
ここの部分で映像では、米津さんが太鼓隊の人たちを引き連れて舞台前に歩いていくんですが、ちょっと足を引きずっているように見える箇所がありまして…。

あれ?この人足悪かったっけ?って思ったりしたんですけど、、、ひょっとしてソレ「歩かされてる状態」を表してる?とか感じたんですよね。つまり上のように見えたのは演技してたってことかなと考えました。

そこから、歌詞に出てくる今=「現在」は米津さんで、太鼓隊の人たちが「過去」の役割をしているのでは?と気がついたんですけども。


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消し去ってよ この憂いも全て木っ端微塵にしてさ
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つまり、「憂い」って今の、洗脳されて歩かされている状態を、ってことかなって思いました。

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行ける方へ ただ向こうへ
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もう、1番で歌っていたような“明確さ”も定められなくなっている、と思いました。


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そんじゃ今は 何もうたわない夜に沈もうか
やがて来る朝を待って
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それも一つの小さな未来、だとも思いました。太鼓隊=「過去たち」もバチを収めてるし(曲終わりだからだけど)


太鼓隊=「過去たち」は、米津さん=「現在」を通さなければ、「未来」を過去にはできませんからね。
そのために、「現在」を捕まえて操っている、みたいな感じなのかなと考えました。

1番では「現在」は自分の意思で「未来」を追いかけているけど、2番以降は洗脳されて「未来」を追いかける道具になっているのだろうという風に考えました。。。

「Kenshi Yonezu - Live from 2019 Tour 」動画より

1番で、
>いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら
>その瞬間に僕は引き金をひきたい
と歌っていたのは、その後ではもう「過去」のものになってしまうから、かなと考えました。

「現在」が現在でいられるのはその一瞬の“今”だけ、だからです。

以上。
「Undercover」の歌詞解釈とライブ映像からの考察でした。

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