米津玄師「サンタマリア」MVの解釈と考察
12/25、該当箇所にMVから画像を引用。
2020/08/29に書いた記事から引用、編集しています。
米津玄師さんのメジャーデビュー曲「サンタマリア」MVの私なりの解釈と考察をしていきます。
歌詞ーーーー
掌をふたつ 重ねたあいだ
一枚の硝子で隔てられていた
ここは面会室 あなたと僕は
決してひとつになりあえないそのままで
話をしている
今呪いにかけられたままふたりで
いくつも嘘をついて歩いていくのだろうか
しとやかに重たい沈黙と優しさが
見開いた目と その目を繋いでいた
あなたは少し笑った
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一枚の硝子は、人と人の間にある心の境界線を意味するのだと思いました。
面会室は、一番上記が目に見えて分かりやすい場所、ということでピックアップされたのかなという印象を持ちました。
映像から見てみると、「僕」である黒い人(と便宜上呼びます)の望みは、「あなた」とひとつになること、だという風に見受けられます。
その二人の絵本を持つ米津さんは、後から光の中にいる米津さんが出てくるので、闇側にいるかなと思っています。そして、絵本の中の二人に共感している、と。
呪いとは、二人の間に境界線があることだと思います。
嘘は、その境界線を守るための嘘だったりするのかなと。
そして、それを笑って許してくれる「あなた」ということなのかな、と思いました。
映像では、闇側の米津さんがある一筋の光に気づきましたね。
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サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって
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硝子があるから、手なんて繋げない、んですよね。
絵本の中の二人の頭の上で花が繋がっていますが、お互いに思い合っているということを指しているのかなと思いました。
花が後でだんだん増えていく描写もあるので、花は「想い」を指しているのだと思っています。そしてその色は「期待」なのかなと。
闇側にいる米津さんは、今までなかった差し込む光が増えていることを興味深そうに眺めている感じに見えます。
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いつか紺碧の 仙人掌が咲いて
一枚の硝子は崩れるだろうさ
信じようじゃないか どんな明日でも
重ねた手と手が触れ合うその日を
呪いが解けるのを
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紺碧は、ラピスラズリの石を連想しました。サボテンの花言葉は、「枯れない愛」「燃える心」「偉大」「あたたかい心」 で、二人の愛の力でいつか硝子は崩れるだろうと「期待」するということなのかなと思いました。
映像では、闇側の米津さんが「光」が差し込む中で、その「期待」で表れた?木を見つけた描写ですね。
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今この間にあなたがいなくなったら
悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか
昏い午後の道端で探しまわった
呪いを解かす その小さなナイフを
汚れることのない歌を
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「あなた」がいてくれるから悲しさや恐ろしさを感じることができる、ということなのかなと解釈しました。
小さなナイフや汚れることのない歌からは、死に向かうことや、死を連想しました。
この歌詞の最後に、闇側の米津さんは気づいたみたいです。自分の望みが絵本の中の黒い人と同じ「あなた=大切な人」とひとつになること、だと。
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サンタマリア 全て正しいさ
どんな日々も過去も未来も間違いさえも
その目には金色の朝日が 映り揺れる
点滴のように 涙を落とす
その瞳が いつだってあなたなら
落ち込んだ 泥濘の中だって
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そして、絵本の中の二人と同じように闇側の米津さんの体にも「期待」の花が増えていきます。同じように壁側からは沢山の光が降り注いでいます。
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ここは面会室 仙人掌は未だ咲かない 硝子は崩れない
そんな中で一本の蝋燭が 確かに灯り続ける
あなたを見つめ あなたに見つめられ
信じることを やめられないように
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一本の蝋燭は、馬と鹿MVの解釈でも書きましたが、「消えない種火・消せない情熱」のことを指しているのだと思いました。
あなたに見つめられ、という歌詞がありますが、絵本の中のあなたの瞳は閉じられたままでその表情にも感情は感じられません。
これは「あなた」の本当の気持ちは分からない、ことを意味しているのかなと思いました。
でも、「絵本の中の二人」に呼応するように、闇側の米津さんも必死に探します。自分たちの望みが叶うことを「期待」して。
そして、とうとう光側に立つ自分を見つけるのです。
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サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって
ーーーー
しかし、そこであることに気づき、徐々に力を失い崩れていってしまうのです。
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サンタマリア 闇を背負いながら
一緒にいこう あの光の方へ
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最後、絵本の中の二人は光の中に溶けていっても(光の方へ行ってしまっても)最後まで、心の境界線は残ってしまっている、という事実に気づいてしまったということだと思いました。
絵本の中の黒い人とリンクしている闇側の米津さんの望みは、「あなた=大切な人」とひとつになること。それが叶わなくて絶望したから、崩れていったのではないかと考えました。
全体的なメロディの色調は「それでも、と願う心」
倒れても、闇側の米津さんの体には一杯の花が残っていますので。
光の中に行っても、境界線が消えて望みが叶うわけじゃない。
“それでも”光の方へ行こう、二人で、一緒に。
ということを歌っている歌なんだなと思いました。
最近(2020/08/29現在)「それでも世界は美しい」という漫画が最終回を迎えまして、最後にその回の台詞を一つ紹介して終わります。
「私はそれでもって言葉、好きなんだ
その響きには 根元的な人の叫びがある
理不尽さに 悲しみに 抗う叫びだと思う
善き方にも 悪しき方にも
人が“それでも”と叫ぶ時 “物語”が生まれる
それこそ“想いと実感”なんだ」
補足
正直言って、とあるところで境界線(パウンダリー)を学んできた身としては、その望みは間違ってると言わざるを得ないんですが、そんなことは百も承知の上だと思うんですよね。
歌詞の中でも
「サンタマリア 全て正しいさ
どんな日々も過去も未来も間違いさえも」
って歌ってますし。
人は結局は分かり合えないって、米津さんがいつかの時にも仰っていたというのを見聞きしたことありますし。
そういう自分のどうしようもない部分があるから人の痛みにも寄り添えるのだと思うし。
それを軸にして、結果まで出しているのはとても美しいことではないかなと思いました。偉そうに書いてしまいましたが。
駄文でした。
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