できればずっと、なんてないけれど
「板橋ハウス」の今日の動画、すごく好きだった。
「深夜にドライブしてマックを探そう」のPart3。
タイトル文字通り、深夜にドライブしてマックを探して、ハンバーガーを食べる動画。
part1〜2も楽しいので是非。
ドライブせずに、歩いてマックに行く動画も以前に上がっている。
こちらは、初めて見た時は何ともよく分からないのだが切ない気持ちになった。ただ3人が楽しく散歩にしているだけなのに。
最初の動画から、ずっと、"大学生っぽい"動画。
ゆるくて、面白くて、肩肘の張らない日常。
動画の中で年齢の話も出るけれど、3人は平均ほぼ29歳。
最近、動画でもたびたび年齢の話をしていて、ピンポイント同年齢の私にはよく刺さる……
芸人だとあえて言わずに始めていて、さすがに最近は視聴者も彼らが芸人だと知っている人ばかりだが、最初のうちは普通に学生の人たちだと思っている人も多かったという。(かくいう私もそう思っていた)
3人のうちの1人吉野さんも、寿司Vログで「21歳大学生」と名乗るし、きっとそういう戦略なんだろうなと思う。
なぜ、ずっと"大学生っぽい"でいられるのか、
少し不思議で、それが心地いいなと思う。
変わらない3人の関係性と、日常のノリと、芸人という職業柄を押し出さないところと。
変わらない空気感のままでいられるのは、彼らの大学生活は"始まっていない"からなのかな、なんて考えた。
お三方とも大学生経験はないけれど、学歴的な意味ではなくて。生徒でも社会人でもない、曖昧な、あのなんとも言えない、人生の立ち位置がふわふわしているような期間のことで。
これは本当に上手く言えなくて、あくまで、私の感覚的な話なのだけれど。
私の謎理論の中では、「始まったものは必ず終わりが来る」なので、逆説的に「始まってないものは終わりは来ない」。
だからずっと、彼らはふわふわとした時間軸の中で、ずっと"大学生"の様な時を過ごせているのかもしれない、のかも。
あと、前にTwitterのフォロワーさんたちの間でも話が出ていて、あるいは今回の様な"家から出る"動画の時に話に上がるのだけど、
「板橋ハウス」はどこか遠くに、でも確実に、"終わり"が待っているコンテンツだという認識がある。
「めぞん」「ピュート」「軟水」というそれぞれに別々の芸人コンビがあって、ひと時同じ家にルームシェアしていて。
コンビで、芸人として売れていくための、一つの手段で。
普段は意識しないし、気にも留めないのだけれど、
"家から出る"とか、"テレビに出る"とか、何か日常の家の中の動画と違うことが起きると、ふと意識の表層に顔を出してくる。
そして、いつか3人が「板橋ハウス」ではなくなる時が、来るのかもしれないと、刹那的な気持ちを覚える。
"終わりのあるもの"としての、束の間の猶予、
モラトリアムな時間。
もしかして、そんなモラトリアムさも、"大学生っぽい"と感じてる遠因なのかもしれない。
なんて、意味もなく考えてみたりした。
できることならずっと、この3人の、この時間を見ていられたらいいのに、とも思うし、
それぞれコンビで売れて、もっと芸人として活躍している姿を見たいとも思う。
毎日の動画は楽しく面白く、こんな変なこと考えなくて、ただ笑っていられて。
ただ時折、ふとした動画は何かの琴線に触れてきて、複雑な心境を見つめたくなる。
私が「板橋ハウス」に惹かれてしまうのは、そんな理由もあるのかもしれない。
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