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虚空に祈る黒女

暑い。真夏の凶暴な日光がカフェのガラス越しに僕の背中を刺していた。
向かいに座る芳野さんが微笑むと目元が華やいだ。
「大槻君。バイトのシフト代わってくれてありがとう」
「いえお礼なんて」
「大槻君、暑そうだね。涼しくなる話をしよっか。バイト長の木田さんから聞いた怪談“祈りの黒女”」


ある日急に、真横を向いて何かに祈り続ける喪服の黒女の幻覚が見えてしまうらしいよ。その祈る黒女は一度見えると視界から消えない。
黒女が見えた十日後に、黒女は今度はこちらに向かって祈るの。祈られたら必ず死んでしまうんだって。怖いね。
そして祈りの黒女は死んだ人の歯を奪って、別の人の視界へ移動する。


「もう祈りの黒女は君の後ろにいる!」
芳野さんはおどけて僕の後ろを指差した。僕もノって振り向く。もちろん黒女なんていない。

「助かる方法は一つだけ。祈られる前に、誰かに祈りの黒女の話をして後ろを振り向かせればいい。そうすれば黒女は自分の視界から消えて、相手の視界へ移動する」
「え?芳野さん?」
「7日前に木田さんに祈りの黒女の話を聞いてから、私の視界にはずっと祈りの黒女がいる」
芳野さんの顔は真っ青になっていた。
「大槻君が振り向いたとき、祈りの黒女は君を見ていた。ごめんね」
芳野さんは千円札をテーブルに置いて、逃げるようにカフェから出てしまった。
僕は呆然と後ろ姿を見ることしかできなかった。


翌日、自宅でニュースを見た僕は驚いた。
昨夜、木田さんが交通事故で死んでいた。
そして僕は窓の外に何かがいることに気付いてしまった。
「嘘だろ」


息が詰まるような暑さの中、そいつはいた。
手袋から靴先まで、全身真っ黒の喪服の女。首元は鼻先まで覆う黒いネックウォーマーで覆い、目元は真っ黒な帽子の影に覆われ見えない。
真横を向いた黒女は長い数珠を震わせながら、虚空に向かって熱心に祈っていた。

黒女の手元を見た僕は思わず短い悲鳴をあげた。
数珠の珠は、白い歯だった。



【続く】

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