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漫画描きがジェスドロ1000体やってみた

この度ジェスチャードローイング1000体を達成しました。わー。 ぱちぱちぱち
なのでどういうことをやっていたのか、やってて気づいたことについて 書いていこうと思います。

やったこと

そもそものきっかけは、なんとなくはじめた動画クロッキー。やり始めてすぐ気づいたのは
1分とか2分の短いポーズがマジで描けん。
そもそも描き方が分からん。

ということだった。そのまま描き続けてもイライラするだけだったので「短い時間で描ける方法を探そう」と思い立った。
短時間で描けてる人が何をやってるのか調べてみた結果、ジェスチャードローイングを取り入れてみることにした。

ジェスチャードローイングとは何か。

CGW:クイックスケッチとジェスチャードローイングはどのように違うのですか?
平谷:本質的には同じです。言葉上の小さい違いですが、クイックスケッチはスケッチすること自体が目的で、ジェスチャードローイングは、仕上げに持っていく作品のベースにするために描くこともあることくらいでしょうか。
ざっくり言うと、「対象を観察して「動きや感情、エネルギー」といったものをシンプルな線画でしっかりとらえましょう」というのが、ジェスチャードローイングです。

引用元:https://cgworld.jp/interview/201908-tatenaka-3.html

というわけで「たてなか流クイックスケッチ」の動画や、マイケル・ハンプトン「人体の描き方」を参考にしてジェスドロの描き方を試していった。

具体的に言うと


こういう感じの動画をもとにジェスドロをしました。1日10体を目安に、各ポーズの時間はだいたい1分、2分の短ポーズが5体ずつ。あとは動画によって1、2ポーズくらい5分と10分のやや長めのポーズがあったりとか。
その日やる動画は基本的にこちらのスケジュールに則りました。

素材を選ぶ工程をカットして、とりあえずやる!ところからスタートできるのでありがたかったです。
このスケジュールで全身クロッキーをやらない日は別に自分で動画クロッキーやったり、気が向いたときに追いクロッキーしたりして大体2ヶ月半くらいで1000体になりました。

ジェスドロ1000体やってどうなったか

始める前、こういう感じだったクロッキー。

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こういう時期を経由して

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こうなったよ。

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1分クロッキーがこういう人っぽい形になってきたのはだいたい1ヶ月半くらいの時点。

気を付けていたこと

・上手く描こうとしない。というか下手を許す。
上手く描こうとしないことで、特定の描く方法を習得する
・手を素早く動かそうとしない。早くなるのは「どこを拾うとそれっぽくなるか」という判断
どう描いたら楽しいかを考える
・上手く描けないと思った時、何がうまくいってないのか仮説を立てる。
・振り返る時、課題点だけでなくうまくいった点も書く。
・ 飽きたら↑の全部忘れてやりたいようにやる。(画材変えたり、ジェスドロじゃないやり方で描いたりもした)

先にも挙げたYouTubeの「たてなか流クイックスケッチ」はかなり参考にした。あと同じ立中さんの雑談シリーズも。


漫画描きがクロッキーをやることにどういう意味があるのか?

漫画に正確なデッサンは必要ありません。
でも昔の絵の上手い漫画家はクロッキーをやっていたみたいな話はいっぱいある。
でもクロッキーで出てくるようなポーズって美術界向けというか、美しく見えるかもしれないけど漫画でほぼ一生使わないんだよな。
普通に写真とかのポーズ模写ではだめなの?
漫画描きが複雑な裸体のポーズを速写する意味ってなんなの?
クロッキー/ジェスドロを始めた当初はこういう疑問を持っていた。

たぶん現時点で確認できるいちばんの効果は
写真を参考にすれば理論上1分~5分で全身の下書きができるようになる
ということだ。だって毎日それとほぼ同じことをしてるわけだから。
まあそれはさすがに理論値にしても、全身ポーズを描くハードルが下がることは間違いない。

で、肝心の意味なんですけど、まあ…楽しかったらやればいいし、楽しくないならやらないでいいんじゃないですかね…?
というのが今の気分である。なんやこの結論…

いや、なんか、私もね、ジェスドロ1000体やったらこんな効果がありましたよ! ジェスドロすごい! みんなやりましょう!!で終われた方が記事としていいなって思うんですけど、そしてそうやって記事をまとめようかなあって書いててもう3回くらいその部分を消してるんですよね。なんか意味あるか…でいうとたぶんあると思うんだけど、それはジェスドロをやる中で大事にしてきた「楽しく描く」からしたら本論ではない気がするんですよね。

そもそも「これをやっててどんな意味=効果があるのか?」が問いとして間違ってるのではないか? いや、疑問に思うこと自体はいいんだけど。しかし効果あるなしに意味を寄せているのがなんか違う気がする。どんなことも効果あるようにやればあるしないようにやればないし。

そうだ。
クロッキー/ジェスドロは何かに効く特効薬ではない。
「こうすれば自分の描きたい感じに描ける」
に気づくための手段である。

短時間で捉えて「描きたいと思った感じ」を描き切ることに集中することで
「ここはもっと傾けた方が感じが出るな」とか「もっと勢いを出すには頭と胴と骨盤を配置すればいいんだな」と気づくことができる。「描きたい感じ」がベースにあるのが大事で、それがないと尽きない課題に対してモグラたたきをし続けることになってしまう。絵に正解はないからね。
「描きたい感じ」は自分の中の「暫定的な正解」で、それを誰かが否定することはできない。
ジェスドロは自分の中の「描きたい感じ」を作る訓練とも言えるかも知れない。

グレン・ビルプのドローイングマニュアルには「ルールはない。ツールがあるだけ」という言葉がある。ジェスチャードローイングがアーティストの訓練だということも言っている(確か)
なのでここでの気づきは「あの言葉はそういう意味だったのかも知れない…」という後追いであり、自分なりの再解釈でもある。1000体かけてそういうことがじわじわ分かってきたらしい。

いや、ほんともっと「下書きが早くなる」「ネームが早くなる」「ポージングがよくなる」みたいなことを言おうと思ったんですよ。

以上です終わり。

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