ギターの弦を交換した話。
思い立って、数ヶ月ぶりに手元にあるアコースティックギターの弦を交換した。このギターに構っていると歌ものを作らねばいけない気持ちになるのと、自分の手癖に飽き飽きして嫌な気分になるのでずっとメンテナンスをしていなかった。
今回はエリクサーのPHOSPHOR BRONZEのMEDIUMゲージを張った。前回は確かLIGHTゲージだったと思う。私はアコギのアルペジオを愛する人間なので、エリクサーの水のようで前に飛びすぎない、ギラつかない音色が大好きだ。
ギター本体の話
ギターの本体はTaylorの214ceを使っている。もうじき7年の付き合いになる。人生で最も気の合うギターかと聞かれたら微妙な回答になりそうだが、いつも半分くらいしか心を重ねてくれなくて、私の半歩先を歩いているようなそんなギター。今まで色んなフレーズを引き出してもらった。
私の精神さえ落ち着いていれば狙った通りの音を出してくれるし、ざらりとした私の声とも相性がいい。ぬるりと水っぽい音だから、弾き語りをするとちょうど良い質感が出る。ただ、泣きの演技は下手だ。その代わり何食わぬ顔で横にいてくれるクールな優しさがあり、とても気に入っている。気に入っているのだ。
弦が消耗品であるということ
今まで弦交換の度に「ギターの弦って高いよな」「この出費が一生続くのか……」などと気が滅入っていたのだが、今回ばかりは音が生き返ったとすら感じて、初めて消耗品であることの良さを感じた。
ギターの弦と違って、人の心や体は錆びても古くなっても取り替えられない。11月上旬は上手く頭が働かず狂ったように毎日ボイトレをしていたのだが、中旬に完全に体調を崩してからは何日も日が空くようになった。体の中の筋肉が横隔膜を支えられていないと感じる。それでも取り替えられない。心も身体も日に日に衰える。正直焦った。
ギターの弦交換とチューニングを終えて少しだけ音を鳴らしてみたとき、あまりに音が良かったので思わず「ごめんねぇ……」と呟いた。今まで上手く声が出なくて苦しかったでしょう、と思った。それでも、自分はそんな風には直してもらえないのだと思うとあまりに悲しくて、そのまま弾くのをやめてしまった。
音楽の神様からのギフト
ここまでnoteを書いていて、やっぱり寝る前にもう少しだけ弾きたいと思いギターを手に取った。そうしたら、すぐに気持ち良いフレーズが出てきて、ボイスメモの録音ボタンを押した。そのまま曲の原型のようなものが1曲できた。歌らしきものも入っている。無心だった。
たぶんこの曲は弦を替えて、ボディを綺麗にして、ギターに謝って、信仰を取り戻した私に対する音楽の神様からのギフトなのだと思う。これからは人だけではなく物も大切にしようと思った。特に身の回りにあるものは……。
曲が書けると報われる
曲が書けるとなぜこんなにも報われた気分になるのか不思議だ。音楽は私にとって感情のスケッチのようなもので、本来留めておくことができないものに形を与える行為なのかもしれない。
昔から目に見えないものや、自分にしか感じられないものに引き寄せられる性質があった。そしてそれらに形を与えられたとき、体の底から言いようのない喜びが湧き上がるのだった。もはや業(ごう)のようなものを感じる。
明日も生きていけそうな気がする。良かった。
また気が向いたら記事を書こうと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
おやすみなさい。
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