ばけもの

とうめい

どうしてもスマホから更新できないとなると
更新するぞ!って予定を入れないと更新できなくなる。
スマホなら移動中とかにささっと書いちゃうんだけどな。

閑話休題。
私は小さい頃から20代まで自分の存在はとうめいなものだと思っていました。
人には自分は見えなくて、自分の声も届かないくらいの人間だと思ってたんです。
だけど、ある時そんな私のためにいろんなことをしてくれた友達が何人かいて
その時にはじめて自分が「色のついたもの」になったように思います。

だけど最近、とうめいになる機会がありました。
3人で話しているのに、そのうちのひとりが私の言葉には一切の反応をせず
もうひとりの言葉にしか耳をかさない。

ーーーそれからちょっと調子が悪い。
何かを伝えることがうまくできない。言葉が出ない。
自分の言葉は「何かを伝えるチカラのあるもの」なんだとは
とてもじゃないけれど信じられなくなりました。いまもまだ苦しい。

別にその方はわざと私を無視してたとかじゃないから余計に「たち」がわるい。
わざと無視するのって意識してるからだもの。
無意識で反応しないって本物のとうめいなんだもの。

でも別の機会に
その人は「自分は(ある集まりの)場にいないほうがよかった」と言いました。
それを聞いた時に思ったんです。
私がとうめいなんじゃなくて、この人はこの人自身がとうめいなんだ。って。

人の存在を認めるって、自分が存在しないとできないんですよね。

私にはどうしてもその才能を認めて
「あなたを、あなたの作品を、愛して信じて救われてる『私がここにいるよ』」
と言い続けたい、伝えたい『憧れの人』がいます。
そのために自分は存在しなきゃいけなくなったんです。
人を認めることは存在でも才能でも
結局は「私がここにいるよ」って言うしかないんだと思います。

自分がとうめいじゃなくなるために、自分をちゃんと、いろどってあげる。
自分は自分が「ここにいる」って認めてあげる。
他人の目から見えなくても、自分の目にちゃんと見えるように。

私はあの人の目にいつかはちゃんと映れるのかな。そしてちゃんと届くのかな。

あなたはとうめいじゃないよ。


イラストは「私はとうめいだ」って思った時に、泣き叫んでここにいるって主張したもの。
「声をあげて泣く」って行為は一番原始な存在の主張だと思いました。

「ばけもの」


読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。