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私は母の宝

母が亡くなってから一年が経ちます。
糖尿病を患い、認知症になり、最後は穏やかに眠るように亡くなっていきました。

5,6年前のある日、内科医から私の携帯に直接電話がありました。
「お母様がご自身でインスリン接種ができなくなっています。ご家族での対応はできないですか?」

これをきっかけに、母の認知症対策が私の責務となりました。

都内で悠々自適に一人暮らしを謳歌していた私は、自分の自由がなくなることにイライラし母に強くあたってしまう事に、嫌悪感を覚えながらも辞められずにいました。

医師の電話から一年後、アパートを引き払い、母と一緒に2人暮らしを始めます。
その頃は意思疎通もまだ出来て、楽しくデイケアーに通う母でした。

症状が進むのは割と早く、雨の中、裸足で美容院に行くなど、日中1人でいる事や、1人で出かける事が難しくなってきた頃、介護施設への入所を私が決意しました。

「これからは施設で暮らすんだよ」と母に告げると、オイオイと泣かれ今のままが良いと懇願されました。
その姿を見ても施設に入所させようとする自分は鬼だな、と思ったのを覚えています。

職を変え、介護士になろうと、本気で考えたのもその頃です。
介護士になれば、母の事が少しでもわかるかもしれない。
母の世話をイライラしないでできるかもしれない。

変わってしまった母に寄り添って近づけるかもしれないとの思いからでしたが、あの時の私がたとえ介護士になっても、きっと母のことはわからなかっただろうし、イライラはなくならなかっただろうなーと思うんです。

自分自身も母の事も、全てが、視野の狭い視点でしか見られなくなっていたんだなーって、振り返った今感じます。

ただ、、、
めちゃくちゃ自分と関係ある、もう私自身みたいな母の事です、あの時そうなったのはもうしょうがなかったんだと思ってます。
そして、母に冷たくあたってしまった自分を許そうと思っています。

母に向けては、
ごめんねとありがとうを伝えてます。
本当にごめんなさい。

そして、私自身は母が残した宝だと思う事で、私を罰するのはもうやめようと思います。
私が私を大切にして、私の見たい景色を見せてあげることが、母が宝を大切に扱うことと同じなんだと、そう思っています。

※「私自身が母の宝である」とそう思わせてくれたブログがあります。
気になった方、どうぞ、ご一読ください。

https://note.com/michiemiyu/n/nd2f8013d6375

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