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エレ庭ノヲト 私がエレファンク庭を推してく理由 ~筆者の自己紹介

2018年12月の初め、推しのライブアイドル”だった”娘からツイッターで近々嬉しい発表ができるので楽しみにしていてくださいと発信があった。
推しのライブアイドルだった娘は、以前所属していたグループが解散してしまい、その間、短大生だった彼女はしっかりと短大に通い、保育士の資格を取得。卒業後は幼稚園の先生として働きながら再びライブアイドルとしてのステージに立つことを望んでいた。

12月15日、「エレファンク庭」が始動。
メンバー発表、公式HPの開設、1月のLiveスケジュール発表となり、推しの娘”橋本愛夢”は再び”橋本愛夢”としてステージに立つこととなった。デビューライブは年明けの2019年1月5日、
東京・杉並区の方南町Mboxx、
です。ラビッツ主催「えみ(&部長)生誕祭2019」となった。

筆者と”橋本愛夢”が出会ったのは、まだ”橋本愛夢”になる前の2015年11月、筆者が推してたロックアイドルグループが初めて「ギュウ農フェス」に呼ばれたときに出ていたアイドルグループのひとりだったのがきっかけ。
中野サンプラザホール前特設ステージで行われた「ギュウ農フェス 中野新人監督映画祭」でホール前特設ステージではライブアイドルのフリーライブが。中野サンプラザホールでは「BELLRING少女ハートの6次元ギャラクシー」や、さんみゅ~主演の「中野JK~退屈な休日~」などのプレミア上映会が開催。そのライブアイドルの出演者枠にてデビューライブを行うグループ「Paprika」の一人が”橋本愛夢”になる前の”ルルル”でした。
2人組ユニットのPaprikaはテクノポップというか、今風に言えばEDMで、どこか懐かしく、心地いいシンセの音色。筆者は高校時代にテクノとかたくさん聴いてて、予備知識ないPaprikaのイントロでステージに吸い寄せられるように観に行ったのを覚えていて、楽曲提供がHONDALADY(現・土佐丸高校吹奏楽部)のマルって聴いて納得というか。2000年代の初めにめちゃくちゃ聴いてたMETAMO(チェキッ娘の派生ユニット、女優・熊切あさ美が所属していた3人組アイドルユニット)に曲を提供していて、物販会でCD-Rを買って帰った際に、ルルル生誕祭を12月にやりますってフライヤーもらったのがきっかけ。
ルルルはその年の4月ごろからソロでライブ活動をスタートさせてて、ファンも何人かいて、社交性の高い彼女には仲のいいライブアイドルさんも結構いて。生誕祭では天川宇宙(今川宇宙)さん、篠原ゆり(平野ゆり(現・APOKALIPPPSメンバー))さんらが対バンで共演していただいてて、筆者自身、推してたロックアイドルが出演しないイベントに初めて行ったのがコレですごく印象に残るものだった。
高校生・ルルルは学生時代を謳歌しつつ、数少ないライブ活動をこなし、時折、(校則では禁止されてた芸能活動の一環としての)ツイキャス配信を放課後配信してたり(仕事の合間にコメント残す”推し事”する筆者)してましたが、翌年2月にPaprikaを脱退することとなり、2月末にはルルルのツイッターのアカウントも消える、ということに。悲しいけどもう会えないんだなぁと。

2016年7月。筆者が推してたロックアイドルグループが解散を発表。そのグループの公式オフ会イベントが昼間に行われ、夕方、オフ会参加メンバーと、そのロックアイドルグループの”妹分”のグループのライブをみんなで観に行った。そこでそのライブハウスの入っている建物にその時、忘れ物をしてしまい、翌日、またそこの違うフロアで”妹分”のグループがライブあるので観に行ったついでに、ルルル生誕祭でご一緒した篠原ゆりに遭遇。特典会に顔を出し、チェキ撮ってお話しすると衝撃的な事実を。

「ルルルちゃん、今度、りなはむさんのところでデビューするんだって。
愛夢ちゃんって名前でやるから、私のツイッターでフォローしてるから、(見つけて)フォローしてあげて」

なんと活動再開、しかも大物プロデューサーの元で再デビューというタイミングでまた会えるチャンスに巡りあえるとは。
ツイッターアカウントも無くなり、芸名を変えてのリスタート。二度と会えないと思っていたから、安くもない特典付きチケットをすぐ予約し、大好きなパンダがヘッダーの"橋本愛夢"のツイッターアカウントをフォローした。

2016年8月16日、東京・渋谷区、duo music exchange。
イチゴスタイル主催「ストシンフェス」にて、
「DOPING BERRY」(以下ドピベリ)初お披露目。
ネットオーディションで選ばれた5人組アイドルはすでに
"その界隈"では認知されていた模様(とはいえ、以前に別グループで同じ名前で活躍していた娘もいて、固定ファンもいる状況)で華々しくスタートを切った。プロデューサーは苺りなはむ。"夢かわいい"を提唱しティーンエイジャーの女の子にも人気となり、のちにcy8erで武道館へ進出するライブアイドル界の風雲児である。

シングルCD1枚を自社レーベルからリリースし、メンバーが一人卒業も、順調な活動をしていたドピベリだったが、結局、一年をもたずにドタバタとあっけなく解散してしまう。

あれから約2年半。
冒頭へとつながる。

ドピベリで紡いだ"ヲタク"と"推し"の関係性は変わらず、橋本愛夢が引退するまでは推しでいたいと思う。
2020年8月4日、エレファンク庭を脱退という形でステージから降りてしまった橋本愛夢。
エレファンク庭と橋本の間に何があったのか。
橋本のツイッターでは橋本側の主張が呟かれてはいたが、一方的な主張で、一緒にやってきた運営スタッフや残されたメンバー、グループ自体が悪者に捉えかねない(実際、アンチやゴシップ大好きヲタクには格好の標的)。悪い意味でエレファンク庭という名前が広まってしまった感はある。
エレファンク庭の最初に行った特典会で箱推し(グループ推し)を宣言した以上、エレファンク庭を最後まで見届ける義務があるし、また橋本がライブアイドルの舞台に立つのであれば会いに行かねばとは思う(事実、8月のエレファンク庭主催ライブに行ったらスタッフに多少びっくりされた様子。推しがいなくなったら現場には足遠くなるのが普通らしい)。

ただ、新型コロナウイルス禍、食品スーパーで安心、安全を届けなければいけない職業柄、会社からは自粛は強く要請されており、ウイルス感染ともなると会社にも多大な損害を与えることになる。
感染は仕方ない、といった世の中の風潮はよく目にするものの、不要不急の外出で感染しようものなら、社員として居場所すら怪しい立場なのだ。
ライブアイドルも活動を再開しているのに、観に行けないもどかしさを抱えつつ、また記事を更新できればと思う。

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