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所沢に帰ってきたペイトリオッツブースター(元ブロンコスブースター)

因縁の?さいたまブロンコス戦、この日が来るのを待っていたオオダチ

遂にこの日がやってきました。
さいたまブロンコスvs山口ペイトリオッツ。
生まれも育ちも所沢市民である筆者・オオダチ。
約24年前、所沢ブロンコスというチームを、バスケットボールの興行を初めて観て、その日からこのチームを応援していこうと決めました。そのあと20年以上をブロンコスを応援してきた、といっても過言ではありません。
1997年9月23日、祝日の、まだ小さな体育館だった頃の所沢市民体育館。対戦相手はいすゞ自動車ギガキャッツ。当時JBL1部を連覇していた名門チーム。エキシビジョンマッチながら佐古選手、高橋マイケル選手、南山選手などスター選手が揃ってました。所沢ブロンコスもCJ(チャールズ・ジョンソン)や(モーゼス・)スカリーを中心に奮闘。結果を観れば30点差負けでしたが観に行って良かったと思えたし、地元に誕生したチームをその後20年以上にも渡り応援するとは思いもよりませんでした(しかし、運営が代わって、"新生"になってこれほど興味がなくなるとは思いもよりませんでした)。
その後、(旧)さいたまブロンコスのファンサイトを作ったり、日本初のプロバスケリーグbjリーグ参入となり(2シーズン目から)ブログを始めたり、Bリーグの振り分けでB3リーグからのスタートが決まった時もブログを始めたりなどしてきました。
“古参ブースター”。今でこそ、このnoteではオオダチユキオを名乗ってるオオダチですが、ホームページデビューする際に、ハンドルネーム”Yucky”を名乗ってました。

所沢市民体育館に来るのはほぼ1年ぶり。昨シーズンは1試合だけ、”新生・さいたまブロンコス”を観に、トライフープ岡山との試合を観に来たのですが、これといってよかったとかは無く、誰の趣味だかわからないBGMのチョイスやグッズ売り場もとくに惹かれることもなく、試合も相手のゴールテンディングがなければダブルスコアという惨敗。コロナ禍ということもあり試合終了後も飲みに行くこともなければ即解散で寂しさを感じました。仕方ないことですけどね。

久しぶりに呼ばれる愛称、帰ってきた所沢市民体育館

土曜日の試合開始は14時。開場は12時だった所沢市民体育館。
開場10分後くらいにいつもの2階入り口へつながるウッドデッキに出ると
懐かしいブロンコスブースターの面々。
久しぶりに呼ばれるYuckyの愛称(正確には”Yuckyさん”、自分よりも若いブースターさんの方が圧倒的に多い。より親しくなるとユキオくんとか)。
「いやー、我々もだいぶ”飼いならされて”きてますよ」と笑いながら近況を語ってくれた。
今日の試合、会場2時間前くらいに、さいたまブロンコスチケット登録会員向けにご来場にあたっての注意事項みたいなメールが来てまして
 ・体育館には駐車場がございません、公共交通機関をお使いください
※体育館の駐車場は開放しておらず、駐車不可となります。
 ・体育館は土足禁止です。屋内履きと靴入れをお持ちください。
etc…。
待て待て、車で来たけど普通に駐車できたが何なんだ?
もし本当に停められなかったら体育館近くのコインパーキング使えばいいか位で来たので良かったのですが。
体育館履きはPUMAの一張羅を持ってきた(外では1度履いただけだったのできれいに靴の裏をタオルで拭いてきたのを持ってきた)。
運営が代わる前は普通に土足でOKだったのにね。1Fフロアに土足OKのグリーンのロールマット敷いてたのにね。
会場内に入るとブロンコスブースターは”いつもの席”に座ってました。
昨シーズンはエリア指定で前の方から運営が振り分けていた座席だったのですが、どうやら今シーズンは座席指定できるようになってました。
本当に割とみんな”いつもの席”座ってる感じで、
「前の方だと逆に見づらくて」と仲のいいブースターさんは”いつもの”4段目くらいに陣取っていました。
もともとbjリーグが始まった時に1階席のホームベンチのコート挟んで反対側で応援活動を始めたのがきっかけでした。
理由はベンチが見えるから、そしてベンチから見えるから。
埼玉ブロンコスのホームゲームは行った人はわかると思うのですが、勝ってるとき、負けてるとき、ここぞという時はMC無視してコールを始めるブースター。多くのbjリーグのチームのブースターに影響を与えた、とは言いすぎですが、初代bjリーグ ベストブースター賞のプライドはありますし、アリーナのお客さんと、MCと、プレーする選手たちで興業を作っていたと思えるような雰囲気はありました。本当に入ってる試合の時は、「天井から声援が降ってくる」とか「タイムアウトで、ベンチを囲むけどHCの指示が聞こえない」とか視察にきた某新規参入するチーム関係者が「この雰囲気をウチのチームにも持っていこう」と言われたほど。
今はコロナ禍、声が出せない状況下。たぶん今の運営はこのことは知らないんだろうなぁと思います。
余談ですが、声出しOKになったらぜひ、ブロンコスのブースターを山口(のホームゲーム)で見せてやりたい、と成田さん言ってましたよ。

そして、成田社長、斉藤さんに会う!

会場に入ってしばらくうろうろしていたら山口ペイトリオッツ 成田社長と広報の斉藤さんにお会いできました。正確には斉藤さんには挨拶できなかったのですが…。山口新聞のコラム読んで本当に心配でしたので安心しました。旧運営で一緒だった社員さんたちと前日にお会いしていたみたいで、再び地元に帰ってきたようでした(実際に埼玉が地元)。
じゃぁ、またこの後、ということで。

試合が終わった後に成田社長といろいろとお話をする機会を頂きました。
実は成田さんとは、成田さんが埼玉を離れる前に(といっても離れるとはその頃一言も言ってない)一度食事をする機会があり、その時は山口の”や”の字も言ってくれなかったのに。その年の7月にいきなり山口ペイトリオッツが誕生し、その直前にLINEで近況の報告がありました。直接話すのは久しぶり…あ、八王子アウェイでちょっと会ったか。
山口ペイトリオッツのいろんなこと、さいたまブロンコスのこと、新Bリーグのこと、書けること書けないこといろいろ聞けました。
Bリーグ参入への根回しと資料作り、会社設立の登記を同時進行ですすめ、2ヵ月で形にして、地域リーグからスタート。今シーズン、B3リーグに参入するという離れ業をやってのけた成田&斉藤コンビ。
そんな成田さんも62歳、あと10年できるかわからない、とまで言ってましたが、様々なノウハウや、培った経験や人脈は計り知れず、その全てをこのチームで活かしていくと応えてくれました。
山口ペイトリオッツ、いや、山口県の本気を見られる日も遠い未来ではないのだと感じました。

追伸・今シーズンのうちに山口のホームゲーム、観に行きたいという思いは強くなりました(が、まさかの職場異動)。
特にペイトリオッツを支えてくださってる社員の皆様には「会いに行かねば!」と思います。
なんか地下アイドルのヲタクみたいな動機ですが、ヲタクだから仕方ないのです。

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