音と言葉と金と愛

先日、Twitterで古武術家の甲野善紀さんが、鳥取のパン屋「タルマーリー」について言及していた。

タルマーリー
野生の菌で醸すパン、地ビール、カフェ

パンに使う酵母や麺菌は、全て自然から自家採取し、培養しているそうな。野生の酵母って初めて聞いたよ。
食べてみたいが鳥取は遠いので、近々通販してみる予定。調べるとかなりの量が届くようだ。タイミングを見計って頼んでみます。楽しみだ。

店主の渡邊格氏によると、菌の培養とスタッフの精神は密接に関わっているらしい
例えば失恋したての人が作ったパンは、カビだらけになるんだそうな。また、新鮮な気持ちで楽しく作る新人の味が、ベテラン職人を凌駕することもあるとの事。
甲野さんは、「菌」という生き物と対峙する仕事ならではの話、と纏めていた。
これって、子育てに置き換えると分かりやすい。多少デタラメで育児書を無視していても、ベースに愛情があれば結構大丈夫だったりするものだ。保護者も各種指導者も、(育てるための)技術は大事。でも愛が、何よりも子の成長を促す。

で、個人的に考えたこと。
自分が過去に対峙していた音楽(ピアノやってたので)、今は言葉と物語。そして報酬や消費という意味でのお金。これらを、生き物のように扱って、タルマーリーのような豊潤さをつくりたい。

言葉や物語は直接的な意味では、生き物ではない。「概念」、すなわち人が生み出したものだ。アート全般がそうですね。「概念」と言う意味では、お金もか。

「概念」は生き物か。それ自体は虚像だ。しかし発生源はヒト。そこに希望がある。因みに「音」は空気の震えだから、分子原子で考えてもいいと思うけどさ。

内官や五感の震えは理知と感情に変わり、やがて言葉という記号を生んだ。つまり、臓腑なんだよ、言葉の起源は。大局で考えると、自然や宇宙も関わっている。

だから、言葉や物語を扱うときには、愛情を持って向き合いたい。自分や、周囲の人たちの身体の声を、温かな手で受け止めたい。触れる喜びの中で書きたいな。
そんなことを思いました。

書けば書くほど、美味しいパンから遠ざかる気がしますが、食べたい気持ちに変わりはありません。ブレてません。
念願叶って食した暁には、感想を記しますね。

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