自分の中にいる人

執筆が煮詰まっている。今は物語に厚みを持たせるべく新しい資料を読み込んでいる。もっと面白く、せめて自分が「また読みたい」と思えるものを書きたい。頑張ります。

日々は怒涛で、容赦なく嵐に襲われる。昨年末からの風邪が長引き、最終的には倒れた。仕事は2月に一悶着、ふた悶着あった。そして最近プライベートもごたごたしていた。しかし冬はもう終わりに近づいている。自分の核である「筆」に、再び集中しなくてはならない。

先日、友人とじっくり話す機会があった。とても育ちの良い人で、幼い頃蝶よ花よと可愛がられたことが、社会人生活でもプラスに働いているようだ。ただ嫉妬もかなり浴びるらしい。色々大変そうだが、基本的に心根が綺麗なので持ち前の朗らかさと優しさでたのしく生きているみたいだった。
ただ、中々の八方美人でもあって「人に嫌われたくない」と連呼していたのが印象的だった。だからこそ、周囲の心に敏感で、的確な対応ができるのだろう。
「嫌われたくない」「見捨てられたくない」という感情は誰もが持つ感覚だ。いわゆる承認欲求ですね。

個人的には、変に周りに媚びる言動をするとあっという間に自分を嫌いになるので、あまり意識しないようにしている。ただこういう場に文章を載せる時点で矛盾も発生している。零細アクセスnoteとはいえ、誰かに見てほしいから書き込む。もっと言えば共感や承認も求めている。炎上は嫌です、怖いし。
だからと言って、真逆の意見を持っている人から何か言われても自分は変えられない。正当な反論なら受容・思考したのちにレスポンスするけど、謝るとかはない。

自分の中には大体3人くらいの人がいる。
大きな位置を占めているの12歳くらいの坊主の少年だ。馬鹿みたいに冬山を駆け、家に閉じ込めると暴れるみたいな子。
そして思索者な大学院生、オタク男子。研究好きで、物事を俯瞰で見て分析したがる青年。
最後は叶姉妹と假屋崎省吾のハイブリッド。あるいはミニ美輪明宏。洋館に住みピアノを弾き、美に妥協せずエレガンスを信条とするオールドミス。
この人たちに嫌われるのが最も恐ろしい。全部自分ですけど。

承認欲求のベースには不安や寂しさ、或いは自信のなさがある。そんな人は大抵、心に涙や刃を持っている。私も涙を持っているので分かる。ただ、溢れた雫を拭うハンカチや、白刃を受け止める両手の種類が違うのかな。
そこが「人」か、「芸術」「カルチャー」かの違い。勿論芸術だって人が生んだものだが、芸術は失せないし、一人で心を守れるのが良い。人は裏切るからさ。

そんな話を友人にしたら「わたしには自分がないのかもしれない」と寂しそうな顔をした。自分がありすぎる私はうまく返事ができなかった。後悔している。
承認欲求を上手く活用する柳のようなしなやかさと、秘めた情熱を持つ友人を心から尊敬しているからだ。そう伝えればよかった。

たかだか酒場での会話ですが、感じるものがあったのでつらつら考えてみました。良い思考実験になった。あと、先日アップした「己の卑小さを知れ」にもつながった。次作はこれで行くかな。


サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。