信じるべきは

先日、以下の記事を読みながら声を上げて泣いてしまった。

(上記スクリーンショットは記事にリンク)

人間関係で悩んだ経験がある人なら、記事のどこかしらが響くはずなので、とにかく全編読んでほしい。

上記記事より引用。

東畑:そうですね。一つは繰り返されている人間関係の問題です。会社で上司とうまくいかないとか、パートナーとの関係性が難しいということが問題になっているんですけど、よくよく聴いていくと、その人の人生では同じような人間関係が反復され続けているというのはよくある話です。
それは、その人の心のクセというか人間関係の型なんですけど、重要なことは、誰とでもそうなるわけではないんですね。親しくない人とか関係が遠い人とは普通の関係が作れるのだけど、距離の近い人とはそうなってしまう。特に大事にしている人との間で、その関係が現れやすいんです。

首がもげるほど頷いてしまった。

私の場合、大切な人から「粗末に扱われた」と感じても、うまくかわしたり反論したりする事があまり出来ない。大概は翌日、或いは数日経ってから「あれって失礼だったんじゃないか…?」「なんだか深く傷ついたような気がする」と思い至るのだ。ひどい時など数年かかったこともあった。常なるストックホルム症候群なのかもしれない。現実を受け止めるのがもの凄く下手なのだろう。しょうもないですね。
で、気がつくと一人でもやもや凹み、怒る。無駄に時間をかけて鬱々とした分、感情に歪みが入って負のエネルギーが増幅される。かと言って、相手にそれをぶつけられるかというとそんな事もない。時間経ってるしな…などと考えて抑える事が多い。不満は澱のように蓄積されていく。
そのまま流れていってしまう事が圧倒的に多いが、何かしらのスイッチが入ると、急に逃亡し、もう二度と会わないと誓う。まあ、ほとぼりが冷めてから和解する事もあるのだが。
稀に爆発する時もある。大体感情に飲み込まれてうまくいかない。
書いてみると分かるが、本当に真から鈍臭くてヘタレなのですね、わたくし。生まれてきてすみません。
もちろんある程度経験を積み、自分のパターンは大体分かってきた。またやっちゃいそうだな、という時に自分の中で感情処理することはそれなりに出来るようになった。でも相手と建設的に関係を進めるのはまだへたっぴーなままだ。いい歳して困ったもんです。

ただ記事にもあったが、ここまでに至るのは親密な関係性に限る。大して親しくない相手であればそこまで感情が動かないから適当にあしらえるし、傷つくこともない。心的に距離を取りさえすれば大丈夫だ。もしくはその人なりの事情を探し、察する。「まあ今体調悪そうだしなー」「ああいう環境にいたなら、こうなっても仕方ないか」なとど思えれば大概の刃はかわせる。

………

「適当にあしらえない」相手に対して、どうやって良い関係性を構築したらよいのか悩む自分に、記事中盤の鈴木悠平さんの『ふたつのカミングアウト』はもの凄く突き刺さった。

簡単にまとめると、以下の二点だ。
職場で多忙やその他諸々から適応障害になり、移動することになった際、最後に尊敬する上司へ「期待をかけられ嬉しかったが、もっとあなたに守ってほしかった」と伝えたこと。
同時期に第一子が誕生し、以前は生誕後1ヶ月は休みを取ると宣言していたが、多忙により休暇を取れなかった。それを妻から責められた時、「申し訳ないと思ってるが自分の体調も良くなくて辛い、でもとにかく今、君には嫌われたくないんだ」と話したこと。

この対応について、対談相手のカウンセラー・東畑開人さんは「鈴木さんは傷つくリスクを恐れず、相手に愛情を差し出している。つまり他人を信頼している」と絶賛していた。

ここまであけすけに愛情を信じ、表現できるなんて本当にすごい。

私はヘタレなので傷つくことが本当に怖い。関連して、情がやたらに深い。おそらく無意識下で「沢山愛情を差し出せば嫌われないんじゃないか…?」と考えているのだと思われる。そして尽くしすぎてウザがられる。
或いはあえて深入りしない。比喩だが、「怒涛のプレゼント攻撃をするが、相手からはあえて何も受け取らないようにする」みたいな態度を取る。根本的に人間不信、もっと言えば自分を信頼していないのでしょう。
するといずれにしても、大体は雑に扱われる末路が待っている。つまりは舐められるんでしょうね。で、そうなるといっぱしに凹むんです。「あんなに色んなものあげたのに」的な浅ましい感情が湧いてくる。
そしてうじうじ期間を経たのち、逃亡か爆発に至るのだ。

文字にすると心からぐったりする。狭量な人間性を改めて突きつけられました。反省します。
幸いにして、今身近にいる人たちとは良い関係性を築けている。こんな奴なのにみんな優しくしてくれて本当に申し訳ない。心から感謝しています。

ただ、ある親密な人との間に、先日ちょっとした出来事があり、現在「うじうじ期間」を過ごしている。何度かは流してきたけど、このままうっちゃっておくのはまずいなと思っていたところにこの記事を読んだ。
初読時は自分でも引くほど泣いた。人間関係における自分のパターンを省みる機会にもなったし、それを打破して前に進もうというモチベーションを与えられた。鈴木さんレベルの直球は投げられないけど、自分もきちんとキャッチボールをしたいと思う。
自分の傷を晒す事は、少なからず相手を傷つけてしまう行為であるとも言える。それで嫌われるのは怖いし嫌だ。でも、今回は相手を信頼して、傷を晒して出されたものを受け取ろうと思う。むっちゃ怖いけどさ。

親や子供、パートナーや親友、近しい仕事仲間など、親密な関係性を保ちたい人とは、出来るだけ朗らかに居られる状況を作りたいし、互いに開示した心を理解し合いたいと思う。それは慈しみ合いであると同時に、傷つけ合うことでもあるんだと知った。
まあうまくいくかどうかは分からんが、ベストは尽くそうと思います。

運営のsoar、東畑さん、鈴木さん、素晴らしい対談をありがとうございました。もう10回以上は読んだけど、今後も繰り返し読む記事になりそうです。


サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。