第1章 中国人の面子について

本有料マガジンでは、「中国人とうまく付き合うために我々が理解すべき3つのこと」を説明しています。本記事は、その第1章として、3つのことの1番目、面子について説明します。面子とは何か。

1-1 面子とは?

面子とは何か。まずはいきなり結論を書いてしまいます。しかも、有料記事なのに、無料で閲覧できる部分に結論を書きます。

中国人の面子とは、「ある個人の実力や能力に対しての周囲(世間、社会)からの評価」(社会的評価)または、「その評価の大きさ」のことです。それが面子です。非常にシンプルですよね。何も難しいことはありません。「面子」をここまでシンプルに表現した文献は、おそらくほとんどないでしょう。

※実際には、「ある個人に対する周囲からの評価」など、実体のないものですから大きさなどわからないし、決めようもありません。また、面子とは個人個人の感情です。なので、面子をより正しく表現するのであれば、「その個人自身が、社会からどう評価されているか(または評価の大きさがどのくらいであるか)を自分で感じ取ったもの」が面子です。要するに、社会評価に対する本人の受け止め方感じ方です。なので面子とは、「自分に対する周囲の評価の自己認識(およびそれに対しての感情)」というのが言葉の上ではより厳密な定義になるでしょう。しかし、ここまで表現の厳密性にこだわる必要もないと思います。社会の評価自体と自分の認識はだいたい同じであるとの前提で、以降、面子を単に「自分に対する周囲(社会、世間)の評価(の大きさ)」と表記いたします。ただし、実際には、評価(の大きさ)そのものではなく、評価(の大きさ)に対するその人の認識や感情が面子です。

なので、面子を保つ行為とは、自分に対する評価(の大きさ)を保つため、または、評価を上げたり、落とさないようにしたりするための行為です。いわば、自分の能力や実績を周囲に対してアピールするデモンストレーションです。

また、面子が保たれる(いわゆる、面子を保つ)というのは、周囲へのアピールが奏功して評価の大きさが保たれることです。面子がつぶれるとか、面子がつぶされるというのは、アピールが失敗して評価を落としたり、他人によって自分の評価が貶められることを指し示します。厳密な定義のほうで言えば、面子がつぶれるというのは、「自分の評価を落としてしまったと認識し、感情を害すること」になりますね。その結果、当然悔しくて恥ずかしい思いをすることになります。

中国人にとっての面子とは、よりよい社会生活を営む上で、最も大事なものです。ある意味、日本人にとっての社会的信用と同じようなものです。「同じ」というと語弊があるかもしれませんが、日本人にとっての信用と同じくらい大事な位置づけにあるもの、もしくは、日本人にとっての信用以上に大事なもの、それが中国人にとっての面子と言ったらよいでしょう。

感覚的に申し上げるなら、「日本人にとっては信用が第一。中国人にとっては、面子が第一」となります。中国人にとって、面子とはそれくらい大事なものです。(※1)

ところで、「中国人の面子=周囲の評価(の大きさ)」であり、なおかつ中国人にとって社会生活を営む上で面子が一番大事であるということなら、中国人社会では、周囲からの評価を高く保つことが社会生活を営む上で一番大事なことであるとも言えるわけです。(※2)

面子を保つための行為自体は、たとえば、日本人が見栄を張る行為やプライドを保つ行為と似ている部分があります(※3)。そのため、中国人の面子の本質が見えにくくなっています。すなわち、「面子って言うけど、それって見栄のことじゃないの?プライドと同じじゃないの?」と思われてしまいがちです。しかし面子と見栄やプライドは、まず目的が違うのです。面子を保つ行為の目的は、見栄を張る行為の目的とはまったく異なります。また行為自体も、似ている部分、重複している部分がある一方で、見栄やプライドと大きく異なる部分があります。一番端的には、中国人の面子を保つためのアピールは、日本人には理解できないほど、派手で豪快で大げさです。ときには無駄にしか思えません。

以上が、「面子とは何か?」という問いに対する回答なのですが、これだけでは何のことやらわからないでしょう。実際問題として、中国人を理解する上では、「面子とは何か(=面子の定義)」が重要なのではなく、なぜ中国人は面子を大事にするのか、どういうときに大事にするか、そのほうが重要です。しかしながら、面子の定義ははっきりしていなければ、それをなぜ大事にするのかも理解できるわけがありません(※4)。なので、この節で、そこをはっきりさせて、しっかり定義しました。

というわけで、面子の定義は明確になりましたが、まだ疑問は何も解決されておりません。面子に関してさらに重要なのは、以下のようなことだと思います。

・いったいどうして中国人にとって面子が大事なのか
・中国人はどういうモチベーションで面子を大事にしているのか
・プライドや見栄と面子は何が違うのか。どこに違いの本質があるのか。
・日本人社会でも周囲の評価(社会的評価)は大事なはずだが、中国人社会は何が違うのか。
・面子を保つ目的は何なのか。
・なぜ、あそこまで露骨で派手で豪快なアピールをするのか。中国人社会には、中国人がせざるを得ないような理由や事情があるのか。
・面子に関する知識や情報を中国人との付き合いにどう活かしていったらよいのか。

以上のようなことを明らかにしないと、面子を本当に理解したことにはならないでしょう。なので、長くなりますが、面子に関する根本のところから、具体例、応用に至るまで、以下、ゆっくり説明させていただきます。

まずは、ここで説明した「結論」は、いったん忘れていただき、改めて、面子とは何かを一緒に考えていきましょう。

(※1)ちなみに、日本人にとって社会生活を営む上で最も大事なことのひとつが信用です。信用が第一であるということをきちんと認識している日本人がどれくらいいることか・・・。

(※2)ここで皆さま、ひとつ疑問をいただかれるかもしれません。すなわち、「信用というのも、社会からの評価の1項目だろう。もしそうなら、日本人も周囲からの評価を保つという意味で中国人と同じではないのか?それとも、中国人は、信用だけでなく、評価全体を重んじ、日本人は全体の中で信用の部分だけを重んじるということなのか?」と。この疑問に対する回答は、次節以降の説明をお読みいただければ十分ご理解いただけると思いますが、ここでざっくり答えを言えば、半分正解です。確かに、日本人の場合、自分に対する評価全体の中で、信用の部分を重視しますし、中国人は別の部分を重視する(信用はあまり重視しない、もしくは、信用という概念が希薄)というのが違いの一つです。そこまでは正解です。でもそこだけがポイントではありません。もっと大きな違いとして、重視の仕方が大きく異なるという点もあります。そちらがまさに日本人と中国人の大きな違いになります。

(※3)見栄とかプライドが何であるか、というのも曖昧ですね。それをはっきりさせないと、面子とプライドの違いも見えてきません。本noteでは、そのあたりも明確に説明していく予定です。

(※4)いろいろな文献やサイトを見ても、「面子」を正しく定義しているものはほとんど見かけません。全然違うことを面子と呼んでいたり、本質の違う的外れな定義をしていたり、確かに本質はついているがあくまで面子を大事にする社会的背景を面子としていたり・・・。面子そのものと、面子がどういう意味で大事なのかは、きちんとわけて考えないと理解できません。

(補足)私が面子に関しての認識を深めるのに役立った文献として、以下のサイトがありました。すでに公開はされていない文献ですが、pdf化されているかもしれないとのことです。

WISDOM
ホーム>経営・戦略>連載コラム>深層中国~巨大市場の底流を読む>第33回
面子(メンツ)とは何か ~中国社会を動かすエネルギー源
https://www.blwisdom.com/strategy/series/china/item/1362-33.html
※2021年1月25日現在、公開なし。(pdf化されているらしい)

このコラム記事では、
面子の定義として、「(社会的な)問題の解決能力」「他の人にできないこと(※)をする能力」としています。
※他の人にできないこと:例として、普通の方法でとれない飛行機のチケット取ってくれるとか、通常ルートでは会うことにできない著名人に面会できるとか、異例の取り計らいができることをあげています。

さらにこのコラムでは、「中国では、何か(社会的な)問題が起きて、解決したい場合に、公の組織や制度が頼りにならないから、だれか、他人(個人)の力に頼らないといけない場合がある。そのため、高い問題解決能力を持つ人が重要だ。そういう人と近くにいないと、快適な生活もできない。」と説明しています。

そして、「高い問題解決能力がある人を『面子が大きい』と表現し、これが中国での最高の褒め言葉のひとつであり、皆がそうなりたいと思っている。なので、中国人にとって、面子が重要だ。」と説明しています。

面子の定義を「問題の解決能力」としているこの記事を読んだとき、最初私は、目から鱗が落ちたような思いで深く感動しました。面子の定義はこれに違いない、ようやく巡り合えたと思いました。それまで、面子の定義としていろいろ考えていたにもかかわらず、どうもしっくりこないことが多く、思い悩んでいたときだったからです。この定義は、非常に斬新に思えましたし、また説得力もありました。

ただ、その後思考や検証を続けるうちに、どうもこれも違うなと思うようになりました。確かに、問題の解決能力も、面子の対象、すなわち、社会や周囲から評価されたい自分の「能力や実力」のひとつであるとは思いました。しかも、中国社会において非常に重要な能力であろうとは理解しましたし、そこには異論はありません。しかし、だからといって、これ(=問題解決能力)が面子とイコールなのか、というと、それは違うなと思い始めた次第です。問題解決能力も面子(評価)の対象としては非常に重要な位置にあるとは思います。しかし、面子の対象はそれだけではないです。もっと広く、その人の資質全体を含めるべきだと思いました。(ただし、個人によって資質のうちのどこを面子の対象とするかは人それぞれ。全部ではない。)

今は、また以前と同じように、面子の定義は、「個人の社会からの評価(の大きさ)」としています。「大きさ」という言葉を付け足すことで、この定義における表現(言葉)として違和感も解消することもできました。なので、今では、これが面子のもっとも合理的かつ適切な定義だと信じています。そして、面子の定義よりも重要なのが、面子を保つ「目的」の部分だと思います。それを、次節以降で説明したいと思います。

なお、上記コラムの内容に関しては、抽出された事実も、分析も、論理も、そして文章表現も正確かつ優れたもので、コラムの作者の推察力には今でも敬服していますし、内容についてもまったく異論はありません。中国および中国人を理解する上で非常に参考になったコラムです。ただ、面子の定義の部分は、本質を突いてはいるけれど、少し違うなと思った次第です。

上記と同じ筆者によるコラム
中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/041100064/103100011/
(2021年1月27日最終閲覧)


1-2  面子が発現される具体例とその背景

中国人の面子を理解するための第1歩として、「面子」が発現される具体的な場面をいくつか羅列的にあげて、分析してみたいと思います。これは面子に関するの事実関係を、皆様と情報共有を図ることが目的です。少々長くなりますが、大事なことなので、お付き合いください。ただし、長すぎてどうしても読み続けることが辛抱できなくなった方は、最初の①②の分析のところまでお読みいただいて、あとは読み飛ばして次の章に進んでいただいても大丈夫です。③~⑦の説明は繰り返しみたいなものですから。

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