1. 「渋谷じゃナイト」

「渋谷じゃナイト」

渋谷という街は本当に嫌いで、馴染めない街だった。
歩いていると誰彼構わず声かけをするナンパ男にもウンザリしていたし、
ガヤガヤしていて臭いし。
道玄坂のユニクロの向かいのビルには派遣会社が入っていた。
その前に私は立っていた。
大学を卒業して1つだけもらったWEB広告会社の内定を入社直前にお断りしてしまってから、わたしは自由気ままに生きていた。
アルバイトをしたり、絵を描いたり、週末は誰に声をかけるわけでもなく1人でライブハウスに行ったり。決まって場所は渋谷だった。
失礼な話だと思う。こんな私に内定を出してくれた会社はそこだけだったのに。
お祈りメールは見飽きていたのに。
目が血走って二重幅の広い色白の20代くらいの男に紹介されたのは渋谷ヒカリエの地下のケーキ販売の仕事だった。
すんなりそこに決めた。
当時の私は5歳年上の男性とほとんどの時間をすごしていた。
彼は新宿でアパレル販売のアルバイトをしていた。
バンドメンバー募集の掲示板で知り合った。結局バンドなんてしなかったけど。
彼のお気に入りの古着屋は高円寺の西友の側で、ロン毛の小柄な男性店員と仲が良かった。
彼は元カノと同棲していた押上の家を借りたままだったし、元カノと育てていた犬の写真を待ち受けにしていたけど。

社会の一員として働いているという事実があることは最高で、
自己否定感を少しだけ和らげてくれた。
彼の職場に地下アイドルの女の子がバイトで入ってきたとか、その子が大原櫻子に似ていて彼好みだったとか、そういうことはあったけど。
季節は変わって、店は閉店になった。
看板メニューのモンブランも、
もう販売されることはなくなった。
その後に宮益坂のIT会社に落ちてから、
私は渋谷には行かなくなった。
彼は押上の家を引き払ったけど、
すぐにうまくいかなくなった。

一年後、たまたま街で彼に会った。
すぐにくれたSNSのメッセージは返さなかった。私は就職して、渋谷を通るようになった。学生時代居酒屋バイトをしていた南口の雑居ビルは取り壊されていた。一階のリンガーハットは当たり前になくなっていたけど、誰彼構わず話しかけるナンパ男は健在だったし、相変わらず渋谷の街はガヤガヤしていて臭かったな。




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