誰かは誰かの宝物

すごく嫌だ、と思うことがある。

ふと気分転換に
「不適切にもほどがある」を見て
かなり元気付けられたところではあるんだけど、
ふと中学時代の音楽の先生のことを思い出した。

その先生は元ヤンで、
過去はかなーーり脅迫じみた授業をしていたらしく、でもそれをある時やめた、という話をしていたことがあって

「生徒たちは誰かの宝物だから」

と言っていた記憶があって。
それをね、不適切にも〜を見ていて思い出した。

普通に過ごしている中で
「うわ、その言い方、ドン引きすぎる…!」
「その言い回し、さすがにないわ…傷付く」
と思うことって、めちゃくちゃあって、
人よりもそういうことを思う機会が多いタイプだとも思っている。

特に仕事をしていても、
平気で「え…」というような言い回しで物事を伝えてくる人が居たり、ドン引きしまくる言葉をかけてくる人は本当にめちゃくちゃたくさん居る。

でも、人間はみんな誰かの大切な人なんだとか
誰かの宝物なんだ、みたいな意識があると
もう少し人にやさしい言葉や思いやりのある言動を取れるのではないか、と思う。

言葉を大切に適切に扱うって、
私にとっては人生のテーマというか、
生きていく中で大切にしている。

…というのも、過去の自分は無茶苦茶だった、とも思っているし。

ただひとつ、何か人に伝える時、
ちゃんと人間(誰かの宝物)という根底の認識で接するかどうかはすごく違うというか、
自分が思っていることや、価値観はすごくかける言葉で滲み出るものだなぁ、と最近しみじみ。

そんなこともあってか、
「不適切にもほどがある」の今回の話はなんだか色々沁みたところがあるよ。

まあでも。
そんな中で自分を自分でどう扱って、戦って、生きていくかは、本当に自分次第だね。

私は基本的にガラスの心だし、豆腐メンタルだし、脚本家である前に個人事業主としても、自分の扱い方などは考えていかなきゃいけない。

ほんと世知辛い世の中だし、生き抜いていくのは大変だけど、人の心は忘れないようにしたい。
忙しいって、「心を亡くす」って書くしね。


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