そして時は2020

2019年を振り返ってみる。

毎年、何かしら変化というものはあるけれど、この一年は、私を大きく変える様々な出会いや経験が特に多かった。

百貨店の催事やイベント会場のブースでカレーを売らせていただいたり、はるばる和歌山まで出張カレーに行ったり、ミシュランで星を取るシェフからコラボのオファーをいただいて一緒にイベントをやったり。カルチャー誌から取材を受け、挙句の果てには、住宅メーカーのCMにまで出演してしまった。

身に余る光栄、いや、本当は身分不相応もいいところで、どれも、カレーがつないだご縁によるものだ。
カレーというコンテンツがどれだけ魅力的で、人を惹きつけるものなのかということを、改めて思い知らされた一年だった。

私は自分のことを、決して「カレーの人」だとは思っていない。
もちろん、美味しいカレーを作れるようになりたいと思っているし、みんながそれを美味しいと喜んでくれるのは、私の幸せの一つであることに間違いはない。でも、ただ美味しいカレーが食べたいなら、美味しいお店やプロレベルの知人をいくらでも紹介しよう。
私がカレー(を含む料理活動)を通して人々に伝えたいことは、もっと別のところにあるのだ。でも、それを伝える機会はなかなかなかった。

今回、雑誌の取材やCM出演に際してのインタビューで、私は自分の活動について話す機会を与えてもらった。そのとき話した内容の一部はこんな感じ。

- 世界を旅して経験した各国の食の面白さを伝えたい。
- 様々な地域の食の共通点や変化には「理由」がある。
- その「理由」を探求していくことの面白さを、人々と共有したい。
- なぜ人がそれを食べているのか/食べていないのかを知ることは、その地域に住む人々の歴史や文化を理解することにつながる。

こんなことを、ライターさんやCMディレクターの方に、長い時間をかけてお話しした。みんな、とても面白がって聞いてくださって、インタビューは盛り上がった。私も、調子に乗ってたくさん喋った。
しかし、完成した雑誌の記事や、CMに当て込むナレーションに選んでいただいたト書きのフレーズを見て、私はハッとした。
こうやって言葉にすることで、図らずも、私が自分の活動の本意をなぜ伝えられていないかが、浮き彫りになったのだ。

カレーをふるまう活動は、反応が目の前で見えるからとても楽しい。
わざわざ「美味しくなかった」と言ってくる人はいないから、かけてもらえる言葉は、「美味しかったよ」になる。
それは、(お世辞だったとしても)居心地がよくて、料理活動というのは、私にとっては、人をだめにするソファみたいなものなのかもしれない。

でも、結果として、私は今年多くの人から「カレーの人」という印象を持たれるようになってしまった。
それは、至極当然のことで、私が自分の活動についてのアウトプットを行ってこなかったからだ。活動の本意が伝わらないことへの落胆以前に、伝える努力をしていないのだから、どうしようもなかったのだ。インタビューという形で言葉を紡ぐことで、ようやくそのことに気が付いた、というより、わかっていた現実から逃げられないタイミングに来たのだな、と思い知らされた。

そんなわけで、来年は少しばかり、生みの苦しみの泉に足を突っ込んでみようと思っている。
20年ぶりに、ちょっとだけアカデミックな世界に戻って、かつて、人生を捧げようと思っていた文化人類学の視点から、自分が伝えたいことをちゃんとアウトプットしていきたいと思う。旅の経験も、ちゃんとフィールドワークとして活かしていきたいし、そうして仮説や検証を繰り返しながら、考察を深めていこうと思っている。
それが結果として、論文という体を成しえるのかどうかは分からないけど、「誰にも頼まれていないけれど、誰かが望んでいるはずのこと」だと信じて、全力を注いでみようと思う。
全力疾走していた1995年頃の自分を思い出して。


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