「公務員やっていけないかも」と思ってしまった頃を思い出す

大学で看護師になる勉強をしていた私は、卒業後、地域の予防医学に携る保健師になった。
区の職員として働く、公務員だ。

看護師になる勉強をする学科だったので、同級生のほとんどが看護師になったし、その方が就活はスムーズなはずだった。だけど、より【コミュニケーションで解決する】【コミュニティで解決する】的な側面の多い保健師が魅力的だと思って、自ら望んで、一生懸命勉強して、公務員試験を通過した。 期待に胸を膨らませていた。

しかし、就職して1発目、配属されたのは、まさかの1人職場だったのだ。

高齢者専門の、介護保険などを扱う部署だ。
1年目の保健師は通常、保健センターという、保健師がたくさんいて、母子・精神・難病など、地域保健の多くを担う部署に配属され、そこでいろんな先輩の指導を受けながら、いろんな分野の経験をつむ流れがあった。しかし、私が入職した年、冬に妊娠が発覚した先輩がおり、産休に入る関係から、新人の私が突然その1人職場に配属されたのだった。

1人職場と言っても、保健師が1人というだけで、事務職や福祉職の先輩はたくさんいた。みんなお父さんお母さんみたいで、めちゃくちゃ優しかった。そして、同じ部署に長年いる人がほとんどで、めちゃくちゃ優秀だった。

ただ、だからこそ私は迷走していた。
自分の仕事が、自分の立場が分からなかったのだ。

高齢者の部署では、【保健師の仕事】と明確に決まっているものがあまりなくて、フォローの対象になる人を、いろんな職種の目でチェックしていく仕組みだった。
この部署が長い先輩たちは、保健師として配属された私の知っている、高齢者の健康問題について、みんな私より詳しくて、私が気付くポイントには、先輩方がどれも先に気づいて対応していた。私は保健師の資格はもっていても、仕事上の保健師としての振る舞いも知らなければ、他大勢の保健師がもっている、【保健師の仕事】というものの経験もなかった。
最初は「私は保健師!」と意気込んでいたけど、どんどん自分の役割が分からなくなって、でも教えてくれる人もいなくて。できなくても【部署の娘】として大切にされて。どんどん意義が分からなくなった。

こういう時、普通は「もっと勉強して、専門職としての役割を果たそう」と思うのかも知れない。でも私は、それができる人間ではなかったのだ。

しばらくして、私は頑張れない自分にも、事務職の先輩たちの意識の低さにも嫌気がさしてきた。
毎日普通に何時間単位で遅刻してくる先輩がいて、毎日ずっとしゃべってお菓子食べてるだけの先輩がいて、朝礼が終わったらそそくさと立ち話に行って延々帰ってこない先輩がいて。大人なのに同僚いじめに近いことをしている先輩がいて。
でもこの世界は固定給の年功序列で、どれだけ頑張ったとて変わらない。そう思うとやっぱり頑張れなくて。というのも言い訳かと思うぐらい自分に生産性がなくて。

私は、仕事とはこういうものなのだと諦めた。キラキラ活躍して困っている人の力になって…という保健師に憧れていたけど、現実とイメージにはいつだってギャップがあるものだ。これから退職まで40年間、こうやってすごして行くのだ。

そう思ったら、今度はプライベートに楽しみを見出したいと思うようになった。

そんな時思い出したのが、高校時代に思い描いた「看護師になる」ともう1つの夢「自分の考えた物語が女性誌に載る」だった。
公務員は副業禁止だったので、その時はもう、職業として「女性誌に載る」とかは考えていなかったけど、せっかくなら、その技術をどこかで1度しっかり習ってみたいと思った。

社会人1年目の10月、私は某お笑い興業会社の作家養成学校に入学することを決めた。そこが良かったというよりは、お笑い狂いの私が聞いたことのある、唯一の作家養成スクールだったのだ。

そして2年目の春、産休の先輩が戻ってくるということで、私は【保健師の仕事】が集まる保健センターに異動することが決まった。

ホッとした。
まだ「保健師でいたい」と思えるかも知れない。

(でも結果、作家の仕事に魅力を感じてしまい、今にいたります笑 続きはまた別記事で書くかも)

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