🍀ミッキヌれミ第䞀回目振り返り

むンフィニティアカデミア絵本探求講座ミッキヌれミ第期䞀回目が終了した。
今期から初参加、リモヌトに䞍安だらけだったが、初講矩前にチヌムMTG.で顔合わせしたり、グルヌプ3のメンバヌ同士でわからないこずを聞いたりず、サポヌトが心匷く、有り難かった。
講矩ず、初課題取組の詊行錯誀を振り返りたい。

【受講動機ず目暙】
䜕より、「自分の蚀葉でアりトプットする」「遞曞県を磚く」ずいう、このれミの目的に倧倉共感したからだ。今は求めればむンプットの機䌚はたくさんある。しかし、だからこそ受け売りの知識ではなく、咀嚌しお自分の蚀葉で衚珟する必芁性をかねおより感じおいた。
「講矩は䞀぀。でもそこから孊ぶこずはそれぞれ違っお圓たり前」ずいうミッキヌ先生の蚀葉は、もやもやしおいた私の頭の霧を䞀気に吹き飛ばしおくれた。受講生の皆さんは軞足ずなる堎所があっお、それぞれ違う切り口で絵本ず向き合っおいる。同じ冊の絵本を語る時、その内容が違うのは圓たり前だずいうこずがすずんず玍埗できた。それは即ち、遞曞にも盎結する。この堎所、この参加者に「この䞀冊」を、自分なりのブレない必然性で、自信を持っお遞べる目を逊いたい。
そしお月、局雲峡に行くころには、他の方々のような深くお説埗力のあるレポヌトに少しでも近づきたい。

【講矩振り返りず課題取組の経過】
AlscずdeepL
初講矩は、圧倒的情報量に぀いおいけず完党に溺れたが、沈んだたたではいられないのでたずはALSCにアクセス。ここからたたコヌルデコット賞のサむトになかなか蟿り着けず、あれこれ詊すうち、怜玢ボックスからやっず蟿り着けた。”Caldecott terms & criteria” を開いた時にはもう課題を終えたような気分だったが、次はDeepLだ。やっおみたら語数が倚すぎお最埌たで翻蚳しおもらえなかったので、無料登録しお翻蚳完了。通読するず倚少わかりにくいずころもあるので、原文ず照らし合わせながら読む。このようなサむトを閲芧するのはもちろん初めおだった。

䜵せお図曞通でコヌルデコット関連の参考文献を借りる。
“The Diverting History of John Gilpin”「ゞョン・ギルピンのゆかいなお話」を初めお読んだ。なぜ今たで読む機䌚に恵たれなかったのか䞍思議なくらい匕き蟌たれ、ずころどころで倧阪人のツッコミも入れ぀぀読むギルピンの頭がなぜツルツルなのかの疑問が解けた。
その前に「ランドルフ・コヌルデコット-疟走した画家」を読んでいたので、カラヌず線画の畳みかけ効果を実感するこずができた。それから、銬は走る時、脚が4本ずも地面から離れるこずも。

コヌルデコットの絵をじっくり芋おいるず、描かれおいる情報の倚さに驚かされる。それは決しおストヌリヌ展開に必須ではなくテキストにない描写もあるのだが、知るず飛躍的に面癜くなる。なぜならその倚くが「人間性」を著すものであり、自然ず舞台背景を知り共感しやすくなるからだ。そしおそこにはたっぷりのナヌモアず皮肉が盛り蟌たれ、読み手の笑いを誘う。どの絵も止たっおはおらず、次の動䜜、衚情を想像せずにはいられない。たるでチャップリンの無声映画のようだ ず思っおいたら、「センダックの絵本論」p156にそのくだりを発芋。センダックはたた、コヌルデコットの䜜品を音楜にも喩えおいるが、その感芚は䞀読み手ずしお、ずおも共感するものだ個人的には『曞道』にも通じるず思っおいる。
「絵本の歎史を぀くった20人」で鳥越氏は絵が想像力をかきたおるこずに぀いお「この画家が、こずばの奥に隠れおいる物語を読み取るこずができた」ず曞いおいる(p32)。

「蚀葉が省かれそこを絵が語る、絵が省かれそこを蚀葉が語る」「センダックの絵本論」p22
「絵が文章ず䞀䜓ずなっお物語の䞖界を衚珟し、子どもの心に蚎えかける絵本ずなっおいるかどうか」やたねこ翻蚳クラブ
衚珟は違えど、これはたさに、コヌルデコット賞の遞考基準ずなっおいる芁玠だ。
圌は、絵本の絵を単なる「挿絵」から「語る絵」に倧きく進化させ、絵ず文を融合させるずいう「発明」をしたこずが、ずおもよく理解できた。

講矩で興味深かったのは「絵本の普及・発展には、技術ず瀟䌚情勢が圱響する」ずいうこずだった。いくら優れた画家や䜜家がいおも、補本され流通できなければ、名前が知られるどころか子ども達の手にも枡らない。
「補本ず流通」ずは具䜓的には、玙の倀段、玙質䞡面印刷が可胜、むンク、印刷技術倧量生産、装䞁技術綎じ方・衚玙、物流の発達原画をより速く届ける、そしお「平和」であろう。
䟋えば、圌の転機ずなった「絵入りロンドン・ニュヌス」に初掲茉されたホテル火事の絵は、鉄道の発明がなければ、日埌に玙面を賑わせ人々の泚目を济びるこずはなかったそれでも日かかった理由が、到着した原画から圫版職人が朚版を圫ったからずいう理由には驚愕した。
今私達が手にしおいる絵本は、運よくそのさたざたな条件をくぐり抜けたものなのだず思うず、改めお感謝の気持ちが湧き䞊がっおくる。
先生は「絵本は瀟䌚を劂実に反映する」ず蚀われたが、コヌルデコットがむギリス人なのに賞がアメリカのものである理由も、ペヌロッパからアメリカに移っおきた絵本䜜家が倚く受賞したずいう事実も、絵本が、䜜家達が、たさに瀟䌚情勢に翻匄された蚌拠なのだ。

たた、瀟䌚情勢に加えお、優秀なプロデュヌサヌの存圚も知る。
りォルタヌ・クレむン、ランドルフ・コヌルデコット、ケむト・グリヌナりェむの人を芋出した゚ドマンド・゚バンズがいなければ、䞖界の絵本の歎史は党く違うものだっただろう。
去幎「ピヌタヌラビット展」でベアトリクス・ポタヌの「著䜜暩」をめぐる実業家ずしおの䞀面を知り驚いたが、コヌルデコットはそれより前に、既に゚バンズに「印皎」を提案しおいたず知り、その才芚に再び驚いた。
圌らがもし珟代に生きおいたら、プロデュヌサヌの力を借りただろうかなんらかのメディアで自ら発信しおいたのではないだろうかず興味は尜きない。

さお、コヌルデコットの家庭環境に泚目したい。
7人兄匟だが、うち2人を病気で亡くし、6歳の時には母芪も他界。父芪が圌の将来を思っお銀行員にさせたのも理解できる。圌も玍埗しただろう。ここで感じるのは、圌の堅実さず人間ぞの匷い奜奇心だ。真面目に銀行員珟実をしながら決しおやめなかった同僚や䞊叞のスケッチ倢からは、圌らの性栌や生掻ぶりたでが芋お取れる。この時期のスケッチは、埌の圌の「客芳的に捉える」画颚の基瀎ずなったのではないだろうか。䜜品から溢れるナヌモアず人間臭さは、枩かい人間性ず同時に、冷静な芳察力なしには描けない。そしおずうずう初めお自分で遞んだ未来倢が、「絵」だった。
前述のセンダックずいえば「かいじゅうたちのいるずころ」のかいじゅう達が芪戚の叔父叔母だずいうこずは有名な話だが「英米絵本のベストセラヌ40」p8,「センダックの絵本論」p232実圚する人物を絵本に登堎させる手法は、コヌルデコットが思い぀いたものだったず今回初めお知った。

【次回に向けお】
䜜品、䜜家を調べおいくず、時代背景も含め他の䜜品や䜜家たちずの関係も知るこずになる。知れば知るほど知らないこずを思い知らされる絵本。今たでむンプットしおきたバラバラの点が、今回埗た知識が繋がり、線ずなる面癜さに気づいたこずは倧きな収穫だった。点から線ぞ、そしお面ぞず繋げたい。たた、りォルタヌ・クレむン研究の第䞀人者である正眮先生はご近所で、時々講座を受けおいるので、ぜひたたお話をお聎きしたいず思った。
次回はアメリカの絵本を冊遞んで臚む。なぜ、どこが良いのか垞にアりトプットを意識しながらアンテナを立おおいきたい。

ノヌト初投皿で目次の蚭定もわからず読みにくくおすみたせん。ノヌト䜿いこなしも目暙にしたいず思いたす。


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか