見出し画像

届く、声

町田その子さんの52ヘルツのくじらたちを読んだ。

私は最新の話題作を読むってあんまりしない。バイアスがかかっているような気がするから。だから私が読むタイミングってちょっと遅い。この作品も話題になっていた頃に知っていて、何度も手に取ったけど読んでいなかった。天邪鬼である。

きれいで、残酷で、苦しくて、温かい作品だった。後半、ずっと涙が止まらなくて、一行どころか一単語で涙がこみあげてきてしまい、前に進めないページが続いた。本を涙で濡らさなかったのが奇跡と思えるくらい、ボタボタと落ちる涙に、自分でも少しびっくりした。

アンさん、キナコ、52。どの人も痛みを抱えたまま、絶望して、苦しんで、それでもギリギリで踏ん張って、お互いが手を伸ばし合って、ちゃんと手を掴んでもらって。そして周りで見守って、お節介を焼いてくれるあったかい人たち。閉ざされているようで閉ざされていない世界がリアルだと思った。

感想を書き留めたいと思って書き始めたけど、言葉が綴れないというのは久しぶり。今朝は仕事の関係で現地とやりとりがあり早起きしたのだが、そのまま本を開き、コーヒー一杯淹れて一気に読んでしまった。泣きすぎて頭痛い。

苦しい時、誰も分かってくれないと思っても、それでも声を上げる、それは誰かに届くから。これだけ書くと安っぽいけど、アンさんとキナコが出会ったように、キナコと52が出会ったように、あるんだと思う。読み進める中で、二十歳の頃出会って付き合っていた人を思い出した。母親からいきなりカミングアウトされて荒れていた私のそばにただただずっと居てくれた人。その人に感謝してることも、今でも大好きだと思えることが一気に思い出されて、また泣く。

キナコの友人の美晴が節介を焼いて訪ねてきた時も、大学時代に私が友人と喧嘩して荒れていた時に、べつの大事な友人を傷つけてしまいボロボロになっていた私を見て、心配して無理やり外に引っ張り出してくれた友達を思い出した。キナコを久々に見つけた美晴がのちに「後ろに鎌を持った死神がいた」、この小説の中でも表現されていたけど、当時の私もそんな感じだったと、あとから聞いたっけ。見つけてくれる人がいるのだと思い返し、また泣く。

ひとりなんだろうけど、ひとりじゃない。それを思い出させてくれた。

声が届く相手がどんな人かは関係ない。性別も年齢も、もしかしたら国籍も。きっと見つけてくれるし、私も見つけたいなと思った。