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私は自分が前時代の遺跡であるかのように感じるよ

 海の側にある遊園地に行ったから、私は自分の内にある虚無に覆われることとなってしまいました。
 息子が保育園で入場料無料のチケットをもらってきたので、お弁当持参でお出かけしてきたという訳です。
 その遊園地は私が子供の頃、町内会のバスツアーで行った場所でした。スイカ割りをしたりスケートをしたりしたものです。回るプールに入ったりプールのスライダーで滑ったりしたものです。
 あの頃、私が一番仲が良かった友達とは、もう縁遠くなってしまいました。全ての友情も、私の元を去ってしまったようです。それどころかなんとなく、疎まれているのではないかとさえ思っています。うまく説明出来ないのですが、私は感じるのです。
 例えば、もう20年も前の教室で、クスクス笑いや歪んだ口元が、私を見る一瞬の白けた目が、私を苦しめました。誰かが誰かを否定していると、「間接的に私のことを非難しているのではないか」という考えを振り払うことが出来ませんでした。恥ずかしいことですが、私は今でも、同じことに苦しめられています。
 子供を産んだら女は強くなる、といいますし、まあ流れやなんや色々あって産んでみたのですが、期待は見事に裏切られたのでした。
 夫と息子がコーヒーカップに乗っています。
 私はiPhone11でそれを撮影しながら、自分の三半規管も揺れるのを感じます。

 高校生の時にいつも一緒に行動していた、蒼ちゃんのことをぼんやりと思い出します。
 彼女には少々不器用なところがあって、私も一緒にいるの時々イライラしてしまうことがあったものですが、しかし今考えてみると、彼女は私を拒否しようとはしませんでした。退屈なところがありましたが、人のことを悪く言うこともありませんでした。今、彼女を思い出すと、なんだか勇気づけられるような気がするのでした。それは、ずるいことかも知れませんが。私は心の中で、蒼ちゃんに話しかけてみました。
「今ね、自分がこの遊園地みたいに、古ぼけて埃臭い、大きすぎて空っぽで、もうほとんど遺跡だという風に感じるの。格好だけ、幸せそうにしているけれど、ただの形だけなの。」
 心の中の蒼ちゃんに、相槌を打ってもらいます。
「遺跡?」
 そういって、彼女は不思議そうに首を傾げます。
「蒼ちゃんといた時は、へんてこな女子高生だったのにね。孤独で自由だった。」
「孤独…私もいたけど。」
 と蒼ちゃんは笑ってくれます。学生時代には、よくこんな風に突拍子もないことを言って彼女を困らせたような気がします。
「今は、孤独なだけかも。」
 私は、家族がいるじゃない、という返事を待っています。そう言って欲しいのではなくて、そう答えるしかないから、です。
 でも蒼ちゃんはそうは言いませんでした。にっこりと笑って、
「私も。」
 と、笑うのです。

 古い遊具。埃臭い建物。平和を表現しようとし続けている芝生。バブルの時代に建てられて、大きな修復をされずにここまで生きてきた遊園地。遠くに見える海が青いのも、他のどんな解釈も許されていないようで、窮屈に感じてしまいます。
「ママ!」
 くるくる回る大きなカップの中から息子が手を振って、私も手を振り返します。
「りょーう!」
 髪が美しく午後4時の日光に輝いています。私は願わずにはいられません。
 どうか、私に似ませんように。丈夫でありますように。無垢なまま、傷つかず、そのため人を傷つけることもせず、強くありますように。傷ついたために、惰性で、きっと君が持っているであろう情熱のようなものを、失わないで生きていけますように。
 夕方が遺跡と私を海の底に沈めようとしている間に、彼の瞳はキラキラと波の光を模しているのでした。

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