狭き門より入りなさい。少数派はステイタスだ - SF作家の地球旅行記 カナダ編(2)

前回のあらすじ:Nintendo Switch を買わずにカナダに来た)

モントリオールはカナダ第2の都市だ。都市圏人口は380万人なので、札幌・福岡くらいの規模感である。フランス語圏としてもパリに次ぐ大都市であるため「北米のパリ」を自称している。「というわりに小汚い」と上野君は言うが、パリも小汚いので問題ない。

ちなみに日本には「○○の小京都」を自称する都市が山ほどあって「全国京都会議」なんてものまである。『横浜駅SF 全国版』という書籍を出した身としては親近感を覚える。

空港で入国手続を終えると夜10時。SIMカードショップはすでに閉店していた。日本のコンビニじゃないから仕方ないよな、と思いつつ横に目をやると、花屋がふつうに営業していた。SIM よりも花が大事らしい、さすがフランス語圏である。音信不通だった恋人にも「君のために花を買っていたら、SIM が買えなかったのさ」と言えば許してもらえるのだろう。

「SIM がないので適当にわかりやすい場所で待っててくれないか」

と空港 Wi-Fi で上野君に連絡すると、24時間営業のカフェを指定される。フランス語の案内を雰囲気で解読しながらバスに乗って数十分、着いたときには既に日付が変わっていて、上野君は眠そうな顔で MacBook 作業をしていた。申し訳ない。おみやげに日本食でも持ってくるべきだった、とそのときは思った。

ところが彼のアパートにはインスタントラーメンが大量備蓄されており、その方面は不足していないようであった。むしろ困っているのはPCキーボードの不調らしい。キーのいくつかが接触不良になってしまったが、日本語配列を使っているのでカナダで代替品が手に入らないのだ。

「先に言ってくれれば、日本から余ってるキーボード持ってきたのに」

「本当にそれですよ。先に言えば良かった」

というわけで今回の教訓:海外在住の日本人を尋ねるとき、持っていくべきは日本語配列キーボード。はいメモ。

ちなみに「将来はグローバルで活躍する研究者になるぞ」と思っていた若き日の僕は、こういう未来を見越してUSキーボードに乗り換えたのだが、結果的に日本で日本語の小説を書く実にローカルな仕事をしている。人生はままならない。

なおモントリオールのPCショップに並んでいるのは「カナダ版フランス語」という市場が小さそうな配列である。たぶん頼めばUS配列も手に入る。

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SIM の問題に話を戻すと、なんと上野君はこの国に数ヶ月滞在しているにも関わらず SIM カードを持っていないらしい。

「そこら中に Wi-Fi が飛んでるので困りませんよ」

実際、市内はそこらじゅうに飲食店の Free Wi-Fi が飛んでいるし、日本みたいにメールアドレス登録とかしゃらくせえ事をしないのでほとんどモバイルネットワーク感覚で使える。電波法が違うのか、となりの店の Wi-Fi を平気で掴んでしまったりする。

ただしこのあと「フレンチを食べに行きましょう」「電話予約が必要らしい」「電話ないから予約できませんね」といった会話をしたので、無意識レベルで不便しているようだ。

僕はこういう「なくても困らない」は信用しないことにしている。「低スペックのパソコンでも仕事に困らないよ」と言っていた人間が高スペックに買い替えた瞬間に「いままで俺は仕事をしていなかった」とか言い出すのを見たことがある。リソースの不足は「不便だ」と気づく想像力ごと抑制するのである。

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そんな話はさておき、先述のとおり僕はカナダに原稿を書きに来たのである。ところが上野君の自宅はちゃんとした冷房がなく、日差しが暑くて仕事にならない。カナダは夏が短いのでそういう家がよくあるのだが、避暑のつもりでカナダに来たのにこれでは本末転倒である。(ちなみに日本の2019年7月前半は雨ばかりで涼しかったので、避暑としては失敗)というわけで外に出て、適当な喫茶店に向かう。

外国のスタバでは取り違え防止に名前を聞かれるが、日本人の名前なんてそうそう聞き取ってもらえない。適当な英語名をつけても発音が悪いとうまく通じない。悩んだ末に見出したベストソリューションはトヨタとかホンダとか名乗ることである。

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ラテを飲みながら一仕事すると、携帯ショップの開店時間になったのでそちらに向かう。空港で入手できなかったSIMを改めて買うためだ。

しかし HUAWEI の CFO がカナダで逮捕されたのがつい最近のことだ。ここでアジア人が HUAWEI の携帯を持ち出して「ここにSIMを入れてくれ」なんて言ったら妙なことにならないか……と少し不安だったが、いざ店頭に入ると目の前に HUAWEI P30 Pro が堂々展示されていた。まったくの杞憂だったらしい。いまから考えてみるとあまりにアホらしい心配なのだが、知らない土地では妙なことにナーバスになってしまう。

携帯ショップの店員は他の客と会話中だったので、その間に料金プランを確認しようと思ったが、大量に積まれたパンフも壁のポスターもすべてフランス語である。ケベック州の住民はこういう施設でも英語を用意するつもりはないらしい。

「Frais aux 30 jours - 25$ - Messagerie texte et photo internationale illimitée - Données 500 Mo」

とパンフに書かれている。Google 翻訳で調べようと思ったがネットがつながらない。そのためにSIMを買いに来たのだから当然である。仕方ないので受験時代に身に着けた「文脈から推測」技術を駆使する。

「Bonjour」が「良い日」という意味だからおそらく 30 jours は「30日」である。「30日25ドルで無制限の写真付きテキストメッセージと500MBのデータ通信」といったところか。Mo は MB のフランス語表記と思われるが octet の略だろうか、と思ってググろうとしたがネットが無い。完全にググりが手癖になっている。いま大学入試を受けたら試験中にごく自然に携帯取り出しちゃいそうで怖い。自然すぎて試験監督も気づかないかもしれない。

ようやく前の客の話が終わり自分の番になる。「2GB のプリペイドSIMをください」と英語で言うと、相手も英語で対応してくれる。所定の手続きを進めていくと「日本人ですか?」と聞かれる。

店員「来月、日本に行くんですよ」

湯葉「8月は暑いですよ。それにすごく湿気が多い(humid)」

店員「何だって? ああ、ユーミッドね」

といった会話をする。フランス語話者は英語を話すときでも語頭の h を省略するらしい。そういえば先程スタバで「ホンダ」と名乗ったときも店員は「オンダですね」と言っていたが、カップにはきちんと「Honda」と書いていた。声に出さずとも頭のなかで h の有無を認識しているのだろうか。恩田陸がフランスに来たらホンダリクになってしまうのではないか。

データSIMの入った携帯を持つと、それまで観光バスに乗っていたのが、急に自家用車に乗り換えたような気分になる。道路があるかぎりどこへでも好きなところへ行ける。SIMは自由の象徴だ。国旗の意匠にしてもいい。

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「モントリオール 観光」で検索すると、決まって一番上に出てくるのがノートルダム大聖堂だ。それしか見るものがない、と言わんばかりである。名古屋でいえば名古屋城に相当する。実際に行ってみると、ごらんのとおり観光客が暑い中ズラッと並んでいる。

旅慣れた人間は、名所に並ぶ観光客を小バカにする傾向がある。行列ができるのは誰でも知っている名所であり、そういうところに行くのは観光ガイドブックの内容を確認する作業にすぎない。本当の旅は「確認」ではなく「発見」でなければならない。てなことを思っている。

僕もそういう通気取りなので、行列を避けるために平日の朝にノートルダムに向かった。「たまたま散歩していたら大きな教会があったので入ってみたよ」という雰囲気を出すために、開門時間も調べずにアパートを出た。ところが朝10時にも関わらず門の前にはガッツリ観光客が並んでいる。どうやら8時から入れたらしい。通気取り、通に溺れる。

入場料は8カナダドル(630円)。ひとつきりの窓口で白髪のおばあちゃんが入場券と小銭を受け渡している。キャッシュレス化の進行しているカナダには珍しく、クレジットカードが使えない。行列をさばくのに時間のかかるカードは都合が悪いのだろう。

ちなみに入場料はUSドルも受け付けている。が、こちらも8ドルなので3割ほど高い。「カナダドル無くてもカードで大丈夫っしょ」という傲慢なアメリカ人は多くの金を徴収されることになる。

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中は見学コースがあるわけではなく、巨大な礼拝堂をみんな好き勝手に見物したり写真を撮ったりしていく。暑い中行列で待たされたので、しばらく礼拝堂の椅子にすわってぐったりする。冷房が効いていてなかなか快適だ。雰囲気もよい。これでコーヒーが出るなら作業場にぴったりだ(飲食禁止)。

ノートルダムすなわち Notre Dame とは聖母マリアのことである。日本には天照大神を祀る神社が全国各地にあるが、フランス語圏では同様にノートルダム大聖堂があちこちにある。先日パリで火事になったのもノートルダムだ。

僕の実家はプロテスタント系のキリスト教徒であり、日曜に通っていた教会は木造のシンプルなものだったので、カトリックの教会を見るたびに「うおー派手だな」と思う。観光ウケは明らかにこちらのほうが強い。異教徒の客がぞろぞろ入ってきたらなんか邪魔じゃないのか?

と心配になるが、奥の方に信徒専用の小さな礼拝堂がきちんと用意されていた。飲食店の隅の方にあるちっちゃな喫煙席を思わせるスペースだ。観光と信仰の線引ですさまじい軋轢があったのだろうか、と勝手に想像する。「4時間」と書かれたロウソクが売られているので、2ドル払って火をともす。日本の仏閣では線香だが、こちらはロウソクらしい。

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教会近くのカフェで昼飯をとると、壁に人生の真理が書かれていた。

「人生になにか問題はあるか?」「それについて出来ることはあるか?」YESでもNOでも「なら心配はない」。なんとかなるならなんとかすればいいし、ならないなら心配しても仕方がない。

まったくそのとおりだが右下にアイコン的に使われている葛飾北斎が気になる。「なんか禅問答っぽいのが出来たから日本っぽい絵貼っとこうぜ」みたいなこと考えたんだろうか。

【つづく】

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