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本当の東京砂漠はここにある - SF作家の地球旅行記 伊豆大島編

「東京には空がない、ほんとの空が見たい」というのは高村光太郎の妻・智恵子の言葉である。おそらく昭和初期の東京は、工場の排ガスとかで今よりもずっと視界が悪かったのだろう。いまの東京は高層ビルで空が狭いものの、晴れればきれいに青い。

智恵子同様に福島県で育った身としては、平成令和の東京はひたすら狭い場所である。コンビニに入っても棚と棚の距離があきらかに近いし、飲食店でも隣の客に肩がぶつかりそうになる。都会の無機質さを「東京砂漠」と表現したりするが、砂漠だったらもっと広々としてほしい。「コンクリートジャングル」の方はしっくり来る。

ところで比喩でない方の「東京砂漠」は実在する。国土地理院の認める日本唯一の「砂漠」は、実は東京都内に存在する。日本国民の大多数がそこが東京だと認識していない島嶼部である。

伊豆大島はその名のとおり静岡県に近く、また千葉県や神奈川県にも面しているが、行政的には東京都に属する。南沙諸島もびっくりのエキセントリック県境だが、これは歴史的事情による。

火山性の伊豆諸島ではコメが作れず、主な産業が漁業と塩作りだったので、コメ本位制の幕藩体制に馴染まず江戸幕府の直轄地となり、維新後もそれを継承する形で東京となったのだ。このため島内では帝都東京の象徴であるピーポくんが我が物顔で闊歩している。「コメがとれないとピーポくんが来る」と覚えよう。

当然、都内から直行の船も出ている。山手線を浜松町駅で降りて徒歩数分、竹下桟橋から乗船する。本数の少ないローカル線とバスを乗り継いで全国の離島を回ってきた身としては驚きのアクセス性である。

今回は東京出張のついでに行くので(筆者は地方在住)、宿泊費節約の観点から夜行便の大型船を使う。22時に出港して朝5時に島に着く。この他に2時間のジェット船があるが少々高い。

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大型船は金を積めばホテルみたいな部屋に泊まれるが、今回はいちばん安い2等和室を選んだため、絨毯に枕がひとつ置かれただけの大部屋に通される。毛布の貸出もしているが有料(100円)。まさに自由資本主義の象徴、令和の蟹工船である。『タイタニック』でディカプリオが乗ってた三等客室ももう少しマシだった気がするが、沈む予定がないという点ではこちらの方が優れている。

朝が早いのでさっさと寝ようとジャケットを羽織ると、同室の釣り客らしき方々が酒盛りをはじめる。ネックウォーマーとイヤホンで視覚と聴覚を遮断する。結構寒いので毛布(有料)を借りればよかったと後悔。

まだ日も昇らないうちに港に着く。伊豆大島には岡田港(北側)と元町港(西側)があり、船がどちらに着くかは天候次第で当日にならないと分からないらしい。「天候が理由で発着港が変わる」って大航海時代の話じゃなかったのか。

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とりあえず腹が減ったので朝7時からやっている飯屋に入り名物を名乗るべっこう丼を食べる。見た目がタマネギっぽいけど魚である。うまい。

今回の予定はレンタサイクルで島一周(44km)である。基本的に離島と湖は一周しなければならない。一周することでその全体像を体感的に把握するためである。

レンタサイクルは一番早い店で5時からやっている。漁業の町はだいたい異様に朝が早い。わりとちゃんとしたクロスバイクやマウンテンが並んでいる。こちらは東京出張のついでだったので3日分の荷物を抱えていたが、レンタサイクル屋のおばちゃんが気を利かせて荷物を預かってくれて、かわりのウエストポーチまで貸してくれてアメを2個くれた。素晴らしいおばちゃんなので勝手に「大島の母」と呼ぶことにする。

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大島の母いわく、島を一周するなら時計回りの方がラクらしい。地形図を見るかぎり差はなさそうだが言われた通りにする。日本は左側通行なので、時計回りのほうが海が見やすいのは一応の事実である。

大島を一周する道路はそのまんま「大島一周道路」と呼ばれており、他に道らしい道があまりないので迷う心配はない。12月で気温は10度前後だったが、アップダウンがありすぐに暑くなってくる。着ていた冬用ジャケットを腹に巻き直してエッチラオッチラと走る。交通量は少ないが、すれ違う車はみんな品川ナンバーである。なるほどここは東京都内なのだ。

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この日の天気は良好で、元町港を出て富士山を見ながら走っていくと最初に出くわすのは大島空港。調布飛行場への定期便が毎日飛んでいる。「都内から都内へ移動する飛行機」と聞くとすさまじいブルジョワを想像してしまう。片道12,000円なので蟹工船の3倍ほどする。

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岡田港を過ぎたあたりで「泉津の切り通し」と呼ばれるポイントがある。ファンタジー異世界につながってそうな風情があるので「パワースポット」と紹介されているが、登ろうとすると通りすがりのおじさんから「そっち行っても何もないよ」と指摘される。ネタバレはやめて欲しい。

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ネタバレおじさんの忠告を無視して行ってみると打ち捨てられた建物があり、「六十年度卒園制作」と読めるモザイク画が飾ってある。幼稚園でもあったのだろうか。昭和60年というと三原山噴火の前年だが、この何だかよくわからない園の関係者が無事であったことを願う。

さらに進むと結構いろいろ見られたのだが、あまり書くと僕自身がネタバレおじさんになってしまうので止める。怪物と戦うものは自身が怪物にならぬように気をつけよ、とニーチェも言っている。

島の東側はひたすら上り坂で標高400くらいまで達する。離島というのは基本的に起伏が激しいので、島を一周するのとだいたい山登りコースがある。「海沿いだから平坦でしょ?」と考えるのは湘南海岸しか走ったことない素人である。

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登りきってしばらく走ったところに謎のコンクリ構造物がある。バス停の待合所かと思ったが時刻表も椅子もない。なんだろうこれは?トンネルを作りたい事業者が都政と癒着して作ったのだろうと推測し「無駄な公共事業」と名付ける。後にこの構造物に命を救われることになるとは、この時はまだ知るよしもなかったのである。

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無駄な公共事業の向かい側に、おまちかね東京砂漠の入り口がある。自転車をとめて徒歩で砂漠に侵入する。ススキの生えた道を1.3kmほど進むと、大島の裏砂漠が広がっている。

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ご覧のとおり東京砂漠は黒い。アスファルトで全面舗装してあるのではなく、玄武岩なので石自体が黒いのである。振り返って海を見ると房総半島が遠くに見える。おそらく千葉の館山あたりだろう。

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砂漠といっても鳥取砂丘みたいにズボズボと足が埋まる感じではない。どちらかというと砂利を敷き詰めた駐車場に近い。それでも長く歩いているとだんだん靴に砂が入ってくる。

なお伊豆諸島の中でも新島は流紋岩質なので白いらしい。「砂漠は黄色いものだ」というステレオタイプを是正してくれる実にポリコレな諸島である。

※ここで一旦CM。玄武岩・流紋岩といったワードを見て「なんだっけそれ?中学で習ったけど忘れた」という人には藤岡換太郎『三つの岩で地球が分かる』をオススメ。中学地学の知識がより体系的にまとめ直されていてスッキリする。

火山岩とわずかな草だけ生えた景色、そして見慣れた青空と太陽。「まだ地上に動物が進出する前の地球」みたいな雰囲気がある。雰囲気の話なので「その時代ならシダ植物しかねーだろ」といった正当なツッコミはご遠慮下さい。

東京砂漠を堪能したのでサイクリングに戻ろうとするが、来た道を戻ったつもりが途中でススキに道を阻まれてしまう。おかしいな、と思って Google Map の航空写真を見て驚く。どうやらこの東京砂漠、タコ足のように複数の道が伸びていて、そのほとんどが大島一周道路につながらない「行き止まり」なのである。

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航空写真の解像度ではどれが正しい帰路か分からず、途方に来れて1時間ほど砂漠をさまよった後、ふと自転車をとめた場所にあった「無駄な公共事業」を思い出す。あれだけ大きい構造物なら航空写真にも映ってるはずだ、とグリグリ路上を拡大する。

3G電波しか入らないので画像の読み込みをじっと待ちながら「無駄な公共事業!あってくれ!」と念じ続けてどうにか発見。あとはGPSで現在位置を確認しながら無事車道に戻る。ありがとう無駄な公共事業!

後で知ったのだが、このトンネル状の物体は噴火時のシェルターらしい。三原山が噴火した際はこの中で第一波をやり過ごして逃げろ、とのことである。前回の噴火が1986年なので「周期を考えるとそろそろ」だそうだ。火山島の住民のリアルが感じられる。

民主国家において権力に批判的な目を向けることは大事だが、だからといって物事をよく調べないまま「無駄な公共事業」とレッテル貼りをしていないだろうか?その土地に住む人間がどのような問題に直面しているのかちゃんと考えただろうか?と真面目な話につなげようとするがどう見ても無理があるのでやめる。

どうにか東京砂漠を脱し、島の南端である波浮港に着く。人んちっぽい食堂で昼飯を食べ「貝の博物館」へ向かう。建物が町役場にしか見えないので心配になったが、中は非常に充実している。

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普通「博物館」というと展示品がいかにも希少そうに見せるものだが、ここは実にワイルドにどじゃ〜んと乗せてある。1つくらい持って帰ってもバレなさそうだ。「陸貝」というコーナーがあって「えっそんなモノがいるのか」と思って見たらカタツムリだった。そうか冷静に考えるとあいつら分類学的に「陸の貝」なんだ。

東京砂漠をさまよったせいで12月の太陽はすでに沈みかけている。島の西側にある地層切断面が夕日でいい感じに映える。これが時計回りの理由か。納得。

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愛称が「バームクーヘン」でバス停もその意匠になっているが、なるほど完全にバームでクーヘンだ。見てると腹が減ってくる。「おいちそうな地層」という令和を代表する大爆笑ギャグを考えたのでご使用の際は私までご一報ください。

どうにか日が沈む前に元町港まで戻り、大島の母に自転車を返しに行くが不在である。電話したところ「自転車置いてドア閉めていってください」と言われたのでその通りにする。手荷物を整理している間に島民らしきおじいさんが回覧板を置いていく。おおらかな島である。


ところで、観光協会は伊豆大島を含めた島嶼部を「東京諸島」と呼ぼうとしているらしい。竹芝桟橋で配っていたパンフレットにも東京諸島と書かれていた。東京ブランドと都内からのアクセス性を強調したいのだろう。

行政的に東京都なのでディズニーランドよりも「東京」を名乗る正当性はあるのだが、どうも「東京諸島」と言われると東京湾の埋立地を想像してしまい自然の島というかんじがしない。

有料部分では一泊した翌日、三原山に登った話をします。


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