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100m走が速ければ全部解決する『ひゃくえむ。』の疾走を見よ

「好きな漫画を文字だけでプレゼンする」は、表現筋の筋トレのために好きな漫画について作中のコマを一切貼らずに語る企画です。ネタバレありでやるのでご了承ください。

今回紹介するのは『ひゃくえむ。』である。『チ。―地球の運動について―』で話題沸騰中の魚豊先生の前作、全5巻完結済。

タイトルが示すとおり、これは100m走を題材としたスポーツ漫画である。「100m走漫画って、あんな単純な競技で面白くできるの?」と思われただろう。それについては後述するとして、まず登場人物を見ていこう。

主人公のトガシは小学6年生。生まれつき誰よりも足が速く、冒頭数ページで100m全国1位を獲得している。さらに中1で全中優勝する。おいおいなんだこいつは。こんな強キャラが主人公では、スポーツ漫画一番の見どころである成長や超克を描けないではないか。

といっても、「主人公最強」は元々ジャンルとして確立していると言っていい。スポーツ漫画から挙げると、浦沢直樹『YAWARA!』の猪熊柔は作中一度たりとも負けず、オリンピックでも世界選手権でも金メダルを連発するが、その強さゆえに父親が失踪してしまい、それゆえに周りと違う自分に悩んだり、普通の女の子として振る舞おうとする。

こうした「強すぎる故の葛藤」を描いた漫画は多くあり、『ワンパンマン』のONE先生などはその名手といえるだろう。『モブサイコ100』では、強大な超能力を持ちながら「超能力がなければカラッポの自分」に悩む主人公・影山茂夫の心理を丁寧に描いている。

ところが、『ひゃくえむ。』の主人公トガシが冒頭で提示するのは、そうした「葛藤する最強主人公」に対するアンチテーゼである。すなわち、

「100m走では文字通り無敵 授業だろうと大会だろうと1位だった 他には何もない でもいつか気づいた それだけでいいのだと」(1巻7p)

である。人生は100mが速いだけでいいのだ。それを象徴するかのように、作中で彼の100m走以外の人間描写はほとんどない。小学生なのに両親や兄弟姉妹は作中に一切出てこない。後半では25歳になるが、こちらでも恋人や家族の有無などはまったく描かれない。

そんなトガシの前に登場するのが、小学校の転校生・小宮。陰気さゆえに転校直後からイジメに遭う彼に対し、トガシが提示した価値観がこちら。

「たいていの問題は 100mだけ誰よりも速ければ全部解決する」(1巻23p)

とんでもなくマッチョな価値観である。「筋肉はすべてを解決する」というマッチョだって筋肉の部位までは指定しない。上腕二頭筋だけで国家権力をねじ伏せるのはさすがに無理だ。ところがこの最強小学生は距離まで固定したうえで「全部解決する」と言っているのだ。

実際、トガシの指導を受けることで、イジメられていた小宮は「速い」を獲得し、それによって校内における地位を手にする。イジメていた相手は小宮より「遅い」ことによって権力の座から転落する。

だが成長した小宮はやがて、全国1位であるはずのトガシの「速さ」を脅かすまでになり、トガシははじめて自分が「遅い」という可能性に恐怖する。本作はこのトガシ・小宮のライバル関係を軸に、100mという距離に人生を託した者たちが繰り広げていく。


この漫画は小学生編・高校生編・社会人編というべき三部構成になっているが、全編を通じて100mが速いゆえの問題は一切発生しない。速いは権力、速いは正義だ。では主人公たちは何を恐れ、何に悩むのか。速くないことである。以上終了。

ローギアでダラダラ生きている自分からすると「いや人生そんな単純じゃないでしょ」と言いたくなるが、人生には速さほどの価値がない、ということを日本記録保持者である財津が言ってのけている。

「栄光を前に対価を差し出さなきゃならない時 ちっぽけな細胞の寄せ集め1人 人生なんてくれてやれ」(4巻57p)

作中ではイジメの描写が幾度となくあるが、それも100m走で勝てば翌日には逆転する。スクールカーストも100mの速さで決まるし、遅さゆえに職を失うことさえある。速さは人生の構成要素ではなく、速さが人生を従属させるのだ。

ただ、ここで一点注意が必要である。この世界のルールは「100mさえ誰よりも速ければ全部解決する」。すなわち「誰か」よりも速くなければならない。走者は無欲な求道者ではない、トラック上の泥臭い権力闘争に身を投じているのだ。

本質的に対戦スポーツでないはずの100m走だが、「これは自分との戦いだ」なんて澄ましたことを言うと負ける。実際、社会人編で記録だけを追っていた小宮は、財津という対戦相手だけを追い続けた海堂に一歩遅れをとる。

「記録もメダルも大切だ が それらは1位を生み出せない この世で1位を生み出せるのは ただ1つ 対戦相手だけだ」(5巻101p)


冒頭で述べたとおり、100m走は普通に考えて漫画にしづらい競技である。画面映えする必殺技もないし、ライバルの裏をかく戦略も出しようがない。個人戦ゆえにチームメイトとの絆もない。

だからこそ、というべきかはわからないが、本作はそのシンプル極まる100mという競技に、強大な権力性を与えた。すなわち、これは100mというトラックの上の物語というよりも、宇宙の中心となった100mのトラックと、その従属物として周回する人間社会の物語なのである。

ただ作中最後の日本陸上決勝だけは、100mという距離をそうした権力性から解放し、ただ純粋に10秒間を楽しむ走者たちを描いているように見える。終わりのない競争に殉じたトガシたちへの、ひとつの救いのように輝いている。


本稿の締めとして、印象に残ったセリフをひとつ挙げよう。高校生編の終盤、成長する小宮に危機感を抱き、卑怯な手で貶めようとした部長を、北九州大会の決勝で破ったあとの小宮の一言。

「大丈夫ですよ部長 陸上が全てじゃないんです」(4巻86p)

字面だけ見ると敗者への慰めだが、「100mで全部解決する」という価値観で回っているこの世界において、これほど残酷な言葉はない。非道に走ってなお敗れた部長は「陸上が全て」といえる資格を喪失した世界からの落伍者である、と勝者たる小宮は宣告しているのだ。そういう世界を彼らは走っている。


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