人生の迷い

 生活とは迷いの連続である。そしてその迷いを快刀乱麻、決断することというのは、とてつもないエネルギー必要とするなぁ、なんておもった朝であった。

 朝餉にスパゲティを食った。さいきんコストコというアメリカの販売店で購入した乾燥麺をつかったのだが、これがこまったことに「一人前」の設定がされていないのである。

 ふだんなにげなく使っているスパゲティは一人前の分量が帯封によってなされている。そうめんや蕎麦などもそうなっておって、やはり日本の企業というのは繊細な心遣いが配慮されているなぁ、なんて感謝感謝。

 こういうときに秤をつかえばよいのだろうが、常住、「男のクッキング」をなす拙宅にはそういったスケーラーのたぐいが皆無である。よって古来より受け継がれた「指の輪」方式を応用しようとおもった。

 だが、今回。コストコのスパゲティをゆでるのはじつは三度目である。それより以前の二度はこの指の輪方式によって計量に失敗。茹で上がった麺はすくなく、その日一日、望月家は昼餉までのあいだ、空腹に咽び泣いたのである。

 三度目は失敗できぬ。そういった気炎が、おれと妻のあいだにあがっていた。

 前回の失敗は麺が少なかったことにある。ではどうして少なかったのか、というと、そのコストコの麺がスパゲティにしては太麺であったためにある。と空気を察したのである。

 だからそっか! 今回はおおめに茹で上げればいいんじゃん! とおもうのが学習能力のたかいにんげんの業である。だからそうした。はは、かあさん、ぼくはにんげんらしく生きています。

 しかし、茹で上がった麺の量はすさまじい量であった。こんだぁ多すぎたのである。妻とふたり、もうもうと立ち上がる蒸気のまえで、悄然としてしまった。

 大は小を兼ねる。なんていうが、過ぎたるは及ばざるが如し。ともいう。先賢はそうしてひとを惑わす。そうしておれたちは今日もスパゲティの分量調節に失敗した。四度目は「今度こそ失敗してはいけない。じゃないとにんげん失格だ」なんていう気負いにより、いっそう迷うだろう。人生は迷いの連続だ。

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