【新型コロナに対して思うところ】

◾︎データから施策を判断してくれー!

そのためのデータを集めてくれー!

個人の不安解消や治療のためではなく、社会全体の動き方・動かし方を判断するヒントを得るために検査して実態把握してほしいの一言に尽きる。最悪、混乱を避けるために本人に検査結果を通知しないとしても、政府・都道府県ではデータを持っておいて欲しい。闇雲な判断ではなく、断片的にでもデータを元に将来予測をした決断をして欲しい。

現時点での問題は、やはり検査数が物理的に足りないから、みんな(市民もそうだし、自治体、国もそう)危機感をうまく見積もることが出来てないこと。そして危機感を共有出来ないことから来る行動様式の齟齬が今の日本の状況を生んでいる感じがする。

※この文章を書いている僕は、コロナウィルスは結構危ないと思っており、特に人工呼吸器が足りなくなると大変なので感染ピークを「出来るだけ緩やかにしたいよ派」です。

◾︎危機意識の差があると、自発的な集団行動はできない

先週、チャンスがあって数日間昼間のワイドショーを観ていたのだけれど、そこから見えてくるのは「危機意識の差を自動的に産む構造」が今の日本の情報戦略にはあるなってことでした。

・家庭にいる層(高齢者・主婦)は危機感『大』。朝から晩までテレビから、感染者数カウントによらない危機感が共有され続けている。高齢者は自分が死ぬリスク感じてる。

・家庭にいない層(学生・企業・社員)は危機感『比較的小』は、感染者数に依存したレベルの危機感しかない。社員から感染者出たらダルいな。若者は自分は罹っても大丈夫と思ってる節ある。だから休校したら遊びに出ちゃう。

この意識の差がいけない。

安倍総理がぶち上げた『突然の休校措置』に対する母親の反応も大きく2つに分かれていて、

・主婦層は賛成。これで子供も同居する母親も死ぬ確率がグッと下がった!やっと夢が叶った勢い。「♯学校休ませろ」運動もこの層からで、彼女たちにとっては『突然』ではなく、この日が来る事に備えていた。

・共働き層は否定的。そんな意味のないことやるなって勢い。「子供は休むのに親は休めない!」「突然で困る!」「親が満員電車では、結局何の意味もない!」

(脇道だが父親があまり出てこないのがこの国のジェンダーなんとかな感じがして残念)

様々な弊害はあるにせよ、休校措置は「感染拡大を緩やかにする」という第一目標に対する効果って観点ではいい施策だと思う。しかし「満員電車が残ってる」という批判のように、それだけでは全然足りないことも事実。やるなら様々な施策を複合させて効果を掛け合わせて、感染者数の増加を緩やかにしなければならないと思う。

ここでも、データの少なさからこの病気がどれくらいヤバいのか見積もれないから、どこまでやって良いのか不明瞭なことが関係してくる。
・どれくらい死ぬのか(最近3.4%に上がりましたね)
・直っても後遺症はどうなるのか(男性は精巣がやられて不妊症になるとか)
・そもそも治るのか(14%は再発症)

がどれも分かってないから、極端な施策に走りにくい。本当は経済を止めてでも拡大を防がないと日本沈没レベルなのか、そこまでするには値しないレベルなのか判断できない。

※今出てる致死率2〜3.4%くらいって罹ってから約30日くらいの致死率でしかなくて、僕は罹ってから半年、2年後とかの致死率が気になっている。
"この種の出来事に直面したら、最悪の事態に備えるべきだ"
https://courrier.jp/news/archives/192502/

◾︎じゃあどうすれば良いのか?

結論は、まだわからない。とりあえずデータがない以上、データに基づくボトムアップ的な判断は不可能。観測データではなく、シュミレーションによる可能性を元に判断するしかない。とってもリスキーだけど、これは研究者ではなく政治家の仕事。この辺は日本では橋下徹と同意見。北海道には940人くらいって予測を出した北大の西浦教授とかに期待はしている。

この状況では、決して楽観視せずに、最大限の危機感を社会全体で共有するべきな気がしてる。未知の感染症対策のセオリーとして、段階的な対策引き上げってのは誤りだと聞く。まずは大げさで良いと思う、その代わり地域と期限を切って対応する。大げさだけど東京には仮に10万人の無症状感染者がいる前提で全て決めるとか。罹ったら治らない前提でみんな警戒するとか。R0=2だとしたら数週間後に東京閉鎖くらいの最大限の危機感で立ち向かうことも必要だと思う。

で、その後どんどん検査していって「あれ?それほどでもなくね?」ということが可視化されてきたら、規制を解いていけば良い。それほどでもない地域は学校再開すれば良いし、それほどだった地域は「あのタイミングで休校で良かった〜」と思えば良い。

その間に伴う痛みは、政府がちゃんと補償すると言えばいい。(悲しいかな我々からの税金だけど)

◾︎個人で生き方を選択してもええんやで。

ここまでは政治的意思決定の話。
社会全体でこういう事が出来たら良いけど、経済的な色々があって出来ないならば後はもう自分個人の価値観でなんとか判断するしかない。

「コロナ怖くて休みたいけど金もない。会社があるから満員電車に乗る」と言うのならそれで良い。

症状でても大丈夫と自分に言い聞かせてホットヨガにでも行けばいいし、好きにすればいい。少し自分と周りの人の死ぬ確率が上がるだけで、大した事ないかもしれない。

どの程度危険な病気としてこのウイルスを見定めるかは、しばらく誰も決めてくれない。というか誰もわかってないから決められない。医者も楽観・悲観両方の専門家が連日それぞれの主張をしているし、WHOだって言うことがどんどん変わってる(悪い方に)。政治家も、楽観しても悲観しても周りに叩かれるからやりにくそう。

自分の中にあるフィルターを通して世の中を見ることは大いに結構。「全てが僕の観念で歪められていく、そしてそれこそが僕の真実だ」と若くして死んだロックスターは言ってたし「君は君らしく生きてく自由があるんだ」と、若い女性が歌っている。「テレビで誰かが大丈夫って言ってたから会社に通い続けたのに、感染したちくしょう!」とか文句を言っても、それは自分で選んだ生き方な訳で、テレビで喋ってた楽観派の専門家に文句を言うのは間違ってる。

僕は、というと今の所はまだ電車に乗っていて、隣の人が咳をする度にそっと目を閉じ呼吸を止める生活を選んでいる。いつここから抜け出すか、決めなきゃいけないなと、思い始めているところだけども。それはもう少し先かもしれないし、明日かもしれない。どんなニュースを観て、どう解釈するかで決まるんじゃないかなぁ。

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