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『「中東」の世界史』を読んだメモ①

〇〇を読んだメモがどれも①で止まってる、、、のはわかってるしはやく次書こうと思うんだけどわりと自分が同時並行に何冊か読むタイプだからまた①。

近代中東史の概説書、教授にオススメされて買った。

箇条書きのメモ、わかりにくい〜



臼杵陽著『「中東」の世界史』


はじめに

「中東」の21世紀の政治的混乱の歴史的諸要因を、中東の近代史の中に見出す。

「」は、中東という地域の延伸性、「はざま」という性格を示したもの。

⚫︎本書で扱う大きな時代区分
・19世紀:1797年のナポレオンのエジプト遠征から、1905年、1911年のモロッコ事件まで
・20世紀:イタリアトルコ戦争から、米ソ冷戦終焉後まで


第1章 「中東」の歴史を考えるために

⚫︎近代の分岐点:人やモノが自由に、大量に行き来できる状態が生まれた

⚫︎1798~1801年 ナポレオンのエジプト遠征
・対イギリスの戦略的意味(エジプト…インドへの道)
・1798年アブキール海戦でネルソン率いるイギリス軍と戦い、シリアまで進軍、パレスチナ攻撃は失敗
・1799年アブキール陸戦でオスマン軍に勝利、ナポレオン帰国後、ブリュメール18日のクーデターで統領政府を設立

⚫︎ナポレオンのエジプト遠征と、日本の黒船来航を比較すると?
・ナポレオン1798年、ペリー1853年、約50年の差
・エジプトは植民地化されたが、日本は独立を保った→ヨーロッパからの距離の違い/アメリカかヨーロッパの違い、など?

⚫︎歴史を学ぶということの意義
E.H.カー(英 1892~1982) の「歴史とは何か」
・歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話。語る人の視点からの再構成で、未来に向かって過去を筋道立てて考える
・事実と解釈の取捨選択
・反実証主義の立場

⚫︎中東は、地域外の諸要因の影響が大きすぎる
・「代理戦争」
・ヨーロッパとの距離の近さ
・「外部からの浸透の徹底した政治体系」
…吸収や同化ではない。利用されるだけでなく、積極的に外的要因を利用する

⚫︎前近代における帝国
・オスマン朝(スンナ派)とイラン・アフガニスタンの諸王朝(シーア派)
・イスラーム王朝伝統の間接支配
・緩やかな支配で、価値の一元化はしない。支配、統一のイデオロギーは国民意識や民族意識ではなく、イスラーム

⚫︎ヨーロッパ覇権以前の「浸透」
・地中海という場
…中東とヨーロッパは切り離せない
・「世界史」のはじまり/「一体化」のはじまりは、モンゴルの支配から
・13世紀以降のあらゆる国際的交易圏に、中東が被っている。交易圏の中心で、ネットワークハブであった
・「草原の道」と「海の道」など

⚫︎ヨーロッパによる植民地化
・モロッコの一部→スペイン領
・モロッコの大部分/アルジェリア/チュニジア→フランス領
・リビア→イタリア領
・エジプト/スーダン/パレスチナ/ヨルダン/イエメン/オマーン/UAE/クウェート/イラク→イギリス領
・イランは植民地化されず…イギリスとロシアの緩衝地帯として。1907年までの英露グレート・ゲーム

⚫︎中東紛争の原型としての「東方問題」
「東方問題」:主に19世紀のオスマン領をめぐるヨーロッパ諸列強の外交紛争
・ロシアの南下vsオスマン帝国 が基軸
・1950~60年代 中東独自の理論で「冷戦」
…アラブナショナリズムを掲げる世俗的国家群vs諸王朝
・21世紀はプーチン大統領のシリア内戦介入により、新しい「東方問題」が勃発

⚫︎中東現代史の時代区分
⑴ 19世紀~1914:オスマン帝国期
⑵ 1914~1956:英仏支配の「長い両大戦間期」
・英仏委任統治~第二次中東戦争(スエズ危機)
⑶ 1956~1991:米ソ冷戦期
1957 アイゼンハワードクトリン
1991 湾岸戦争とソ連崩壊
※中東問題について、米ソは冷戦中も共同姿勢を取った。イスラエル建国や、英仏のスエズ侵攻の反対など
⑷ 1991~ ポスト冷戦期
・パクスアメリカーナとその衰退期。「世界の警察」アメリカの中東での失敗
・「対テロ戦争」の失敗(2001/9/11事件→アフガニスタン空爆→2003イラク攻撃)



概説の概説、みたいな内容でした〜
細かくメモしてたら長くなったから今回は1章まで。

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