『「中東」の世界史』を読んだメモ②
第2章 近代ヨーロッパとの遭遇
⚫︎リファーア・タフターウィー(1801~73)
・エジプト人
・日本における福沢諭吉のような人物
・1000冊以上の書籍をフランス語からアラビア語に翻訳するなど、近代的思考の導入に寄与
⚫︎19世紀についての書籍
・ホーラーニー「アラブの人々の歴史」
・ユージン・ローガン「アラブ500年史ーオスマン帝国支配から「アラブ革命」まで」
・ウィリアム・レ・グリーヴランド「近現代中東史」
以上の書籍の記述を比較検討するかたちで19世紀を捉えていく。
⚫︎ホーラーニー
・オスマン帝国は、自給自足的鎖国体制だったが、市場の拡大を求めたヨーロッパによって門戸をこじ開けられた
・ヨーロッパを、モデルにした新しい軍事組織、行政制度、法体系を導入した
・1839年 スルタン、アブデュルメジトのギュルハネ勅令によって、近代化諸改革(タンズィマート)が行われる
タンズィマート
・帝国内のムスリムと非ムスリムを、法のもとに平等とする
・以前からヨーロッパ商人に与えていた恩恵的な諸特権(カピチュレーション)を利用し、非ムスリムのオスマン臣民を庇護民(プロテジェ)として取り込む
・領事裁判権の行使、ヨーロッパ判事の加わった混合裁判所の設置など、ヨーロッパ側が帝国内の諸問題に直接関与するようになった
・バルカン半島、黒海北岸、コーカサスなどが、ロシアのロマノフ朝、オーストリアのハプスブルク朝に削り取られる
バルカン地域はナショナリズムに鼓舞され、次々に独立する
・アラブ地域は、オスマン側の干渉を拒絶できるようになった
・ムスリム上層部、富裕層、地主層らは利益を求めてヨーロッパ勢力と手を組む
→結局、ヨーロッパ優位の体制に組み込まれていく
・イスラーム法とヨーロッパ法の二重構造
日本は、明治維新で全てをヨーロッパ法に変えたが、中東地域では社会レベルの法律にはイスラーム法を、政治レベルにはヨーロッパ法を適用させた
・ヨーロッパ法の「市民権」思想と、イスラーム法の下での平等は矛盾
・外国による統治からの解放を目指す、ナショナリストの登場
→逆に、イギリスに悪用される。
1917年の「バルフォア宣言」によって、ユダヤ人を「アラブナショナリズム」から排除、アラブ人vsユダヤ人の構造を作った
⚫︎ユージン・ローガン
・アラブ側の姿勢について
外側の勢力に対し、主体的に対応する。よければ受け入れ、利用し、嫌なら排斥
・オスマン帝国の性質について
緩やかな専制(バラージュや宗教的自治)
・ムスリムとして1つ、という想い。
イスラーム的秩序の中なら、支配者は誰でも良い。異教徒でも秩序を認め、秩序の中に入るのなら構わない
18世紀以降の内部崩壊
(オスマン的意味でのイスラーム秩序崩壊)
・1830年代 ギリシア独立…「オスマン的」ギリシア正教徒意識から、「ヘレネス」ギリシア人意識へ
・ギリシア独立の影響で、南スラヴ系諸民族がそれぞれの民族意識下での独立を志向
・徴税請負人(イルティザーム)の勢力が強まる
…地方名士(アーヤーン)ら、中央政府と一般人の間に入り込む
→中央集権的国家としての一体性が危うくなる
・19世紀の、ミレット制を通しての統治から、ヨーロッパ統治システムへ変更。法のもとでの平等。ヨーロッパからの干渉をなくすため。
…オスマン帝国に住む人は皆「オスマン民族」という意図も、崩壊してしまう
・オスマン主義よりも、オスマン帝国内のトルコ民族による「トルコナショナリズム」が主流に
→被制圧民としての「アラブナショナリズム」が強まる。
「暗黒のトルコ支配」がずっと前から続いていたかのような、敵対意識が強まる。過去の時代まで遡り、カリフはアラブ人であるべきだという主張
⚫︎クリーヴランド
・「西洋化」「近代化」ではなく、「変容」
19世紀はイスラーム的中東における変容の最初ではない。15,16世紀のオスマン帝国の勃興と安定、イランのシーア派受容…それ自体が「変容」
・19世紀の中東の支配者らは、西洋化のためでなく、自らの武力のために選択的に採用しようとした。(中国の中体西用と同じで、ほしかったのは技術だけで精神ではない)
→軍事や行政レベル以上にヨーロッパの影響が及んでしまったため、大きく変わってしまった。
⚫︎アブドゥッラフマーン・ジャバルティーの記述に対する学者らの評価
・ジャバルティー(1753~1825)
エジプト人歴史家。「伝記と歴史における事績の驚くべきこと」1688~1821年までの年代記。
・ナポレオンの侵攻をそのときの最も重大な事件とは書かず。ジャバルティーの、ナポレオンのエジプト侵攻に対する評価
** **ホーラーニー
・エジプト人は、フランスの軍事力に圧倒的敗北をし混乱、マムルークへの反乱を試みる。一方フランスの科学技術に対しては称賛した
ローガン
・ナポレオンの支配の口実…「イスラームのため」に圧制者(マムルーク)から解放すること。
→第一次世界大戦のイギリスと比較し、どんな理由をつけても単なる軍事占領であることに変わりはない、と主張
三木亘(中東学者)
・「主体性」の観点からジャバルティーを評価。侵略について無視することで侵略を批判している
板垣雄三(中東学者)
・ムスリムは自らを変えることで状況に対応した。イスラーム改革思想など。ジャバルティーも同様で、侵略、支配された側が積極的に変わっている
2章は以上。
それぞれの本について日本語で読むことができるはずなので、読む。
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