激人探訪 Vol.6 Hiro〜STUDIO PRISONER 泥臭く淡々と建てたMETALの城〜
どうも、皆さんYU-TOです。
前回の激人探訪 Vol.5、とても嬉しいことにSNSでのエンゲージメント(反応数)が初回の数字を大きく上回った。
基本的にこの激人探訪のエンゲージメントは安定していて、毎回一定の高いエンゲージメントを得られているのだが、色々な著名な方々から反応を頂いた初回を上回るというのはこちらも予想していなかった。
これも全て読んでくれている皆さんと、深掘りさせて頂けてる"激人"達のお陰だと思っている。
ありがとうございます。
さて、今回のゲストは初のバンド外からのゲストだ。そして、この激人探訪を発足させてからずっと取り上げたいと思っていた待望のゲストでもある。
日本を代表するメタルレコーディングスタジオ、STUDIO PRISONERのオーナー&エンジニアのHiro氏だ。
Hiro氏の所有するSTUDIO PRISONERで初めて本格的にレコーディングをしたのは2013年の事だが、彼との出会いはもう14年程前の事になる。
自分が通っていた専門学校、MI JAPANにHiro氏が当時ギタリスト&リーダーとして在籍していたMETAL SAFARIのプロモーションサンプルを配りに来ていた時に初めて出会った。
そこから何やかんやでご縁を続ける事ができ、今回この激人探訪で取り上げさせてもらう事ができたのは本当に嬉しい。
何故そんなに嬉しいのか?
それは、彼ほど"激人"と呼ぶのに相応しい人物はいないと感じていたからである。
もちろん今まで取り上げて来たミュージシャン達も様々な観点からの"激人"であったが、Hiro氏に関してはその生き様、思考、行動、人柄、叩き出している結果、全てを取って見ても100%の"激人"であると以前から思っていた。
そして、今回の対話でそれは確信に変わった。おそらく、これを読んで下さった皆さんも同じ事を感じるだろう。
こんなにもエクストリームで、最高にメタルに振り切った最強な"激人"はそうはいない。
30000字弱の長い文章の旅になるが、どうか腰を据えて最後までお付き合い頂きたいと思う。
第1章 "アーティスト行為"としてのレコーディング
Hiro氏を深掘りする上で絶対に外してはならない存在が前述したMETAL SAFARIの存在だ。
このMETAL SAFARIだが、特徴的なのは音だけではなく、その活動スタイルだった。
2005年〜2006年というのはまだ一般的にDTM(パソコンでの音楽制作)がそこまで普及しておらず、今でこそ殆どのバンドが経験している"セルフレコーディング"をやっているバンドは殆どいなかった。
基本的にレコーディングというものは専用のスタジオを貸りてやらなければ成り立たないものであり、MTRなどの機器は存在していてもそれはあくまでDEMOを作るためのもので、本格的なアルバムなどの音源を作る為の機器ではなかったように思う。
少なくとも国内メタルシーンではMTRなどの録音機材を使いこなせてる人物やバンドは当時かなり少数だったと感じる。
しかし、上記リンクの「RETURN TO MY BLOOD」を聴いて頂ければわかるように、METAL SAFARIは全てDIYでかなりの高クオリティ、それこそ現代でも通用するようなクオリティの音源を制作していた。
そのセルフレコーディングの中心となり、全ての指揮をとっていたのが何を隠そうHiro氏である。
なぜHiro氏は当時としては珍しかったセルフレコーディングという道を選んだのだろうか?
Hiro氏は、この時の自分の行動を振り返り、"形にして聴かす"という"アーティスト行為"だったと語っていた。
あくまでHiro氏にとってレコーディングは曲を聴かせて相手を驚かすという為の手段であり、彼の思考を形成するルーツはエンジニア的な思考ではなく、クリエイティブなアーティスト的思考であると、この話を聞いて感じる。
Hiro氏のエンジニアとしての仕事は全く"作業的"でない。
Hiro氏は常にアーティストと同じ熱量、いやむしろそれ以上の熱量を持って、"最強の「作品」を作る"という気持ちを持ってアーティストと向き合い、エンジニアとしての仕事をする。
彼のそのような姿勢は、"自分の作ったもので人を感動させる"というアーティスト行為の延長として当たり前にレコーディングを捉えていたこのルーツから来ているのだなと改めて感じた。
このHiro氏の"アーティスト的思考"は、今のHiro氏を語る上でも外せない、彼を形成する大事な要素の1つであるように思う。
第2章 外部との仕事で感じた違和感と自身の可能性
ほぼ全ての音源をHiro氏自身のレコーディングとプロデュースで制作していたと言っても、外部のエンジニアを使った経験がHiro氏にもあった。
これは全ての楽器に言える事なのだが、普段、音源で聴いているような楽器のサウンドというものはそう簡単に出せる訳ではない。
プレイヤーの技術とその解釈、そしてその出音をしっかりと扱えるエンジニア&プロデューサーのケミストリーがあって完成されるのがあの出音なのである。
だが、若い時はそこまでの事はわからない。
それは実際に自分で身銭を切ってレコーディングをし、自分の出音の"ダサさ"にショックを受け、心を折られる事で初めてわかることが出来る。
自分も含めたメタルミュージシャンならば誰もが経験するであろうこのショックな出来事を経験した事は、後のアーティストに寄り添うHiro氏の仕事に大きな影響を及ぼしたと感じる。
しかし、このショックな出来事をそのまま終わらせないのがHiro氏だ。
この出来事から、もうこの時のHiro氏のレコーディングやミキシングの技術はプロをも凌駕させるものであった事がわかる。
このセンスと技術を身に付けられた要因を、Hiro氏は"常に人に聴かせていたから"と語る。
技術というものを本当の意味で向上させる為には、練習というインプットだけでなく、それを披露したり、人に聴かせたりといったアウトプットもしなければ絶対に向上しない。
どんなに時間をかけて練習しようと、それを人に観てもらったり聴いてもらったりして、客観的な判断や感触を肌で感じないと本当の意味で人を熱狂させる技術というものは磨かれない。
それは時として"勇気"が必要な事なのかもしれない。しかし、そこに喜びを見出していかないと本物のミュージシャンには絶対になれないと思うのだ。
時に辛辣な事を言われようが、ウザがられようが徹底的に人に聴かせ、アウトプットをし続けていれば、いつの間にか若かりし頃のHiro氏のように、プロをも凌駕させる技術を身に付けているかもしれない。
Hiro氏の話を聞き、音楽というのはそういうものなのだと改めて思った。
第3章 反骨のMTRレコーディング
前述したMETAL SAFARIの1stアルバム「RETURN TO MY BLOOD」だが、当時このアルバムはパソコンを駆使してのレコーディングではなく、全てMTR(マルチトラックレコーダー)を使ってレコーディングされている。
第1章で添付したアルバムの冒頭を飾る"RETURN TO MY BLOOD"のMVや、↑の"HELL`S BLAST"のMVを観てもらえればわかるように、15年前にレコーディングされたものという事を感じさせない、現代においても十分通用するであろう音作りだ。
そのような海を越える作品をMTR1台で作り上げてしまったHiro氏のエンジニアリングには驚愕させられるが、当時のレコーディングでこだわったポイントは何だったのだろうか?
トリガーというのは言ってしまえば"電子ドラムの音"という事だ。モジュールという音源の本体があり、生のドラムに"トリガーマイク"と呼ばれるセンサーを付けて叩く事でその振動をセンサーが感じとり、そのモジュールから音が出るという仕組みだ。
しっかりと作り込まれた音が出せる為、抜けの良いメタル的で硬質なサウンドが出しやすいが、その分しっかりと音作りにこだわらないと只の機械的な音になってしまい、逆に迫力は削がれる。
Hiro氏はそのトリガーサウンドと生のドラムサウンドを混ぜ合わせ、この作品で聴けるような硬質だけれど人間味のある絶妙なドラムサウンドを作り上げていったという。
その1stアルバムに続く作品が、現在の"Prisoner"というスタジオ名の由来となっているであろうMETAL SAFARIの2ndアルバム「Prisoner」だ。
この作品がリリースされたのは2010年で、この頃にはProtoolsなどのDAWソフトが一般層にも普及しだし、もうパソコンを使ってのレコーディングが一個人のミュージシャンの間でもかなり浸透してきた時代であったが、驚くべき事にこの作品も全てMTRを使ってのレコーディングであったという。
当時自分がやっていたバンドでは、パソコンとDAWソフトを使ってのレコーディングを自分達でしていたし、曲作りにもDAWソフトを活用していた。
時代的にも、もうそれが主流になりつつあったと思うのだが、何故Hiro氏は頑なにMTRでのレコーディングを貫いていたのだろうか?
その反骨精神で作り上げた「Prisoner」という作品だが、今聴くと本当に壮絶な作品である。
まさに人間の人間による人間が演るヘヴィメタルと言えるような生々しい質感に溢れた、有機的な迫力のあるサウンドは今聴いても、というか今聴くからこそ新鮮味があり、メタルという音楽の本質に迫った音であるように思う。
そんな反骨精神でのMTR録音で完成させたこの「Prisoner」は、終始緊迫した雰囲気が漂う"ギリギリの何か"が伝わってくる作品だ。
実際にこの作品はシーンで高く評価され、METAL SAFARIの知名度をまたさらに押し上げるリリースとなった。
このレコーディングで得た数々のものは、この後のHiro氏の音楽人生にとってかけがいの無いものになったのだと思う。
しかし、この「Prisoner」に関する話をしている時、どこかHiro氏には"反省している"という主旨の発言が多々あり、Hiro氏がこの「Prisoner」のレコーディングで得たものは決して成功的なものだけではなかったようだった。
第4章 「Prisoner」のレコーディングで得たもの
反骨精神を抱き、フルデジタルレコーディングに対しての反逆で臨んだレコーディングであったが、今振り返ると"ムキになってた"という面もあるようだ。
自分が使い慣れ、それで数々の結果を残していったものが淘汰されて時代が変化していくのを目の当たりにし、当時のHiro氏は複雑な感情を抱いていたのだと思う。
もし、MTRというものを中途半端にしか使いこなせていなかったようなミュージシャンであれば、すぐにProtoolsに乗り換えても何の抵抗感もなかったのだろうが、そのMTRを人一倍使いこなし、「作品」を世に放ってきたHiro氏にとってはMTRを手放すというのは苦渋の決断を迫られることだったのだろう。
そして、DAWソフトでの編集を頼らない保守本流なやり方で、メンバー全員に高いミュージシャンシップを求めた壮絶な"スパルタ"レコーディングは、かなりの時間と労力を要した。
それは"絶対に前作を超えなければならない"という強すぎる気概からであったとHiro氏は話す。
1stアルバムが評価され、"今度はそれを越えるものを!"とHiro氏の頭の中の完成されるアルバムのレベルはどんどんと凄いものになっていった。
Hiro氏はその頑な"100%の自分自身"のレベルに完全に飲みこまれ、客観性を失ってしまっていたと話す。
もちろん、「Prisoner」というアルバムは素晴らしい作品であることは間違いない。むしろこのような苦悩を乗り越えたからこそ、あの重厚感のあるサウンドになってるのだとも思える。
しかし、Hiro氏がこのレコーディングで得たものは、のちに彼が数々のバンドをそこから救い出す事になる"セルフプロデュースの落とし穴"を自身で発見出来た事だろう。
もちろんHiro氏がその落とし穴の存在を発見できたのは、しっかりと当時の自分自身を客観視出来るようになった、もっと後の事なのだろうと思う。
そしてその自らの失敗と未熟さを通して、その"落とし穴"の存在を発見出来たこともまた、現在Hiro氏がSTUDIO PRISONERで数々のバンドのサウンドをプロデュースする上での重要な要素の1つになっていると感じる。
自分の「作品」に向き合い過ぎてしまい、自分の殻に閉じこもってしまう事の無意味さと、いつまで経っても作品が出せない苦悩、そして閉じこもってる事にすら気がつかない未熟さを親身になって理解する事が出来るHiro氏だからこそ、数々のアーティストをより良い方向に導く事が出来るのだろう。
このような客観性を持って「作品」を見て、常にその作品とアーティストにとってベストな判断を下せる"プロデュース力"も、Hiro氏の魅力の1つだ。
第5章 STUDIO PRISONER本格始動とDEATH I AM 「NEBULA」
Hiro氏がSTUDIO PRISONERを立ち上げ、METAL SAFARIの活動と並行しながら本格的に数々のバンドのレコーディングとプロデュースを手掛けるようになったのは2010年頃の話だ。
STUDIO PRISONERでレコーディングされた最初のアーティストと作品は、日米混合DEATH METALバンド、DEATH I AMの1stアルバム、「NEBULA」である。
何を隠そうこのDEATH I AM、自分YU-TOが2011年〜2012年に在籍していたバンドである。
自分はこの「NEBULA」には未参加ながらも、この次の音源制作の際に初めてSTUDIO PRISONERに足を踏み入れた記憶がある。
"STUDIO PRISONERはこの作品から始まった"とHiro氏は明言しているが、あくまでそれは偶発的に始まった事だったそうだ。
このように、Hiro氏のエンジニア&プロデューサーとしての活動は決して"これからSTUDIO PRISONERを立ち上げるぞ!"というような気負った形でのスタートではなく、"自分で良ければ力貸すよ"といったある種のサポート的な形で始まった。
だが、この時Hiro氏は今までとは違う"新しい何か"が自分の中で形成されていっているように感じたという。
今までHiro氏にとってレコーディングはあくまでも自分の作品を世に出す為の手段であった。
その手段を繰り返してきた事によって磨かれた自分の技術を、今度は自分の為だけではなく、人の為に使えるという事がHiro氏にとっては新鮮な事で、同時に喜ばしい事であったのだろうと思う。
Hiro氏にとってDEATH I AMとのレコーディングは、自分の新たなチャンネルが開いたきっかけになったとも話していた。
方向性は違えど、同じ志と熱量を持った仲間ができ、お互いに活性化し合えた事でHiro氏は新たな自身の可能性に気付かされたのだと思う。
これは現在、Hiro氏がSTUDIO PRISONERで様々なアーティストに対して行なっている事と同じであると感じる。
そのアーティストの持つ可能性とポテンシャルを最大限引き出し、そのアーティストを活性化させる事が出来るのがHiro氏であり、それがSTUDIO PRISONERで作品を作る最大のメリットである。
そのようなHiro氏の"アーティストを活性化させる力"は自身のこのような経験からきているのではないかと感じた。
そういう意味で、このDEATH I AMの「NEBULA」はSTUDIO PRISONERの根源に最も近い作品なのかもしれない。
第6章 "ノープロモーション"での本格始動
STUDIO PRISONERのウェブサイトが本格的に出来たのは1年程前のことだ。
本格始動当初から一貫してノープロモーションを貫き、約10年間ほどは本格的なウェブサイトやSNSでの発信、その他メディアでのプロモーションを一切せずに運営してきた。
それでも口コミや他アーティストからの推薦、リピート率の高さなどで予約が全て埋まるという、ある意味異常とも言える状態で運営をしてきたわけだが、Hiro氏自身はこのようなことが出来た要因は何であると感じているのだろうか?
いくら大々的にプロモーションをしたからといってそれが100%当たるとは限らない。
自分自身も経験があるが、自分にとってターニングポイントとなる依頼や出会いは、基本的に予想だにしないところからやって来たりもする。
Hiro氏の言う通り、それは自分でコントロール出来ない部分であり、考えても無意味な事だ。
そのような考えに至ったHiro氏は、自身でコントロール出来る部分である「生み出す作品」に焦点を絞ったと話す。
目の前の作品をより良くする、次手掛けるアーティストの音を次のステージに押し上げる、それがHiro氏の"本流の仕事"であり、唯一コントロール出来る仕事であった。
Hiro氏は始動直後から腹を括り、このコントロール出来る仕事に全神経を集中させ、心血を注いだ。
プロモーションというものは、基本的に"今自分に見えてない人達"に向けてやるものだ。しかし、その人達というのは基本的に自分の人生には存在していないに等しい。
その人達に向かって何かをしたところで、それは実体を伴わない偶像に向けて何かをやっているという事で、どんな事であれ、どうしてもギャンブル的な側面を持ってしまうことは否めない。
しかし、"今自分に見えてる人達"に向けて何かをする事、全力を尽くすという事は実体を伴った"リアルな仕事"だ。
Hiro氏が今、目の前にいるアーティストに対して自分に何が出来るのかを必死に考え、実践して来た結果、それがその目の前にいるアーティストのさらに後ろにいるアーティスト達を引き寄せ、その輪が拡張していったという事がSTUDIO PRISONERがノンプローモーションでここまでやってこられた要因なのだろうと思う。
Hiro氏の確実な仕事ぶりと、色々な意味での"アーティストを動かす力"は、目の前にいるアーティストだけではなく、その向こうにいるアーティスト達をも動かしたのだ。
第7章 初対面のアーティスト達との仕事
人と密接に関わる仕事であればどの分野の仕事でもそうであると思うのだが、当然ながら初対面の"初めまして"という人達と仕事をする機会も出てくる。
名前は知っていても、音は聴いたことがないといったパターンや、多少聴いた事はあってもメンバーのことは全く知らないなど、様々なパターンがあると思うが、Hiro氏はこのような初対面のアーティスト達と仕事をする際はどのような事を意識するのだろうか?
Hiro氏は人としっかり会い、リアルにコミュニケーションを取るという事を常々大切にしている。
メールなどのオンライン上でのやり取りで全てが完結してしまう時代ではあるが、実際に会って話した方が、その人の価値観や空気感を瞬時に理解することができ、結果的にその方が効率が良いこともある。
また、Hiro氏はなぜ自分に今回オファーをしてきたのかという事も必ず聞くという。
Hiro氏がアーティストと仕事をする上で必ず意識する事は"そのアーティストを傷付けない"という事だと語る。
自分だったらどんなエンジニアに録ってもらいたいか?という事を常に考え、そのアーティストの持つ美学を最大限理解できるようにHiro氏は努める。
仕事に私情を挟まず、機械的に日々の業務をこなすという仕事をHiro氏はしない、いや、おそらく出来ないのだ。
自身がアーティストとして表現を突き詰め、突き詰めすぎた故に壊れてしまった経験があるからこそ、Hiro氏はアーティストという存在を大切にしたいと考えているのだと思う。
このHiro氏のアーティストへの高い共感力が、STUDIO PRISONERが様々なアーティストから支持され、一度ここでレコーディングをすると他のスタジオを使いたくなくなるくらいの思いを抱かせてしまうのだろう。
第8章 "プリプロダクション"の重要性と"フレーズの解釈"
Hiro氏はアーティストがレコーディングに臨む上で一番大切にしなければならないことは"プリプロダクション"だと言う。
Hiro氏も言っている通り、"プリプロダクション"とは簡単に言うと"録る為の練習"という事だ。
自分達の曲を客観的に判断するために実際に録音をして、それを実際に聴けるフォーマットにして曲を聴いてみて、細かいところを修正していく作業のことをそう呼ぶ。
Hiro氏は、アーティストはこの"プリプロダクション"の段階から深く曲を掘り下げるべきであると話す。
単に譜面通りのフレーズを弾くのではなく、そのフレーズをどう弾くのか?そのセクションは何を表現したいのか?という事を深く追求しておくのが本物の"プリプロダクション"であるとHiro氏は語る。
しかし、新しいフレーズの解釈や表現のアイデアをアーティストに与えるのもHiro氏の仕事である。
"ただ何となく弾いてる"というだけでは本当の意味で人に楽曲を伝えることは出来ない。
自分はこのフレーズで人をどういう気持ちにさせたいのか?というところまで自分の弾くフレーズの解釈を持っていくことが出来ないと、本物のミュージシャンにはなれない。
それを追求する作業が"プリプロダクション"であり、これをしっかりとやった上でのレコーディングは非常に楽しいとHiro氏は語る。
ただフレーズを綺麗な音で録音出来るだけのエンジニアならば無数に存在するが、ここまでフレーズの解釈や表現をアーティストに考えさせ、音に出させるエンジニアは希少中の希少だ。
STUDIO PRISONERで制作された数々の作品が一定水準以上のクオリティを叩き出すのは、アーティストが持っている能力と、その能力を120%引き出すHiro氏の"プリプロダクションから徹底させる仕事"が掛け合わさった賜物なのだろう。
このHiro氏のプリプロダクションへの徹底したこだわりは、全ミュージシャン、アーティストも同様に持つべきものだと思う。
第9章 STUDIO PRISONERでの作業は"大変"なのか?
STUDIO PRISONERのオフィシャルサイトのVoicesのコーナーで、様々なアーティストが"Hiro氏との作業は大変"といった趣旨の発言をしている。
また、AboutのコーナーでHiro氏自身も、"僕と音源制作をするのは大変"という発言をしており、STUDIO PRISONERに興味を持ち、このサイトをチェックしたミュージシャンは少々恐れ慄いてしまうのではないかと個人的には思ってしまう(笑)
しかし、自分はHiro氏との音源制作を"大変"と感じたことは一度も無い。
こちらのプレイさえしっかり固めておけば、適切なディレクションとテイクの審査を素早くやってもらえるので、基本Hiro氏とのレコーディングは"巻きで"終われる。
他の楽器のレコーディングに立ち会っても、Hiro氏のディレクションで楽曲がドンドンと様変わりしていく様子を見ることが出来て、非常に楽しいという印象しかない。
この"大変"という印象はHiro氏自身はどこから生まれていると感じてるのだろうか?
Hiro氏が"大変"と語るのは、STUDIO PRISONERは単に音をレコーディングするだけのスタジオでは無く、"アーティストを成長させる"スタジオであるからなのだと思う。
一度、STUDIO PRISONERの門を潜ったら、それがレコーディング未経験者であろうと、納得のいくプレイと音を必ず持ち帰ってもらいたいという考えがHiro氏にはあるのだろう。
その為には、Hiro氏だけではなく、録る側のアーティストにも全力で仕事をして貰わなければならないというのがHiro氏の流儀だ。
レコーディング経験が浅いアーティストに対し、時に"スパルタ"とも取れるレコーディングを展開することもあるHiro氏だが、それはそのアーティストに成長して欲しい、納得のいくプレイと音で録れた時の喜びを知って欲しいという思いからの事だ。
この話を聞いていると、STUDIO PRISONERというスタジオは単なるレコーディングスタジオではなく、何か特別で唯一無二な場所であるように思えてくる。
アーティストが「作品」を生み出す場所であり、成長できる場所でもあり、事前に仕込みをたっぷりとしたアーティストにとっては最高の"遊び場"でもある。
STUDIO PRISONERは、もはや日本のメタルアーティストにとって"聖地"であるのかもしれない。
大袈裟な言い方かもしれないが、STUDIO PRISONERで「作品」を生み出して来た人達ならば分かってもらえる感覚なのでは無いだろうか?
"聖地"という場所は、観光的に楽しむというだけではなく、必ずある程度の"誠意"を持って足を踏み入れなくてはならない。
そして、そこに足を踏み入れる前と後で、自分の価値観が大きく変わってしまうような感覚を抱かせる場所が"聖地"と呼ばれる場所なのだと思う。
STUDIO PRISONERとは、そういう場所だ。
第10章 生まれ変わったSTUDIO PRISONERとその驚異的ポテンシャル
2020年、STUDIO PRISONERは場所を新たにして生まれ変わった。
旧STUDIO PRISONERから程近い場所にある新生STUDIO PRISONERは、閑静な住宅街の中にひっそりと佇む。
入り口を開け、まず最初に目に飛び込んでくるのはコンクリート打ちっ放しの中に堂々と取り付けられた重厚感のある蔵戸。
ここがスタジオへの入口となっており、歴史ある建造物のようなこの扉は、STUDIO PRISONERが持つ聖地的なイメージをより濃くし、入る者の気持ちを引き締める。
Hiro氏が新たなSTUDIO PRISONERを作る上で大切にしたイメージは、"日本のメタルスタジオ"であることだと言う。
"世界に向けて日本のメタルを発信する"というのはHiro氏の永遠のテーマであり、ただのメタルスタジオではなく、どのようなスタジオが"日本のメタルスタジオ"なのか考えた結果、入口に日本独自の文化である蔵戸を採用したという。
その重厚な蔵戸を開けてスタジオ内に入ると、"スっ"という完璧な防音が施された部屋ならではの静けさに包まれる。
まるで洞窟の中にでもいるかのようなインパクトがある岩肌の内装が特徴的で、写真では青色だが、その岩肌を照らす照明の色も数パターンから選べる。
この照明はボーカルブースとも連動しており、歌う人の気分によって色を変えてレコーディングに臨むこともあるらしい。
そのボーカルブースも赤を基調とした"和"のデザインが施され、洗練された印象のあるブースに仕上がってる。
入口の蔵戸は純日本性の物であったが、ここの壁紙は外国人が表現した"和"のデザインにしたいとの思いから、海外から取り寄せた壁紙を使用している。クーラー完備で快適性もバッチリだ。
新生STUDIO PRISONERにはこのような、アーティストのテンションが上がるような仕組みが至る所に盛り込まれているのだが、スタジオの天井の高さにもしっかりと意味があるという。
確かに新しいSTUDIO PRISONERの天井は高く、スタジオ自体の広さはそこまで広いわけではないが不思議と開放感がある。
当然だが天井が高い方が音の響きは良い。天井が高い場所での演奏は音に自然なリバーブが掛かるような印象があり、演奏していて非常に気持ちが良いものだ。
また、今回の新築でHiro氏が一番力を入れたのは"電気"で、彼の並々ならぬこだわりが随所に散りばめられている。
正直、個人でのスタジオではあり得ないくらいのこだわりだ。こんな発想が出てくるHiro氏の電気、電源に対するこだわりには恐れ入る。
また、その徹底したこだわりは屋内配線にも及ぶ。
アコースティックリバイブという強力なパートナーと作り上げた、Hiro氏の妥協のない全てのこだわりが形になった新生STUDIO PRISONER。
もうここまでくると、強力な音源が出来ないという方がおかしいとすら思えてしまう程のHiro氏の音と電気に対する並々ならぬこだわりを目の当たりにし、Hiro氏という人間はとことんエクストリームで最強のメタルエンジニアだなと改めて感じた。
もし、妥協なきエクストリームな音源を制作したいのならば、"妥協なき準備"をした上でこの重厚な蔵戸の入口を開け、荘厳な岩肌に囲まれた静寂の空間で、極上の配線材を通して出た極上のエクストリームサウンドを録音しに行くと良い。
きっと、あなたの人生を変える渾身のマスター音源を持ち帰ることが出来るだろう。
第11章 SUNS OWLから吸収した"自力で切り開く力"
METAL SAFARIでの活動や、STUDIO PRISONERの立ち上げから今日に至るまでのHiro氏の活動を見ていると、"全ての事を自力で切り開く"という気概を感じる。
組織に頼らず、自らがパイオニアになって個人で誰も通ってこなかった道を切り開いていく力はどのようにして生まれたのか?
ここでHiro氏が明言しているSUNS OWLは、00年代初頭に国内ヘヴィミュージックシーンを席巻していたバンドである。
当時、特に大きなレーベルなどに所属していたわけではなかったが、Beast FeastというSLAYER、PANTERA、MACHINE HEADなど蒼々たるメンツが出演するフェスティバルに2年連続出場し、海外ツアーも行うなど、当時としてはかなり異例な活動を展開していた。
そんなSUNS OWLにHiro氏は強い影響を受けたという。
メタルという音楽を演っていると、どうしても洋楽に傾倒しがちで国内アーティストを軽視してしまう傾向が特に若い時はどんな人にでもあるはずだ。
Hiro氏もそんな"洋楽厨"な若者の1人であったが、その価値観を物の見事に破壊したのがSUNS OWLであった。
そんな存在にも畏怖せず、自らを積極的にアピールしにいく姿勢はいかにもHiro氏らしいエピソードだが、その尊敬する大先輩達が自らの力でのし上がっていく様を間近で見れた事は、のちのHiro氏の人生に多大な影響を与えたという。
Hiro氏は、SUNS OWLから"本物の最強とは何か"という価値観を教えてもらったと語っていた。
本当の意味での"最強"とは、メジャーや大資本を頼らず自らの力のみで勝負する姿勢で道を切り開く事であり、自立した存在であるという事。
そんな存在を間近で見れた事をHiro氏は幸運だったと語る。
憧れの先輩、SUNS OWLから吸収した全ての"最強の価値観"は、ステージを離れた今のHiro氏の中にも変わらず息づいている。
このHiro氏の"INDEPENDENT MUSIC WORKS"の精神はSTUDIO PRISONERの核であり、彼の作り出す音の全てにその精神は宿されている。
こんな"反骨のメタル魂"を持ったエンジニアは世界でも恐らくHiro氏くらいだろう。
だからこそ、様々な尖ったアーティスト達がHiro氏を支持し、彼と「作品」を作り続けるのだ。
最終章 STUDIO PRISONERの未来と役目
Hiro氏がSTUDIO PRISONERを立ち上げて約10年が経とうとしている。
これはあくまでも個人的な見解なのだが、STUDIO PRISONERという存在が出来てから国内メタルシーンの音源のクオリティは飛躍的に向上した。
もちろん、全てがHiro氏の手による音源では無いにしろ、STUDIO PRISONERという存在は様々なメタルを扱うエンジニアに影響を与えたのではないかと思ってしまうのだ。
国内で一個人のエンジニアがこのクオリティの音が録れるという事実は、他のメタルを扱うエンジニアを焚き付け、言い訳を出来なくしたと個人的には感じている。
これまでの章でも言ってきたように、Hiro氏は目の前の事に全力を注ぐ事で結果を出してきたような人間だ。
若かりし頃は自分の理想を追い求め、それに死んでいったような人間だとHiro氏自身も語っていたが、いつしか現実を最重要と捉えて仕事をするようになっていった。
しかし、Hiro氏はそんな日々を繰り返していく中で、現実が変わってきているとも感じているみたいだ。
思えば一個人のメタルを専門に扱うエンジニアがこれ程までに立派な、細部にまでこだわり抜いたレコーディングスタジオを建ててしまうなど10年前では考えられなかった事だ。
この事実だけでHiro氏がどれだけの事を積み重ね、"泥臭く淡々"ながらも確実に結果を残してきたかが分かるのではないだろうか?
約10年掛けて、Hiro氏が"メタル"で建てた"メタルの城"STUDIO PRISONER。
この後の10年、20年、これからの未来でHiro氏がこの城でやっていきたい事は明確だ。
Hiro氏の言う"自分達の環境"を勝ち取るとは、自力でお客さんを集め、自分達の力でしっかりと人を動かす力をつけ、自分達が楽しく、有意義に音楽活動を続けられる環境を自分達で作り出して欲しいと言う事だろう。
その第1歩となるのが音源制作であり、Hiro氏はアーティストが踏み出すその第1歩の強力なパートナーでありたいと常に考えている。
"アーティストの未来"を一緒に見つめ、そこへの道筋を一緒に考える事までがHiro氏の仕事だ。それが彼にとっての"レコーディング"であり、エンジニアとしてのあるべき姿なのだと思う。
自分の作った曲で人を驚愕させる事が生きがいだった少年は、今度はその少年のような志を持ったアーティスト達の強力なパートナーになった。
いや、パートナーというよりはHiro氏も今だに"アーティスト"なのだと思う。
Hiro氏は自分が培ってきた表現や技術を人の為に使い、それを通して自らを表現する歴としたアーティストであり、"他アーティストとタッグを組めるアーティスト"という唯一無二の存在なのだと感じる。
だからこそ、STUDIO PRISONERでの作業に様々なアーティスト達が特別なケミストリーを感じるのだと思う。
自身の思考とHiro氏の思考が組み合わされ、今までになかった特別な思考がそこに生み出される感覚は、絶対に他のレコーディングスタジオでは味わえない特別な感覚だ。
その特別な感覚を味わいたくてアーティストはSTUDIO PRISONERの門を潜り続けるのだろうし、自分もその感覚を久しぶりに味わいたくて仕方がない。
今度はアーティストとして、あのSTUDIO PRISONERの蔵戸を開ける日がくるのを楽しみにしているし、待ち遠しく思う。
あとがき
3時間56分43秒
今回、この執筆のために録音されたHiro氏との対話の時間だ。
そんなに長い時間を掛けて話したという自覚はなく、当日はあっという間に時間が過ぎてしまったという記憶しかないのでこの時間を見た時はビックリしたが、本当に良い時間を過ごさせて頂いた。
新築のSTUDIO PRISONERの快適な環境と、Hiro氏の音楽の情熱に満ち溢れた話は時を忘れさせてくれる程の感覚で、とても貴重な話に溢れていた。
今回話してもらった事は出来ることならば全部載せたかったのだが、それだとあまりにも長い文章になってしまう為、泣く泣くカットしてしまった話も沢山ある。
彼の確信に満ちた影響力のある言葉は、きっと数々のアーティストを勇気付け、奮い立たせてきたのだろうと思う。
今回はHiro氏のエンジニアの技術というよりは、そういう彼のAttitude的部分を読んでくれている皆さんにお伝えしたかった。
特にミュージシャンやそれを目指す人達、もうアーティストとして活躍している人達にこの記事を読んで欲しいと思っていた。絶対に、読めば何かを感じる記事が出来ると思っていたし、実際にそうなったとも感じている。
これを読んで、"STUDIO PRISONERで録ってみたい"と思ったあなたは正しい。
もし、メタルという音楽を演っているのならば絶対に一度はSTUDIO PRISONERの門を叩いて、Hiro氏の熱量と音楽に対する愛、「作品」を作る事に対する並々ならぬこだわりを感じて欲しい。
きっとあなたの音楽人生にとって、とても大切な時間となるはずだ。
実は、彼に録ってもらった作品で1枚リリース出来なかった作品が過去にある。
自分は良くも悪くも、あまり過去を振り返らない人間であるのだが、その作品はたまにラフミックスを聴き返して"リリースしてたらどうなったんだろう?"という思いを巡らせることがある。
別にそんなことを考えても仕方がないのだが、その作品が持っていた未来を閉ざしてしまった後悔というのも多少はあるというのも事実だ。
だから、次にHiro氏と作品を作り上げる時は、しっかりと未来を見据えた渾身の作品をリリースしたいと考えているし、それが出来るように今、目の前にある事をHiro氏が言うように"泥臭く淡々と"こなしていこうと思う。
その作品が聴ける事を、自分自身が今一番楽しみにしている。
2020/6/27 YU-TO SUGANO
特別章 Hiro氏のエンジニアリングに影響を与えた3つの作品
ここからは特別章として、Hiro氏のエンジニアとしての人生に影響を与えたという3つの作品をHiro氏のコメントと共に紹介していきたいと思う。
3つという少ない数に絞ったのは、その方がより濃くHiro氏のエンジニアとしての価値観や、音作りへのこだわりが深くわかるのではないかと思ったからだ。
実際に今回紹介する3つの作品は全てシーンを代表するような歴史的作品で、Hiro氏がこの作品達を初めて聴いた時の印象や、それにまつわるエピソードなどはどれも興味深いものばかりだ。
どの作品もCDはまだ手に入るし、配信でのリリースもしているので是非聴いてみて欲しい。
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CHIMAIRA 「The Impossibility Of Reason」
Hiro氏:CHMAIRAは元々は音源から入ってて、ハリウッドで1回ライブを観てるんだけど、日本で音源を聴いてたCHIMAIRAとハリウッドで実際に観たCHIMAIRAの温度差がすごくて。
CHIMAIRAがヘッドライナーのSOILWORKとのツアーだったんだけど、日本だと絶対にSOILWORKの方が人気があると思うんだけど、アメリカだと完全にCHIMAIRAの方が人気があるのね。
もうCHIMAIRAの出番になって、セット転換してる時のオーディエンスの熱量が半端じゃなくてさ。もうサウンドチェックで音出した瞬間"うおーーー!"って声援が上がるくらいの熱量で。
始まったらもう凄すぎてね、、その時代からウォールオブデスとかも先駆け的にやってたし、暴れまくって吹っ飛ばされても他のお客が支えてくれたりとか超ピースな感じだったんだよ。
それを目の当たりにした経験があったからもう聴こえ方が変わっちゃってね。
これがリリースされた当時ってみんな"脱NU METAL化"していった時代だったんだよね。みんなジャージを捨てて"俺たちメタルでいくぜ!!"みたいな。
これはその火蓋を切ったアルバムだったと思う。
METAL SAFARIの1stのドラムサウンドはこれをリファレンスにしてるし、そういう意味でめちゃくちゃ影響受けてる一枚だね。
EMMURE 「SPEAKER OF THE DEAD」
Hiro氏:これは2011年にリリースされたJoey Sturgisっていう自分とは全然違う世代の若い"ラップトッププロデューサー"の先駆け的存在がエンジニアをしている作品。
これを始めて聴いた時に新しい時代が完全に来たというか、、メタルが次のステップに入ったっていう感覚が凄いあって、めちゃくちゃ衝撃受けたのを鮮烈に覚えてる。
もうサウンドが完全にネクストレベル行ってるんだよ。"新しいものに移らないといけない" "自分もそこについて行かなければならない"と思わされるくらいのアルバムだったね。"マズイなこれは"って思った。
もう全部の楽器がマッシブっていうか、、爆裂にデカい。ヘヴィさの概念がもう違ったよね。もう何がどうなってこうなったのかわからないくらい重い。
例えばコリンリチャードソンとかは、人間味のある有機的なヘヴィネスが売りだと思うんだけど、これは完全にプログラミングされた作り物のヘヴィネスで人間を超えた、もはやどうやってるのかすらわからないヘヴィネスさがあるね。
このアルバムにはそういう脅威を感じたよ。若い世代にぶちのめされたというか(笑)はっきり言って悔しかったね。
俺はその時代におけるモダンなNU METAL的作品も好きで、ずっと聴く事ができるんだよね。
この作品のドラムとかはプログラミングのドラムだけど、そういうのでも名盤は名盤だし、大好きで影響受けてるね。
THROWDOWN 「VENOM&TEARS」
Hiro氏:これは間違いない影響を自分に与えた作品。これはMETAL SAFARIの「Prisoner」のリファレンスにしてた音源だったね。
これ以上ないくらい"人"を感じさせるギターのエクストリームさはないね。メタリックだし、キャビめちゃくちゃ鳴ってるし、何でこんなディープな低音が出てるんだってくらいにギターのレンジが広くてこんな質感のギターって他に無い。
ドラムも人力で一発で録ったんじゃないかってくらいの感じがあって、まさに「Prisoner」をレコーディングする時に自分が求めてた音だった。
これ、プロデューサーがMudrockっていう人なんだけどクレジット見たら気になることに共同エンジニアの名前でAi Fujisakiっていう日本人の女性の名前があったんだよ。
凄い気になって当時、Myspaceで名前を検索したらちゃんとページがあってね。やっぱりアメリカに住んでる人で後から分かったんだけど、多分Mudrockの奥さんで共同でエンジニアの仕事してるっぽくて。
それで日本人だったから凄い親近感湧いてたし、このアルバムめちゃくちゃ好きだったからメールで思いの丈をぶつけてみたんだよ。
返信はしばらく返ってこなかったけど、俺3回くらい機材とかマイキングの事とか質問するメール送ったのね。
そしたら、"出産があって返信遅れてすいません"って3回目のメールで返信がきて、本当に何もかも全部の事を教えてくれて、、
何のキャビとヘッドを使って、どのマイクでどこに立てたのかとか全部教えてくれたんだよ。それが天にも昇るくらい嬉しかった。
その技術を自分でもやってみよう!って実際のレコーディングに取り入れてるからまさに影響を受けてない訳がないアルバムだよね。
いつか同じ音出したいっていうのが夢でね。だからbognerのuberschallのヘッドとキャビを手に入れたんだよ。あのギターサウンドが凄い好きでね、、本当にこれ以上ないくらいの影響を受けた。
あの時はマジで世界が開けたって感じがしたよ。こんなわけわからない奴のメールに凄い親切に対応してくれて、、だからAiさんには本当に感謝しかない。
それがあるから今があるって思うね。
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