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激人探訪 Vol.8 FUMIYA~The Drum Hero~

どうも皆さん、YU-TOです。

新しい激人探訪の執筆に取り掛かる度に思う事だが、色々な方々の協力のおかげで激人探訪は着実に数を重ねる事が出来ている。

そして、徐々に多くの人達に読んで頂けるようになっているのを感じているし、この激人探訪を通じて、今後様々な新しい"激人"達と出会えるようになるのではないかと思い始めている。 

何を隠そう、このVol.8がそうなのである。

今回のゲストはUnlucky Morpheus、猫曼珠のドラマー、FUMIYA氏だ。

猫アー写

もし、自分YU-TOのドラマーとしての活動を少しでも見てくれている方々ならば、自分がここでFUMIYA氏を取り上げさせてもらう事がどれだけ大きな出来事かを分かって頂けるのではないだろうか?

一応説明をしておくと、現在自分がドラムを叩いている2バンド、THOUSAND EYESとUNDEAD CORPORATIONは、元々FUMIYA氏が叩いているバンドであった。

色々なご縁があり、自分はこの2バンドに加入する事になったのだが、昨日の今日までFUMIYA氏とは一切面識が無く、いつかお会いしたいとは思っていたが、その機会はなかなか回ってこず、自分がFUMIYA氏の存在を意識し出してから3年という月日が経ってしまった。

当たり前だが、気疎い感情を抱えていたわけではない。

ただ、何の目的もなく"会いたい"と突然呼び出すのも、人を介して紹介してもらうのも、少し違和感があるなと感じていたし、きっといつか自然な形でお互いが交われる日が来るだろうと信じている自分もいた。

それが今回の激人探訪だったというわけだ。

今回、FUMIYA氏と自分を繋いでくれたのは前回の激人探訪のゲスト、仁耶氏だった。

取材の帰り道、仁耶氏から"ふーみんを書くのどうですか?"と持ち掛けられ、考えるよりも先に0.1秒で"是非やりたい!!"と条件反射的に答えてしまい(笑)、間を取り持ってもらった。

"ああ、ついにこの機会がきたか"と嬉しい反面、どこか緊張感の漂う自分がいた事も確かだ。

この気持ちは何と表現して良いのか正直わからない。

この3年間、自分のドラムはFUMIYA氏に育てられたと言っても過言では無いと思う。

THOUSAND EYESとUNDEAD CORPORATIONでFUMIYA氏が残してきたプレイを"どう継承するか"と"どう変えるか"、その狭間を考えながらドラムと向き合う事で、見えてきた自分自身のプレイスタイルが沢山あるのだ。

曲のフレーズを覚えたり、参考の為にFUMIYA氏が叩いている動画を観たりしていく中で、会った事はなくとも彼と"音"で会話し、彼の持つ独特なプレイスタイルと生き様のようなものは僅かながらも感じ取れてはいた。

その中で自分が感じ取ったFUMIYA氏の持つ圧倒的なアーティスト性とドラマーとしての個性は、どこか畏怖の念を抱いてしまうものがあり、それが仁耶氏を介して会えるかもしれないとなった時に自分が緊張感を感じてしまった事に繋がっていたのではないかと思う。

そんな気持ちを抱きつつも、取材させてもらいたい意を仁耶氏を通してFUMIYA氏に伝えてもらい、早速SNSを通じて連絡先を交換して取材の日程を組ませてもらった。

光栄な事にFUMIYA氏は激人探訪を読んでくれていたらしく、話はとてもスムーズに進み、"せっかくだから飲みながら色々話しましょう"と、サシで飲みに行かせてもらう事になり、初対面でいきなり取材を決行する事になった。

序章 3年越しの出会い

梅雨明けを感じさせる数日ぶりの晴れの日。気持ち前のめりに取材場所の池袋に向かう。

いつになく落ち着かないテンションで池袋に着き、しばし行きつけのサウナで質問内容を考えつつ過ごした。

まあ正直、もう質問内容など考え尽くしてしまっていて考える事は取り止めのない事ばかりだ。

<憧れの人に会える> <ライバルとの一騎打ち> <旧知の友人との再会>

そのどれとも全く違う独特の感情。

考えてみれば、自分YU-TOがFUMIYA氏を語り、深掘りしていくという事はPaul BostaphがDave Lombardoを徹底的に深掘りして世の中に発信するみたいな事である。

こんな事、どう考えても前代未聞で下手をすれば世界初の試みなのではないだろうか?

そんな大それてはいるが、あながち見当違いでもない事を思いながら取材までの時間を過ごしていた。

待ち合わせ場所に着いて時間が経つにつれ、急に緊張感が襲って来た。

不安から来る緊張感では無く、"いよいよその瞬間がやってくる"といった類の緊張感だ。

ほぼ、待ち合わせと同時刻にFUMIYA氏は現れた。

遠目で見ても1発で彼とわかったと同時に、"芸能人を見た"みたいな不思議な感覚があった事を覚えている。

"やっと会えた!"

そんな言葉を交わしつつ、固い握手と抱擁を、"人との距離"が大事とされる時代に、人目もはばからず自然にする事が出来た。

遂にこの瞬間が来た。この3年間は短いようであっという間だったように思う。

FUMIYA氏は気まずさや変な気負いのようなものも無く、ごく自然と自分のことを受け入れてくれた。

感じていた緊張感も取れ、約3年間感じていた妙な引っ掛かりが取り払われた瞬間だった。

これは自分の音楽人生で、一生涯忘れられない出来事の1つになるだろう。

それだけ今回の激人探訪は、自分にとって特別で意義のあるものだ。そして、8回目にして初のドラマーを取り上げる回でもある。

この激人探訪で取り上げる初のドラマーとして、FUMIYA氏はこれ以上ないくらい相応しいプレイヤーだ。

フレージング、ドラムセット、思考、全てにおいてメタルドラムの美学が詰まった"激人ドラマー"であり、それは彼のことを知る誰もが感じる事であろう。

今回はそんなFUMIYA氏を、彼に会わずとも彼を間近で見てきた自分、YU-TOが徹底深掘りして行こうと思う。

今回は思入れが強いが故に前置きが長くなり過ぎて"序章"を作らざるを得なかったが、そろそろ本編に入ろう。

そのくらい、今回の記事は自分にとって大きな意味があるという事だ。

約30000字に込めた3年間の思い、ゆっくりで良いので是非とも全部読んでみて欲しい。

第1章 すぐそこにあった2バスセット

FUMIYA氏が音楽に目覚めた一番最初のきっかけは、もうこの激人探訪で何人ものミュージシャンが影響を語っている"X"であった。

しかし、FUMIYA氏の場合は他のミュージシャンと比べてかなり早熟で、もう小学1年の時からXのファンであったらしいのだが、それは5歳上のお姉さんからの影響であったと言う。

ちょうど姉が小6か中1の時にXを好きになったんですよ。その関係で家にXとかエクスタシー系(訳注:YOSHIKI氏設立のレコードレーベル)のビデオが凄いいっぱいあったんです。俺はその時小1で、学校から帰って来たら姉がビデオを観てるのでそれを2人で観ながら一緒にヘドバンをしてて(笑)だからXLUNA SEA東京ヤンキースZI:KILLとか当時のエクスタシー系は小1なのに全部好きで全部知ってるみたいな感じで(笑)その時、ビデオで観てたバンドのドラマー達が時代的にみんな2バス4タムセッティングとかで、もうドラムってそういうものだっていう擦り込みがそこで生まれちゃったんですよ、多分(笑)

当時のエクスタシーレコード所属のバンド達は、どのバンドもルックス、ライブ、使用楽器、全ての面においてかなり尖っていた。

それはドラムセットにおいても例外では無く、どのバンドのドラマーも個性的でド派手な2バス多点セットを組み、誰よりも尖ったドラムを叩いてやろうと意気込んでいたのが、当時のエクスタシー系バンドのドラマー達だったのであろう。

現在のFUMIYA氏のトレードマークとも言える2バス多点セットは、もうドラムを手にする前からFUMIYA氏の中で"カッコ良さの象徴"として無意識レベルで刻み込まれていたのだと思う。

そんな2バス多点セットだが、ある日FUMIYA氏の前に突然、姿形となって現れる。

姉がガチガチのYOSHIKIファンだったんですけど、お年玉を何年も貯め込んで親にお願いして、YOSHIKIモデルの24インチ2バスで全部深胴の10、12、13、14のタム、16、18のフロアタムっていうドラムセットを何を血迷ったのか買ってしまったんです(笑)買ってもその時の家が狭かったんで置けなくて、ちょっと離れたおばあちゃん家の倉庫みたいなところに置かせてもらってたんですけど、姉はなんでも形から入ってしまうような人だったので買ったはいいけどXなんて叩けるわけはなく、、(笑)ずっと何年も埃被ってたんですよ。それで自分が中学上がってちょっと経った時くらいに、俺と姉の共通の友人が"ドラムやりたいからセット使わせてくれ"って言ってきたんですけど、何かもったいないなって思って"だったら俺が演るよ"ってなったんです。ちょうどその時に少し広い家に引っ越して自分の部屋が持てたんで、そこにバコーンって2バスセットを突っ込んで置いてました。

いくら形から入る性格とはいえ、初めからそんなデカい2バスセットを買ってしまうとは、かなりエクストリームなお姉さんである(笑)

そんなお姉さんから譲り受けた(助け出した?笑)2バスセットでFUMIYA氏は様々なバンドの曲をコピーし、腕を磨く青春時代を過ごす。

ちょうどその頃、街のお祭りでちょっとだけ和太鼓も演ってて太いバチが2本家にあったんですよ。それでちょうどその時LUNA SEAが"STORM"って曲を出した時で、それをテレビで演ってるのを観ながら、おもむろにそのバチでボコボコクッションを叩いてSTORMの真似事をしてたんです。それやりながら"あれ、そう言えば俺ドラムセット持ってるやん"ってなって(笑)そのバチを持ってきてSTORMを叩いてみたのが一番最初のコピーでしたね。それでLUNA SEAの曲って別にメタルって訳でもないし、割とビート主体の曲だったんで叩いてみたら割とスッと出来てしまったんですよ。それで"これは演るしかない!"ってなってしばらくはLUNA SEAのコピーを演ってましたね。でもやっぱり2バスだし、そもそもセットがYOSHIKIモデルだから直ぐにXに行っちゃいましたけどね。あとはSEX MACHINEGUNS。その2バンドの曲をひたすら家で練習し続ける人生でしたね、あの時は。

最初はただ部屋に置いていただけだった2バスセットをひょんなきっかけで叩く事になったFUMIYA氏。

この話から分かる事は、現在のFUMIYA氏のトレードマークである2バス多点セットは、もうドラム歴0年の段階からのものであり、彼にとっては自然なドラムセットの形態であったという事だ。

実は、少ないドラムの点数から徐々に点数を増やしていくやり方よりも、最初の段階から点数の多いセットを使った方が多点ドラマーとしての上達は早い。

多点セットのドラムを扱うのは、少しばかりドラムの概念から逸脱した事を演るのも必要になってくるので、そのタイプのドラマーを目指すのであれば、段階を追わずに最初から多点セットを使って練習した方が確実に効率が良いのだ。

そのような事から、FUMIYA氏は多点ドラマーになるべくしてなった生粋の"多点セットドラマー"であり、今の彼のプレイスタイルが出来上がったのはある意味必然であったのかもしれない。

まさにFUMIYA氏は、"多点セットに選ばれたドラマー"なのである。

第2章 夢見たシーンに突きつけられた現実、芽生えた反骨と広がり始めた繋がり

小一からXやエクスタシーレコードのバンドを聴き漁り、10代前半で2バスドラムを叩くという早熟な少年時代を過ごしたFUMIYA氏であったが、本格的にバンドを組んだのは高校を卒業して地元の北海道から東京へ出てきた後であった。

地元が北海道なんですけど、もうド田舎ofド田舎で(笑)俺が住んでたのって弟子屈町って町なんですけど、北海道の人に聞いても誰もわからないくらいの町なんですよ。だからスティック買うのも70km先まで行かなきゃダメで、楽器屋もスタジオも無いし軽音部なんかもある訳なくて。だから何せバンドを練習する場所も披露する場所も無かったんで結局、高校を卒業するまでは何も出来なかったんです。やっぱり地元でバンドが出来なかった分、夢が大き過ぎたんでしょうね。憧れてた世界にすぐに行きたいって思っていきなり上京したんです。今考えれば凄い事だなって思いますけどね。別に知り合いがいる訳でも家族がいる訳でもない本当に何もない状況で行ったので、、。ただ、ド田舎すぎるから行ったっていうのは多分あって、札幌くらいのところに住んでたら東京には行かなかったと思うんですよ。だからもう0か100しかないって気持ちですぐに上京しちゃいましたね。

身1つで東京に出てきたFUMIYA氏は、楽器屋やスタジオのメンバー募集に片っ端から連絡し、様々なミュージシャンとの繋がりが作れるように注力する。

その中で出会ったメンバーとXのコピーバンドを組み、ライブ活動をスタートさせ、そのバンドが段々とオリジナルを演るようなバンドに変わっていったという。

しかしメンバーは流動的で活動はあまり上手くは行かず、FUMIYA氏は並行してやっていたヴィジュアル系バンドのサポートのつてを使い、ヴィジュアル系のシーンで人づてを作れるように奮闘するも、そこで現実と理想とのギャップを思い知らされたと話す。

やっぱり初めて組んだバンドって中々上手くは行かないもので、メンバーの結婚とか就職とかが重なって結局出来なくなっちゃって。でもちょうどその頃、ヴィジュアル系バンドのサポートとかも並行して演ってたんです。自分もやっぱXとかLUNA SEAとか好きなのでヴィジュアル系のシーンにも顔出すようになってたんですよ。だからそっちの方で人づて作ろうって思って、20〜23歳くらいまではちゃんとしたバンドは組まずにサポートでヴィジュアル系のバンドをやってましたね。でもなんか、、自分が中高の時に好きだったヴィジュアル系バンドを夢見て東京に来てみたら、まあもう全然状況が違ってて(笑)もう本当に文化が変わってしまってたんですよ。うちらが好きだった頃のヴィジュアル系って割とメタルとヴィジュアル系の境界線が無いような感じで、みんな髪立てて派手な格好してるけどメタル弾いてるっていうようなバンドが多かったんですね。でもいざヴィジュアル系の世界に行ってみたら"オサレ系"っていうホストっぽいヴィジュアル系の源流が流行り出してるところに行ってしまって(笑)しかもお客さんのノリも、、、俺が夢見てた頃のヴィジュアル系のお客さんって拳上げてガンガンヘドバンしてメタルとあまり変わらないノリだったんですよ。でもそこでは振り付けがあったりするようなノリで正直げんなりしてしまって(苦笑)その時、俺も若かったからあまり割り切って考えられなくて、、。それこそ"貢ぎ"(訳注:ファンと演者が金銭で男女関係を持つ行為)っていうのも間近で見てしまって、夢を壊されたって気持ちが凄い大きかったんです。

地元、北海道で夢を見ていた世界がもう無いと知ってしまい、内に抱える夢が大き過ぎた故に突きつけられた現実へのショックも大きかった当時のFUMIYA氏であったが、そんな彼が次に行ったフェーズは反骨の"白塗りパンク"であった。

そんな状況でヴィジュアル系界隈もどうしようってなった時に、今度は白塗り系のパンクに行ったんですよ。"ゲテモノ系レーベル"って言われる殺害塩化ビニールの社長とバンドやってて。ちょっと変わったヴィジュアル系って感じのバンドですかね。今思うとその頃の活動で心の中の反骨精神が完全に固まったなって思いますね。それこそライブハウス出禁になるのは当然だったし、もう殺害の社長とのバンドは都内で2ヶ所しかライブが出来なかったんですよ。爆竹鳴らすわ火炎放射器ぶっ放すわが日常だったんで"そりゃ出れねーわ"っていう(笑)でもみんな凄い良い人達で、あそこでミュージシャンの"オンオフ"っていうのは垣間見れたなって思いますね。

殺害塩化ビニールというレーベルはかなり破天荒なバンドを数多くリリースしている事で有名で、書籍化もされているほど所属バンドのライブでの破茶滅茶ぶりは漫画的というか、かなりクレイジーなものだった。

メロディックスピードメタルのイメージが強いFUMIYA氏だが、こんな破壊的でアグレッシブなシーンで活動していたとは意外だ。

しかし、FUMIYA氏の頭を振り乱し、全力で叩き切るようなライブパフォーマンスには確かにこの頃のパンクの息吹を感じさせるものがある。

テクニカルでありつつも必ずアグレッシブさも忘れない反骨精神満載で"ロック"なFUMIYA氏のドラミングは、この頃の活動で形成されていったのだろう。

それに、彼の憧れてきたXを始めとしたエクスタシーレコードのバンド達も、ここまでの極端さは無いにしろ、その破天荒さが伝説化されていたりもするので、もしかしたらFUMIYA氏が夢見ていた世界に近いものがあったのがこの"白塗りパンク"の世界だったのかもしれない。

そして、この頃から段々と今のFUMIYA氏の活動に近づく出会いが訪れるようになる。

その頃に一緒にやってたギターの奴が、とあるバンドに誘ってきたんですよ。そのバンドがGalneryusの初代ベーシストのTSUIさんがGalneryusを脱退してから組んだFluoriteっていう女性ボーカルのバンドで、そっちに一緒に行こうぜって感じでそのバンドをやることになったんです。それが割と今のジャンルの人達が俺を知ってくれた最初のバンドになったのかなって思いますね。音源はCD-Rとかでしか出して無かったですけど、そのバンドがきっかけで今の自分の周りの人間関係の源流が作られた気はします。

そのバンドをやることで、メタルシーンにも自身の存在をアピールする事が出来始めたFUMIYA氏であったが、現在彼が所属しているバンドの中で一番パーマネントな存在と言えるUnlucky Morpheus(あんきも)との出会いもこの時であったという。

そのバンドの女性ボーカルがもう1つバンドをやっていて、たまたまダブルブッキングでライブに出られなくなってしまって。それで"どうしよう"ってなった時に、当時LIGHT BRINGERで歌ってたあんきものふっきー(Fuki)に歌ってもらったんですよ。元々、一番最初に組んだバンドでLIGHT BRINGERと対バンした事もあって、"そういえばあの時一緒だったよね"って流れもあって、そこでふっきーとの繋がりが出来たんですね。それで、その時のライブのビデオをたまたま観た紫煉さんが"このドラム良いじゃん"ってなって、あんきも界隈に呼ばれるようになったのが全ての始まりでしたね。

この時、FUMIYA氏のドラミングのどのような部分に惹かれて紫煉氏は彼にコンタクトを取ったのかは具体的に定かでは無いが、恐らくFUMIYA氏の持つ華と、類まれなフレーズセンスがUnlucky Morpheusの音楽性に抜群に合うと直感的に感じたのであろう。

FUMIYA氏は様々なバンドへの加入と脱退を経験しつつも、Unlucky Morpheusには約10年間、一貫して在籍し続けている事から紫煉氏には先見の明があったのだとも思える。

FUMIYA氏のメロディックスピードメタルドラムの追求はこの時代から始まり、そして現在まで続いている。

第3章 多点ドラムスタイルの追求

前述の通り、FUMIYA氏はもう最初のドラムセットから2バス4タム2フロアというかなり大掛かりな多点セットのドラムを使っていた。

その多点セットに付随する多彩なシンバル類の使い分けも、彼のドラムスタイルの特徴の1つであるが、どのようにしてこのスタイルを追求していったのであろうか?

それこそJanne Da Arc、SIAM SHADEとかも死ぬ程好きでコピーしてたんですけど、SIAM SHADEの曲をコピーした辺りから明らかに"シンバル数が足りない"ってなったんですよ。スプラッシュとかミニチャイナとかもいっぱい使うし、"えっ?!"ってなって、、。それで楽器屋も無かったんで通販とかで夏休みのバイト代とかを全部はたいて、一枚ずつシンバルを買い足していってどんどん増やしていったんですよ。もうその頃にはHELLOWEENとかの洋楽も好きになっちゃってたので、向こうのドラマーみたいにババババってシンバル並べて(笑)だから実家に置いてた最終形態のドラムセットの方が今のセットの点数より多いかもしれないくらいだったんですよ。当時は憧れで物をいっぱい置きたかったんですよね。

確かにSIAM SHADEの楽曲は曲中で小口径のシンバルを多用する場面が多く、それが曲の要になっている箇所も多い。

しかし10代の少年がコピーする程度であれば、正直ほとんどの人は自分の持ってるもので代用しようとしたり、フレーズ自体を違うものにしてしまうという事が多いように思う。

しかしFUMIYA氏はそうではなく、自分が出したい理想の音色を身銭を切って買い、それを自分のものにしていくという選択をしてきた。

地方で生のドラムセットが叩ける環境にいたという事も大きかったとは思うが、この妥協せず、自分の演りたいスタイルを追求する精神は、今のFUMIYA氏のプレイスタイルを確立する上での大切な要素になっていると感じる。

しかし、東京に出てきてスタジオやライブハウスでドラムを叩く際には、やはりそれなりの苦労はしたそうだ。

やっぱり東京来ちゃうと生のドラムセットで練習出来ないから、リハスタとかで叩くってなった時に普段置いてるものが置けなかったりだとかで最初はすごい戸惑ったんですよ。でもバンド組んでライブするってなったら置かなきゃ始まらないなって思って、小さいスプラッシュだったりとかベルとかだったら少し忍ばせて持っていってって感じで段々と増やしていった感じですね。やっぱ機材面は結構壁にぶつかりましたね。リハスタ行ったところで自分のセッティングに出来ないし、ライブイベントで転換10分でセッティングしないといけないってなった時に相当苦労しました。

自身が一番最初に慣れ親しんだセッティングと自身が理想とするセッティングが特殊であった事から、最初の段階ではドラムのセッティング作りにかなり苦労したと語るFUMIYA氏であったが、その中で短時間かつ効率的に自分のセッティングに近づける術を学んでいったという。

例えば、シンバルスタンドにもう1本ブームスタンドを付ける際の効率の良い付け方や、ハイタムをシンバルスタンドに付け、ロータムの位置をハイタム側にづらし、ロータムを付ける場所にシンバルを付けるなどの工夫を凝らし、なるべく自身が理想とするセッティングが短時間で組める研究をしていったという。

セッティング術に関しては相当学びましたね。とにかく出来る事をその場で見つけていった感じでした。持ち込み機材も小口径なタムとかシンバルだったらかさばらないで持っていけるので基本それを優先して持って行ってましたね。なるべく点数をいつもと同じ状況にしたいって常に思ってて。だからドラマーの中では凄い邪道なんですけど、俺の中でスネアの頓着は最後なんですよ。本当はこだわりたいんですけど、それを持って行ってたら他のものを持っていけなくなって、鳴らしたい音色がそもそも無いって形になってしまうし、リハスタにもライブハウスにも死んではいるけどスネアはあるので(笑)何とかそれで耐え忍んで自分で出せる個性は自分で持っていくしかないってスタイルでやっていましたね。

ドラマーにとってスネアは心臓のようなものであり、ドラムセットの中で物理的に一番叩く回数が多い太鼓だ(メタルドラマーはバスドラムかもしれないが 笑)。

そんな最も大切な部分を毎回違うものを使用するとなると、単純に叩く感触が変わってしまうし、音の抜け方も日によってまちまちになってしまう。

FUMIYA氏もそのようなリスクは十分にわかっていたと思うが、それでもスネアではなくエフェクト的な小口径タム&シンバルを頑なに優先して持って行った理由は、自身のキャラクターの確立に振り切っていたからだという。

俺は技術に関しては本当に全然ですよ。いわゆるルーディメンツとかも今までやってなくて、むしろ最近やり始めたくらいですし。鳴らしたい音の為にその技術が必要なら練習もしますけど、自分にとっては環境を整える事の方が先だったんです。やっぱり多点セットで演るってなるとずっとイベントばかり出演するバンドの規模じゃどう考えても無理で、、。ワンマンベースくらいにならないと自分の表現したい事が出来ないって思ったんです。だから先に自分の魅せ方であったりだとか、"このセッティングがFUMIYAだよな"って言ってもらえる存在になるって方を先に持っていったんです。それでYU-TO君はよくわかると思うんですけど、、(笑)自分は結構、変なベルとかスタック(訳注:重ねシンバル)の使い方をしていて、それも難しい事をしようというよりはそれが曲の中のどこで映えるんだろうって事をまず先に考えていった上でのあのプレイなんです。それも技術といえば技術なんですけどバンドを俯瞰した上での技術というか、、。例えばFukiが高音でシャウトしているところでベルを"チキチキ"って連打しても音の帯域が被ってしまって映えないんです。だから歌い終わりの4小節目の節で入れたりする。あとはギターの音が上り階段のように音階が上がっていくところは、通常の高音→低音というタム回しではなく、手順を逆にして低音→高音のタム回しをしたりする。そういうプレイで個性を見つけて、ある程度の地盤が固まってってなったらある程度の規模だったり機材を持って行ったりって事が出来るようになるかなって考えてたんです。だから今やっと技術的な練習ができるフェーズに行けたなって感じてて(笑)逆にそういう事を考える時間を技術的な練習に当ててしまうと、多分覚えてもらえないで終わってしまうんだろうなって感じてたんですよ。俺はそんな器用なタイプでも無いので、先ず先にそっちの技術というか経験則を身に付けて、ちゃんと覚えてもらえる存在になれるという方向で今までずっと演ってきましたね。

FUMIYA氏はバンドを始めた初期段階から、"FUMIYA"という存在にしか出来ない事や、技術的な事がわからない一般リスナーの人達が楽曲を聴いた時にもドラムという楽器が輝いて聴こえるようにする為にはどうしたら良いのかなどを考えながら、ドラムと向き合ってきた。

その結果、現在では彼が思い描いていた自身の理想の姿が確立されている事は彼を知る人ならば誰もがわかる事だろう。

自身の理想の姿を思い描き、そこに行く為の道筋を俯瞰して見つけ、時間は掛かれどもブレずにしっかりと己の理想を追求し続けるFUMIYA氏にはリスペクトを示さざるを得ない。

また、このようなFUMIYA氏のドラミングスタイルが確立されたのは、彼が他のドラマーとは全く別次元で"ドラム"という楽器を捉えているという事も大きな要因だろう。

第4章 メロディ楽器としてのドラム

実は、FUMIYA氏が最初に手にした楽器はドラムではなくピアノである。

元々7歳からピアノを習っていて、姉の影響でずっとピアノが家にあってそれを聴きながらずっと育ってきたので"俺も演るか"みたいな感じで始めたんです。もうその前からXには出会っていたので、すんなり始められましたね。高校卒業するくらいまではずっと"カワイピアノ"ってところで習い続けて、それこそコンクール出たり発表会出たりとか普通にしてたんですよ。ピアノも本気だったんで音大に行くって選択肢もあったんですけど、やっぱりドラムを始めてからはそっちの方にのめり込んじゃって、すぐにバンドがやりたいってなっちゃいましたけどね。

一番最初に手にする楽器がピアノである事自体は決して珍しいことでは無い。

世間一般で最もメジャーな楽器ではあるし、親などが子供にやらせたい習い事の1つでもあるからだ。

しかし、大抵の人は数ヶ月、長くても数年で辞めてしまう事がほとんどであると思うのだが、途中ドラムを始めつつもピアノを10年近く続けたというプレイヤーはなかなか珍しい。

そんなFUMIYA氏の音楽性を構成する重要な一部となっているピアノが、ドラムに与えた影響もやはり大きいようだ。

俺、ドラムをメロディ楽器として捉えてるんですよリズム楽器だとは全く思ってなくて。それに則してセッティングをしていくと、やっぱり今の形になっていくんですよね。自分が"あっこの音欲しい"ってなった時にそこに音がないとやっぱり鳴らない。"メロディを奏でたい"って気持ちに沿っていったら今のスタイルが出来上がったって感じなんです。

先ほどの第3章でFUMIYA氏が語っていた通り、FUMIYA氏のドラムスタイルはギターの音階に沿ったフレージングになっていたり、ドラム自体が歌っているようなプレイが非常に多い。

自分、YU-TOのドラマーとしてのプレイスタイルは"ビート"に主軸を置いているもので、完全に"リズム楽器"としてドラムを捉えているのだが、そこが自分とFUMIYA氏との決定的な個性の違いであるのだ。

これは彼のプレイしてきたものを引き継ぐ際に非常に苦労した部分である。

FUMIYA氏のフレーズの付け方は非常に音楽的で、それを完全に無視したフレーズだと曲そのものが変わってしまう。

演っていくうちに自分のスタイルとFUMIYA氏のスタイルの間を取った(まあ7〜8割くらいは自分に寄せてしまったが 笑)スタイルが見えてきたが、これが中々最初のうちは間を取るのが難しい事ではあった。

今までやってきたバンドが割と激しめなバンドが多かったから、自分のドラムのイメージって2バスとか手数足数って周りから思われてるって感じる事も多いんですけど自分では全然ピンと来てないんですよ。"自分ってそこじゃないんだよな"ってずっとモヤモヤしていて、、。やっぱり自分のスタイルって基本的に"フィル"なんですよね。フィルで出てくる変な音程感だったりだとか、"何でそこでそのフィルを入れたんだ?"っていうところで、常に頭の中でそのメロディが鳴ってるんですよね。そういうものをドラムで表現しているって事をもっとちゃんと伝えたいなってずっと思ってるんですよ。俺より2バス速いドラマーとかは若い子でもゴロゴロいるし、俺より速くブラスト叩ける人もいっぱいいるから、俺はそこじゃないんだよって事を発言も含めて言った方がいいのかなって最近は考えてますね。もちろん、リスナーの人にはそこまで求めないし、聴いた人がどう捉えるかは聴いた人の自由だと思うんですよ。でも自分は基本的に自分の為にしか音楽を演っていないので、もっと"自分はこうしたいんだ"っていうのを明確に表したいっていうのは常にありますね。

"芸術は個性の押し売り"だという誰かの発言を聞いた事がある。

芸術というものはそこまで意識を持っていかないと、本物としては成立しないという事だ。

音楽を仕事としてやっていく為には、時に他者のために音楽を演るという事も必要になってくると思うが、"仕事"という部分だけではなく、自身にしか表現出来ない"芸術"として音楽を表現するためには、FUMIYA氏のような自身のスタイルを確固たる姿勢で追求する事も必要なのかもしれない。

メロディを鳴らしたいって部分はやっぱり元々ピアノをやってたっていうのもあるんですけど、、、やっぱりドラムの方がピアノよりもっと暴力性が出るんですよね。だからドラムはメロディにどれだけ自分のアグレッションを乗せられるかが勝負だと思ってて。もちろんピアノでもアグレッションを出す事は出来るけど、メタルドラムなんてそれこそアグレッションの塊じゃないですか?(笑)あの殺意とか狂気の中にメロディを乗せたいっていう気持ちがずっとあるんです。      もうTHOUSAND EYESを演ってる時は"全員殺してやる!"ってくらいの気持ちを込めてましたね(笑)あんきもみたいなメロディ主体のスタイルの時はどれだけそのフィルに生き様だったりとかの自分の人生を投影出来るかって事を意識しています。ドラムは毒抜きガス抜きって部分もあって、ドラムを叩いてる時は嫌な事も全て忘れられる。今までの辛かった事もそこでは全部自由って感覚で、俺にとってドラムって"自我の解放"って側面もあるんです。その自我を解放する時にやっぱり頭の中でメロディが鳴るんですよ。それはもちろんバックで何が鳴ってるかで変わってくるんですけど、それを表現したいってなった時に、自分の場合はあの点数が必要になったという感じなんですよね。もちろん、メロディを鳴らすだけじゃ絶対にドラムって成り立たないし、ビートが大半を占めているから最低限のビートは叩かないといけないんですけど、自分の武器はそこじゃないって思うんです。それに、ビートを刻んでいる時にもそのビート自体にメロディを感じているというか。

FUMIYA氏の"頭の中でメロディが鳴る"という感覚はやはりピアノを本気で演っていた経験があるからこそのものだろう。

もちろん、自分も頭の中でドラムのビートが鳴る事もあるが、それをメロディと捉えたことは一度も無く、FUMIYA氏が自分とは違う捉え方でドラムを叩いているという事がこの発言を聞いて本当によく理解できた。

それはどちらが良いか悪いかという事では無く、お互いの個性の違いをより明確に浮き彫りにする事が出来たという事で、今後自分自身が何を追求すべきかが見えた気がする。

また、FUMIYA氏自身も自分のスタイルが全てと思っているわけではもちろん無く、自身とは違うドラムスタイルや考え方の若い世代や、自身が憧れてきたような先輩世代の両方を肯定的に捉え、自分のドラムスタイルとして吸収する"バランス感覚"も大切にしているという。

第5章 ドラマーとしてのバランス感覚

上下問わず、一回り近く歳の離れた世代のドラマーやミュージシャンと絡む事も多いFUMIYA氏だが、その交流の中で学んだ事や、感じる事も多いと話す。

俺、若いドラマーの子達も先輩のドラマーの人達も両方好きなんですよ。それこそ世間で言うYouTube世代になってからのドラマーの技術力ってとんでもないじゃないですか? "何この足の速さ?!"とか"何この足の動き?!"みたいな。そういう子達は技術力で言ったらもうベテランの人達でも到底敵わないくらいの技術を持ってると思うんです。でも生音を出す素晴らしさの理解とか、いわゆる"ハート"の部分とかは絶対に欠けてるんですよ。でもそれは仕方がない事で。やっぱり今ってどうしてもライブハウスシーンに全然元気がないし、自分が10代の時に夢見てたライブハウスシーンはもっと元気だったというか、"バンド"ってものにちゃんとポジションがあったんですよね。だからちゃんと確固たる信念を持って演っている人が多かったと思うんです。

FUMIYA氏が感じている事は、多かれ少なかれバンドをやっている人達全員が感じている事だと思う。

明らかに自分達が夢見ていた時のバンド文化、、特にメタルやロックバンドの文化は廃れ、若い世代にとってメタルやロックは"カッコいい音楽"というよりは"テクニック的にSNSで映える音楽"というような扱いを受けてしまう事も多々ある。

しかし、それも決して悪いことではない。

どんな形であれ、自分達が聴いてきた音楽や憧れてきたプレイスタイルが若い世代に継承されていく事はとても良き事で、そこで生まれた新たな音楽やテクニックに刺激を受ける事も出来るからだ。

俺は若い世代とベテラン世代、その両方を切り捨てたくないんです。どっちも良し悪しはありますからね。例えばベテランのドラマーの人が若くて巧いドラマー観ると、"アイツは速いだけで味がない"って言ってしまうとかもたまにあるんですよ。そういうのは本当に"叩いてから言えよ"って思いますし、若いドラマーの子達も"あんなオッサンが"とか思っちゃうかもだけど、生音全然鳴らせてなかったりだとか。そういう周りのドラマーを見てバランス感覚は絶対に無くしちゃいけないなって常に感じていますね。

若い世代のドラマーはやはり、音楽的でない部分で"極端"な方向に行きがちなように思う。

音楽的でない曲芸的なBPMの速い2バスやブラストを叩く事や、難しい曲をコピー出来るようになる事、もしくは流行りの曲をコピーする、変な格好で叩いてとにかく目立つなどの"数字"をいち早く稼げるギミック的な方向などの、音楽というよりはとにかくSNS等で映える極端な方向に舵を取り過ぎているようにも思う。

そのような事の方がやはり"パンチ"があるので、当たれば目立てるかもしれないが、それは自身の音楽性やプレイスタイルを追求するという観点からはどうしてもブレる。

かといってそのような若い世代がやっているアプローチを全否定してしまうのも、また極端な考え方で、それでは生き残れない。

その狭間でFUMIYA氏は、どちらの良さも知った上で振り切る事が大事だと語る。

極端になることの素晴らしさも絶対にあるんですよ。俺もガチガチなブルデスとかすごい聴くし、出来はしないけどすごい好きなんです。でもどっちの素晴らしさも知った上で極端な方にいってるのかどうかっていうのが大事だと思うんです。いきなり"極端な事しか知らないです"っていうのは絶対にダメで。ちゃんとそこじゃないところも知った上で"じゃあ俺こっち振るわ"って人の極端性が俺はスゴい好きなんです。それは全ての物事において言えるかもしれないですね。

極端でモダンな要素と、味のあるオールドスクールな要素、そのどちらも兼ね備え、ミックスされたものがFUMIYA氏のドラミングスタイルだ。

FUMIYA氏は、例えば世間で"テクデス"と呼ばれるような極端なジャンルから往年の国内ヴィジュアルロックまで、時代を超えた様々なドラムスタイルを頭を柔らかくして吸収し、自身のドラミングに取り入れているという。

やっぱり頭を柔らかくしようって常に思ってますね。そこのバランス感覚は自分なりに守っておこうって。それは自分のドラミングにも影響が出てるはずなんです。それこそ全部が全部メロディアスに叩こうとしてしまうと本当にフィルだらけになってしまうし(笑)そこを上手いことバランス良く演るというところとかも意識してますね。でもそこにはやっぱり一緒に演ってるバンドのリーダーだったりコンポーザーがしっかりとした人だからっていうのはありますけどね。ちゃんと導いてくれる人がいてこそだし、その人達とのディスカッションで変わってくる部分も勿論あるので。そういう意味であんきもはもう10年以上演れてるので、バランスが凄くちょうど良いんでしょうね。

FUMIYA氏のドラミングが独特の輝きを放つのは、彼自身が自身の個性を追求してきたという部分と合わせて、このような柔軟性を持っているという部分も大きいのだろう。

FUMIYA氏自身は自分の個性を殺さず、楽曲を如何にブラッシュアップできるかを、楽曲を作ったバンドのメインコンポーザーはFUMIYA氏の独特のドラミングを自身の楽曲の中でどう生かすかを考える。

その両者のバランスが絶妙に取れているバンドが、FUMIYA氏も語っている通り、Unlucky Morpheusなのだろう。

やはりFUMIYA氏はUnlucky Morpheusに対し、特別な気持ちを抱いているという。

第6章 Unlucky Morpheusというホームと新たな可能性を見出せた猫曼殊

Unlucky Morpheusは、FUMIYA氏のキャリアの中で一番長く在籍し続けているバンドである。

10年出来てますからね〜。中々ないと思いますよ。続いてるのはやっぱりみんな歳も近いし、考え方も似てるし、人間性的な部分が大きいと思いますね。明らかに酒癖、女癖が悪いメンバーもいないし(笑)みんなちゃんと人として尊敬出来る人達なんです。もちろん、プレイ面でもしっかりと尊敬できて、そことのバランスがあってこそですけどね。あとは自分の色んなバンドを掛け持ちするスタンスを一番理解してくれてるんです。俺、昔は本当に6つとかバンド掛け持ちしてたんですけどその時も"スケジュールさえちゃんとしてくれれば好きにしていいよ"って言ってくれてて。やっぱり自分がそういう活動スタンスだから、一緒にやり難いって思われてたバンドもあって、それが少なからず脱退理由にもなってた部分もあるんですけど、あんきもはそこに対して一番寛容でいてくれたんです。

バンド界において、ドラマーというのは割と"引く手あまた"なポジションである。

やはり自分を頼ってくれた以上はそこに応えたいし、チャンスは色々なところに転がっているので、自分も含めて色々なバンドを掛け持ちしているというドラマーは少なくない。

それは時として、バンドに出たり入ったりを繰り返してフラフラしてるとも捉えられ、良い印象を持たれないことも多いが、そのスタンスをお互いに理解し、すり合わせる事が出来れば息長くバンドを続ける事も出来る。

そんな数々のバンドを渡り歩く活動スタイルのFUMIYA氏が、Unlucky Morpheusを10年続けられたという事実は、彼の中で自信に繋がっているという。

"俺にも10年続けられるバンドがある"、"俺はちゃんと価値観が合う人とは長くバンドが出来る"っていう答えをくれたバンドですね。だから自分の中ではとても大きい存在。"あんきも"っていう帰れるホームが土台にあるからこそ安心して色々なバンドのサポートをする事もできるし、そのホームがちゃんと誰1人として嫌な顔しないで"行ってこいよ"って言ってくれる。本当にいつも言ってるけど"家"なんですよ。家族とか親戚みたいな感じ。18歳で何もない状態でいきなり上京してきて、人間関係を0から作ってきたから"あんきも"って存在が無かったらどうなってたんだろうなっていうのは感じますね、、まだフワフワしてたのかなとか。そこは本当に良かったなって思いますよ。あとはメンバーみんな巧くて、そういう面でも刺激がもらえる事も大きいですね。そこもすごく大事。

0から単身、言葉通りの"裸一貫"で上京してきたFUMIYA氏にとってUnlucky Morpheusという温かい存在を見つけられた事は、彼にとってかけがえの無い事なのだ。

またFUMIYA氏は2018年に、ex.NOCTURNAL BLOODRUSTのギタリスト、Cazqui氏を中心として結成された猫曼殊に参加する。

この猫曼殊だが、ボーカルはex.快進のICHIGEKIのコータ氏、ベースはSEX MACHINEGUNSのシンゴスター氏という、まさにシーンの代表的プレイヤーを集めたスーパーバンドである。

その音楽性も、メタルコアとJ-ROCKを掛け合わせ、そこに大胆なシンセアレンジとコータ氏独特の歌い回しによるキャッチーな歌メロが乗ったオリジナリティ溢れる魅力的なものだ。

もちろん、この猫曼殊にFUMIYA氏は正式メンバーとして参加しているが、メンバーはFUMIYA氏の活動スタイルを理解し、FUMIYA氏自身、この猫曼殊にも特別な思い入れがあるようだ。

猫曼殊に関しても同様で、メンバーみんな自分のスタンスにはとても寛大でいてくれています。正直、この歳になって新たに1からバンドが結成できるなんて思いもしませんでしたけど、これまでに色んなバンドを経験してきている今だからこそいい具合の距離感というか、いいバランスで気持ちよくバンド活動が出来ている実感がありますね。ちょっと最近は諸事情により活動がスローペースではありますが、猫曼殊の音楽性はメタル一貫ではなくとても幅広いので、自分のドラムスタイルが遺憾なく発揮できる場だと感じてますね。

猫曼殊でのFUMIYA氏は、重心の低いグルーヴィーなドラムプレイを展開していて、メロスピなイメージの彼からはあまり想像出来ない意外な一面を見せている。

そのプレイに彼の懐の深さを感じさせるが、所々ではしっかりと"節"が炸裂したフィルを聴かせてくる辺りが何とも心憎い。

ストイックに自身の音楽性を追求し、キャリアを積み重ねていったFUMIYA氏だからこそ、一流のミュージシャンシップを持ったプレイヤー達で固められているUnlucky Morpheusは"ホーム"になり得ているのであり、"スーパー"なメンバーで固められた猫曼殊でも、その実力と引き出しの多さを遺憾なく発揮できるのだと思う。

そして、FUMIYA氏はUnlucky Morpheusの活動スタイルも、彼がこのバンドを長く続けられている要因の1つだとも語っていた。

本当に"大人"がいないというか、事務所にもレーベルにも所属していないし、自分達で全部の事をやってるからとにかくフットワークが軽いそこはマジで強みで時代に合ってるなって思いますね。昔だったらメジャーっていうものが大きかったし、そこに所属してないと媒体とかに話も通らなかったけど今は個人でいくらでもネットで情報発信が出来ますからね。やっぱり世代的にメジャーというものに憧れはあるんですけど、もう今のメジャーってうちらの世代が知ってるメジャーでは無いですから、、。だからこそ、あんきもは凄い自分に合ってるなって思いますね。最初はすごいバカにされたりもしたんですよ。同人出身だし、"人の真似事じゃん"とか"ライブしないでコミケでCDばっか売って"とか言われてて、俺個人も"何であんなのやってるの?"って言われたりもしたんですよね。でもそんな事言ってきた人達はもうみんな消えてるし、今やっとみんな良さがわかってきたのかなって思いますね。明らかに今のあんきもの動きやすさって周りから"良いよな"って言われるし、メジャーとかだったら動画上げるのにも誰かの許可が必要だとかがありますけど、上げたい動画もすぐに上げられますからね。だからあんきもは先見の明があったのかな。

メジャーレーベルが力を無くしてきている事は、音楽業界に少しでも足を踏み入れている人ならば何と無く感じ始めている事であろう。

SNSを駆使すれば、自身の演奏動画の配信やプロモーションを個人レベルでいくらでもする事ができるし、そのバンドに魅力があればメジャーレーベルという大資本を頼らずとも、独自の方法で成功を勝ち取る事はできる。

もちろん、自分達で色々な事務的な仕事もこなさないといけないので大変ではあるが、間に人を通さない分バンド側に入ってくる身入りは良い。

それは、次の活動に繋げる事ができる資本が手に入るという事であり、結果的にアーティストの取り分が雀の涙ほどのメジャーレーベルで活動するよりも充実した活動が出来るという事でもある。

そのように自分達の足で立ち、自分達の力のみで活動が出来ているUnlucky Morpheusの存在は、FUMIYA氏を"本物のプロドラマー"にしてくれたとも語っていた。

第7章 自身に課した"プロドラマーの条件"

"プロ"という言葉の意味はとても曖昧だ。

時としてそれはテクニック的に巧いという事の例えとしても使われるし、自分の音楽や楽器演奏を1円でもお金に変えられたらプロという風にも言われるし、そのどちらも正しいとは思う。

しかし、FUMIYA氏が自身に課している"プロの条件"は、"それで飯が食える"かどうかという厳しいものだ。

やっぱりメジャーに行ったら飯が食えると思ってたんですよ。でもそんな事全く無い。メジャーからCD出してもみんなバイトしてるし、そこじゃ無いんだっていう、、、そこの葛藤はすごいデカかったですね。やっぱり夢が大き過ぎた。恥ずかしながら俺、今年から初めて"プロドラマー"なんですよ。"プロドラマー"っていう概念って人によって違うと思うんですけど、俺の中ではドラムだけで飯が食えたらプロドラマーなんです。もちろんチケットを買ってもらって人様の前で演奏する以上はプロって気持ちはあるんですけど実状のプロってそうじゃ無いと思ってるんですね。そういう意味では36歳になる今年で初めて俺はドラムで飯が食えるんです。30歳ちょっとくらいで、それまで勤めてた"スクウェア・エニックス"という会社を辞めてドラム1本に絞ったんですけど、そこからのこの5年間はずっと貯金を切り崩してます。本当にありがたいことに、今年のあんきもの活動のおかげで俺はやっと飯が食えるようになれたんです。だから今年からやっと俺は"プロドラマー"になれたんですよ。あんきもでの活動で、"このやり方じゃなきゃ飯は食えないんだな"っていうのを本当に痛感しましたね。全部自分達でやった方が時代に合ってるし、お客さんも付いて来てくれるし、汚く聞こえるかもだけど身入りも良い。やっぱりそれってすごく大事なことなんで、、。だからやっとなんですよ、、これはこの場でめっちゃ書いて欲しい事なんです。本当に早く言いたかった。

このような厳しい実状は音楽業界では決して珍しい事では無い。

それはFUMIYA氏ほどの知名度と影響力を持ったドラマーでも同じ事で、その実状と自身の抱いていた夢との狭間での苦悩と葛藤がずっとあったとFUMIYA氏は語っていた。

何故、FUMIYA氏はこの場で、ある意味ではプロのミュージシャンを目指す若い世代の夢を壊すような事を言いたかったのか?

それは、その実状をはっきりと伝える事が逆に若い世代の夢を壊さない事に繋がると彼が感じているからだ。

"夢が無い"って言いたいわけじゃなくて、、何だろうな、、変に夢を持ってがっかりしてしまった人間だからこそ、若い子たちに同じ思いをして欲しくないというか。メジャーでも食えないのはショックだったけど同時に"ああ、なるほどな"って思った部分もあって。メジャーだとやっぱり色々な人が関わってて色々なところに情報がいってからこっちに降りてくるから発信のペースがどうしても遅くなるし、やっぱり色々なとこで間引きされてしまうからこっちに入ってくるお金も少ない。やっぱりその実状を知らない子達もいて、レッスンしてる子達でも"ドラムで食べていきたいんです"って言う子達もいて、どのバランスでこういう実状を話せば良いんだろうってたまに悩む時もあって、、。変にその場で実状を話して突き放してもその子の夢が途絶えるだけだし、その一方で夢を見続けて欲しいという気持ちもある。だからこそ、こういう場で実状を言いたかったんです。1対1じゃ無くてインタビューとか1枚隔てた上で伝えた事を見てもらって、客観的に判断してもらうのが一番いいバランスで伝えられるのかなって思ってたんですよ。

決してFUMIYA氏は夢が無いから諦めろという事を言いたいのでは無い。

もちろん、圧倒的な宣伝力や巨力なパイプを持っているメジャーレーベルや事務所に所属していた方が、大きなフェスに優先的に出られたり、タイアップを取りやすいといった実状が多々あるのも事実だ。

しかし、音楽で生計を立てるという事は実はもっと幅広い意味を持っているし、ある意味自分次第でどうとでもなる事だ。

別に何万人もの集客が無くたって良い。自力のみで数百人規模のライブをコンスタントに行い、そこに付いて来てくれるお客さん、グッズを買ってくれるお客さんを増やし、それを工夫して独自で続ける事が出来れば、普通に生活するくらいであったら困らないほどの収入は得る事が出来る。

もちろん、それは簡単なことでは無い。

しかし、自分達でコントロールできない組織に振り回されず、自分たちのやり方と発信の仕方で独自の活動スタイルと独自の収入源を得る事は、今の世の中では十分可能であり、そういう場所を自身で切り開いて行くことが、"プロ"として飯を食っていくという事なのだという事を、FUMIYA氏は下の世代に伝えていきたいとも語っていた。

そのような事が出来るからこそ"プロドラマー"を名乗っていい。

FUMIYA氏の中の"プロ"の概念とはそういう事なのだ。

第8章 FUMIYA氏のフットワーク

ここで一度、閑話休題というか、FUMIYA氏のドラムテクニック的な事に触れてみようと思う。

やはりメタルドラムの醍醐味は大迫力の2バス連打フレーズであろう。

FUMIYA氏は自身のドラムの最大の武器は"フィル"にあると語っていたが、やはり"いつ鳴り止むんだ?!"と思わせられるくらい鳴りっぱなし、踏みっぱなしの怒涛の2バス連打フレーズも、FUMIYA氏のドラムスタイルの特徴の1つである。

やはり自分も同じドラマーであるし、FUMIYA氏に憧れるドラムキッズ達もこの辺の話に興味があると思ったので、今回はFUMIYA氏にフットワークに関する事も聞いてみた。

やっぱりフットワークに関しては脱力しかないかなー。俺は基本ペダルは重く設定してます。スプリングは10割中8割くらい張ってるかな?叩く側が脱力するためにペダルの重さで踏んでもらってる感覚ですね。足全体をストンと落として音が鳴る、それを2時間とかあのテンポで踏み続けるとやっぱり体が疲れてしまうから、足を落とすだけ、親指の母指球の点の所だけで"トンっ"って押すだけでペダルの重さで"バッ!"って動いてくれて、ペダルの重さで跳ね返ってきたリバウンドを拾ってるだけって感覚ですね。基本、いかに人間が省エネして"ペダルが踏んでくれるか"というのを意識して踏んでますね。

これは自分も全く一緒の踏み方だ。

なるべくフットボードと足の裏との接触面積を少なくし、本来のペダルの動きを邪魔しないようにし、いかにリバウンドを拾って踏めるかが2バス連打フレーズの肝となる。

あとフットワークに関連する事で言いたい事が実はあって。"フーミン2バスセットだけどツインペダルなんだ、がっかり"って事を未だにちょいちょい言われるんですけど、それをちょっと正したい。連打数が多い時ってツインペダルの方が音粒良いに決まってるんですよ。それぞれ独立したバスドラムが鳴ってしまうとサスティン(訳注:音の余韻)が鳴りっぱなしだけど、ツインペダルだと同じバスドラムを叩くから1打叩くごとにサスティンは消える。だから綺麗に粒立ち良く聴こえるんです。もちろんそれぞれ独立した2バスを鳴らすと重戦車みたいなステレオ感のあるサウンドは得られるけど、俺はいかんせん連打が長すぎるので(笑)それで2〜3時間踏みっぱなしのセットリストを組まれるからそうなると絶対に独立した2バスだと、どう考えてもサウンド的にうるさいんですよ。それを考えてタイトに聴かせられるようにツインペダルを使ってるんです。ドラマーだったらみんなわかる事(笑)

ドラマーじゃない人がどうなのかはわからないが、これはもうドラマーにとっては常識レベルの話である。

独立した2つのバスドラムで2バスを踏むと、仮に上手く踏めてたとしても、粒立ちがほぼ全く出ないのでトリガーを使用したりしない限り、ちゃんと"上手く"聴こえないのだ。

もっとテンポの遅いヘヴィな2バスフレーズが多いバンドであったら独立した2バスでも問題ないだろうが、FUMIYA氏のプレイスタイルにはどう考えても合わない。

"じゃあワンバスセッティングで良いじゃないか"と思うかもしれないが、バスドラムが2つあった方が当たり前に見栄えがいいし、インパクトがある。

かの日本の名ドラマー、河村カースケ氏も、普段のライブで見栄えが良いからという理由で曲中で使わずとも2バスセッティングにしていた時期があり、レコーディングも2バスセッティングでやっていたらしい。

そして、一発も踏まない事を突っ込まれた際には"これはタムスタンドです"と答えていたという話もある(笑)

2バスとは、ドラマーにとっては意外とそんなものなのである(笑)

またFUMIYA氏は、自身のフットワークはロングセットで2バスを踏み続ける過酷なワンマンライブで育てられたとも語っていた。

やっぱり練習で2時間踏むのとライブで2時間踏むのは全然違うんですよね。人前でパフォーマンスするときのエネルギーの出し方で2時間踏むってなると、その2時間の濃度が違うからロングセットのライブをやる環境の中で鍛えられたというのは大きいですね。もうその環境の中に入ったら踏まざるを得ないというか、もう自分で退路を断つ感じで。やっぱり経験の中でしか見えない世界ってあると思うんですよ。ライブ中ずっと踏んでて股関節に痛みが出てきたら、今度は太もも側を動かすように踏んでみる、太ももが攣ってきたら今度は股関節が生えてる根本から動かしてみる、、みたいに疲労を分散させる意識があるんですけど、それは2時間ライブをやるっていう中で生まれたんです。実戦が練習になっていたみたいな。2時間人前で演るってなるとどれだけ脚攣っても踏まなきゃならないし、本当に脚攣りながらも踏んでた事が何回もあって。そんな中で疲労を分散出来るような踏み方をライブをやりながらスパルタで学んでいったという感じです。

ライブというのは普段の練習よりもどうしても力が入ってしまうし、気持ちの高揚で自分でも気が付かないうちにテンポが上がっているという事も多々ある。

その中で、どうやったら2時間の演奏を、それも過酷なメタルの楽曲を演奏する2時間をどう乗り切るかを実戦で学び、体得していったのがFUMIYA氏のフットワークなのだ。

それは決して練習だけでは得られないものであり、様々な現場を経験し、乗り切っていったFUMIYA氏だからこそ得られた渾身のフットワークなのである。

FUMIYA氏の鬼速フットワークは現場で作られた"本物のフットワーク"であり、テクニック的な踏み方のみに固執していただけでは絶対に得られない説得力がある。

それは、フットワークだけでなく、FUMIYA氏のドラミングそのものにも言えることかもしれない。

第9章 メタルドラマーとは何か?

普通のロック、ポップスのドラムとは違い、その何倍もフィジカル的に大変なのがメタルドラムである。

FUMIYA氏自身も、メタルドラムは普通のドラムとは別世界で、大変な仕事だと話す。

"2バスなんて踏まない方が良いよ"って思うけどな〜(笑)もう大変、メタルドラムって(笑)リハ終わったらパンツぐしょぐしょで着替えなきゃだし、やっぱ機材も多いからリハ後に飯とかも行きずらいし、、。何か、カルマを背負い過ぎてる気がする(笑)でもその分、やり終えた後の達成感とかは段違いだと思いますけどね。

自分はポップスを叩くライブとメタルを叩くライブ、どちらも経験したことがあるが、やはりメタルを叩くライブの方が圧倒的に緊張するし、普通のスタジオリハに臨むのにもある程度の"覚悟"がいる。

メタルドラムのフィジカル的な辛さは他のドラムの比ではないし、"今日身体動くかな?"というような音楽とは違うタイプの不安感が常に付きまとう。

しかし、だからこその喜びや興奮が得られるというのは自分もFUMIYA氏も同じように感じている。

あのライブ中のランナーズハイな感覚というか、、それがあるから俺はメロスピのドラムを辞められないんだろうなって思いますね。2時間とかずっとマラソン状態で突っ走ってるから、"あっ今俺すごい色々なものが分泌されてる"っていうのが手に取るようにわかる。もうここが自分の精神的なもののピークなんだろうなって明らかにスイッチが変わってる時とかは楽しくて仕方ないし、明らかにどこかの感覚がいっちゃってる。もう疲れも全部吹っ飛んで、メンバーがギター弾いてる姿から色々なものが見えたりだとか、メロディが自分の中にブワァーって入ってきて"うわーっ!音になってる!"っていう感覚はこの運動量だからこそ見えてくるんだろうなって。その体験だけはカルマを背負ってる甲斐があると言うか(笑)"あっこれが生きるって事なんだ"って事がライブごとにすごく思えますよね。

激しい音とビートに自分自身が一体となり、目の前の景色が変わるような感覚は自分も経験したことがある。

それはやはりメタルドラム特有の運動量とテンションの持っていき方、そして激しいサウンドに興奮するあの独特な感覚がないと、なかなか得られない稀有なものだ。

ただ"スっ"てドラム叩いてるだけの人じゃ絶対にわからない感覚だと思う。あの命を削ってやっている感じというか、それがわからない人達は本当に不幸だなって思いますよ。あんなにスゴイものはないぞっていう。やっぱり若い子たちにも伝えたいなって思いますね〜。本当に生きる事の全てが詰まってるというか。メタルドラムの唯一の良いところはそこかもしれない。それ以外は全部嫌だ(笑)

フィジカル的に大変だからこそ、そこを乗り越えたときに得られるものが大きいのがメタルドラムというものだ。

これは絶対にそれを経験した者にしかわからない感覚だし、一度経験したら病み付きになるくらい"ハイ"になる体験ができる。

そこの領域に行くまでには多少の時間は要すると思うが、メタルドラムに憧れている若い人達には是非とも挑戦してもらいたい。

きっと今までとは違う、新しい世界が開けるはずだ。

最終章 FUMIYA氏にとっての音楽

FUMIYA氏の活動スタイルは独特だ。

前述の通り、FUMIYA氏は常に色々なバンドを掛け持ちし、自身の可能性を色々な場所で追求したいというスタンスを常に持ち続ける。

俺は"合わせたい人とは音を合わせたい"というか、全人類音楽を演る人とは一度で良いから音を合わせたいぐらいの事を常に思ってるんです。そこで何かが共鳴して化学変化が起こるような場所であったのならば、自分からどんどん突っ込んでいきたいっていうタイプの人間で、基本的には一箇所に止まりたくない人間なんです。自分が本当にどこで輝けるのかってわからないし、誰かと音を合わせることの楽しみがその人数分あったらそれだけ楽しいしって思うんです。だからずっと掛け持ちをやってきていて、1箇所あんきもみたいなホームって思えるバンドに対しても、他のところで起きたエッセンスをプラスの収穫としてそのバンドに持ち帰る事とかも出来ると思うんですよ。

自らの可能性とアーティスト性を信じ、数々のバンドで腕を振るってきたFUMIYA氏だが、側から見ればそれは単なる風来坊と見られる事も多い。それは自分も同じだ。

そんな色々なバンドを掛け持ちするミュージシャンは、時に周りからあまり良くない目で見られる事も多いのだが、FUMIYA氏のスタンスは明確で確固たるものだ。

ファンの人から"そのバンドに集中して欲しい"って声もあるから、やっぱりそういう風に思われてしまうのは仕方のない事なのかなとは思いますけどね。でもバンドっていうのは塊である前に個人個人が別の人間であって、人間性もそれぞれ違う。それが1つに固まってて、いびつだからこそバンドって良いって思うんです。それが同じ人間5人だと良いわけがない。いびつな価値観が1つの方向を見てるからこそ、バンドって素晴らしいんですよね。そこに則って話をすると、自分は"色々な人と合わせたい"って価値観を持ってバンドをやってるんだから、もうそこは受け入れてくれとしか言えない。その代わり、色々なバンドで色々な俺の表情を見せるからって。

FUMIYA氏の"色々な人と音を合わせたい"という価値観は、他のインタビューでも同じように話していて、それだけ彼の中でブレずに根深く心に刻まれている価値観なのだ。

またFUMIYA氏は、音楽というものは人の為に演るものではなく、自分の為に演るものであるという信念を持っている。

自分は"人のため"とか、"人に尽くすため"とかっていう理由で音楽を演った事なんて微塵もなくて、基本的には自分を救う為、自分の内在する色々なものを発散する為だけにしか音楽を演っていないんです。もっと言ってしまうとお客さんの為に音楽を演ってるわけじゃない。基本的に俺は、そのバンドの世界の中で一緒に音を出してるメンバーの為だけにしか音楽を演ってないんですよ。そこで"ブワァー!"って起きてるエネルギー、それの5人なり6人なりのが重なって"ドッカーン!!"ってなってるのを観て、お客さんは楽しんでくれたら良いなって思ってるんです。それでお客さんは、その場に居ればそこに参加する事も出来る。そこでお客さんがどういう反応をするかでバンドの熱量も変わるっていう変化を楽しみたいから、始めから"お客さんのためです"って投げてるわけでは全く無い。バンドってそれで良いじゃないかと思ってるんですよね。そこでバンド側が発散するものだけでお客さんとの関係性は上手く取れるとは思ってて、絶対そこにもニーズはあると思う。個人個人違うお客さんの為に歌詞とか音楽性を投げかけられるわけがないし、それは無理だと思うんです。だったらせめて、バンドが音楽で通じ合っている気持ち良いものをしっかり観せるから、そこにお客さんが付いて来てくれたら良いなって考えてます。

FUMIYA氏にとって音楽とドラムは、自身に内在するものを表現する為の手段であり、それ以上でもそれ以下でもないものなのだ。

"プロミュージシャン"という存在は、人の為に演奏をしてお金を得ると思っている人がいるが、それは少し違う。

プロのミュージシャンは、人の為ではなく、まず"音楽"の為に演奏をしなければならない。自分の演奏でどれだけその楽曲を輝かせられるかを第一に考えて、自身の演奏する楽器に向き合わなくてはならない。

FUMIYA氏というドラマー、アーティストは常にそういう価値観を持って音楽、バンドに接してきたのだと思う。

ここまで、音楽、ドラム、バンドに対し、真っ直ぐでブレない価値観を持ったプレイヤーは本当に稀な存在で、その価値観があの独特かつ魅力的なドラミングに直結しているのだと今自分は確信している。

俺、元々すごい引っ込み思案だったんですよ。ドラムに出会う前は本当に人見知りで、人の顔色をすごい伺うような子だったんですよ。でも今は全くそんな事無いし、本当にメタルが人生救ったっていう典型で。メタルドラムに出会うことによって精神面の全てがプラスになっていったんです。マイナスの部分もすごい大きかったけど、ドラムを叩いてる時はそれが全部プラスに変わるから、結果的に凄い大きいプラスになってるなって。そこを伝えたいですよね。やっぱり自分の人生救われたものは人に伝えていきたいですから。

自身の為だけにドラムを叩き、自身をドラムで救い続ける。

そこで生まれたドラミングが数々のバンドの音楽性を刺激することになり、そこに多くの人達が引き寄せられ、結果的に多くの人達を色々な形で救うことになった。

FUMIYA氏の叩きだすドラミングには、そのような人を動かすパワーが内存されている。

そんなパワーを持ったドラムが叩けるドラマーを、"ドラムヒーロー"と呼ばずに何と呼べば良いのか自分にはわからない。

世間が何を持ってしてミュージシャンを"ヒーロー"と呼ぶのか、、それは知名度なのか?実力なのか?ルックス的"華"なのか?、、それはわからない。

しかし、そんなパワーのあるドラミングが叩き出せるFUMIYA氏は間違いなく"ドラムヒーロー"と呼ぶに値するプレイヤーだ。

それが国内の隅々にまで、例えば彼の生まれ育った弟子屈町まで、そして海を越えて世界中に認知される日が来ると自分は信じている。

そしてそれは、そんなに遠くない未来だろう。

そんな彼のドラミングを、今度は生音を間近で感じられるライブで体感してみたい。

そんな日々がまた当たり前にやって来る事を、自分は信じて待っている。

あとがき

大方の予想通り、かなりの長い記事になってしまった。

別に長ければ良いというわけではないし、もうちょっと短くまとめられたらとも思ってしまうのだが、今回はやはりそれはちょっと無理だった。

FUMIYA氏への取材はもうほぼドラムの熱い話を沢山していただけという感じで(笑)非常に楽しかった。

実はもう少しドラムのテクニック的な事に焦点を当てた記事にしようかとも思っていたのだが、バッチリと激人探訪らしい、ルーツとAttitude的部分に焦点を当てた記事に出来たと思う。

ほぼ毎回そうなのだが、載せたかったが構成の都合でカットしてしまった話も沢山ある。

例えば今回は、周りのドラム仲間達が怪我や病気で引退せざるを得ない状況に追い込まれている事にFUMIYA氏は心を痛めていると語っていたことが印象的であった。

ドラマーという人種は、両手両足を常に動かし続けるが故に、脳の神経に異常が出やすく、ジストニアという病気に苦しめられるドラマー達が年々増え始めている。

脳から身体への神経伝達が上手く行かなくなり、今まで出来た事が突然出来なくなってしまったり、急に身体が動かなくなってしまったりする病気だ。

この病気は精神的な部分での影響も大きく、真面目で勤勉で練習熱心なドラマー程このジストニアになりやすい。

FUMIYA氏は、熱心に練習に打ち込むのも大切だが、"抜く"という事を覚える事がとても大事だと感じると語っていた。

新しいテクニックは身に付けられずとも、ずっと音楽を、ドラムを続けていき、おじいちゃんになってもメロスピを叩き、日本で唯一の50代を超えてもメロスピを叩き続けるドラマーになりたいからこそ、今自分はしっかり息抜きを覚えて、いつまでもドラムが続けられるようにしていると彼は言っていたし、自分も同じように思う。

本編でも語っている通り、現代は凄腕のプレイヤーがゴロゴロいて、それがすぐに可視化される時代だ。

そこで変に"自分何てダメだ"と焦り、必要以上にテクニックを追い求め、自身の身体がおかしくなるまで練習してしまうのは果たして"音楽をより良くする"という観点で正しい事なのだろうか?

本当に必要なことは、若かりし頃のFUMIYA氏のように、"自分に本当に必要なのものは何か?"という事を見極める事だ。

他の要素の事も横目で見て認めつつも、自分の事だけに集中し、自分に演れる事だけを追求していく事が長く音楽を続けるには必要な事なのかもしれない。

実はその方が、他の個性を認め合う柔軟な姿勢にも繋がりやすいのではないかと思う。

こっちの方が巧い、こっちの方が速い、そんなくだらない事に固執せず、他人は他人、俺も良いけどお前も良い、音楽なんてそれで良いのではないかと思う。

昨今は、人の人生に土足で足を踏み入れるような意味のない誹謗中傷が、人の人生を死に追いやる悲しい時代である。

そんな時代の中で純粋にお互いを認め合い、熱くドラムの話をし、3年越しに出会えた事を喜び合うという事がFUMIYA氏と出来たという事が自分は非常に嬉しい。

FUMIYA氏には"俺が叩いていた時の方がカッコいい" という気持ちが、自分には"俺が叩いた方がカッコいい"という気持ちがあるのは当然の事で、そういう気持ちは絶対に忘れてはならない。

しかし、"お前が叩いてるのも同じくらい最高だよ"とお互いに認め合う事はもっと大事だ。

それはお互いが自身の"演るべき事"に本当に向き合っているという事であり、それこそが本当の意味での"自信"というものなのだと思う。

俺、千眼もあんこうもYU-TO君が入って良かったと思ってる、本当に。動画とか観ててもちゃんとYU-TO君のドラムになってるし、プレイもセッティングも変に俺を模してないのも逆にスゴい安心した。

この言葉をFUMIYA氏から掛けてもらった事は、自分にとっては非常に大きな事だ。

別に妙なものを背負っていたという自覚はないが、抱えていた妙な突っ掛かりが取れ、身体が軽くなったような気持ちがある。

どうせ旅行にも海にもプールにも行けない2020年の夏に、いい思い出を1つ作る事ができた。

また是非、FUMIYA氏とは酒を酌み交わし、熱く音楽、ドラムについて語り合いたいと思っている。

"同士"、"仲間"と呼ばせてもらうのはおこがましいが、また1人、今後も良い関係性を築いていけそうなミュージシャンが増えたなと感じた。

今後もドラムも、この激人探訪も、両方頑張って続けていくので暖かく見守って頂けたらと思います。

                                                                2020年 7月27日 YU-TO SUGANO

特別章 要塞ドラムセットの全貌

ここから特別章として、FUMIYA氏のトレードマークである巨大な要塞ドラムセットを深掘りしていこうと思う。

FUMIYA氏が使用しているドラムセットはTAMAのROCK STARシリーズだ。

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メタリックなシルバー色で、光沢感のあるクローム仕上げのデザインが目を引くド派手なドラムセットである。

このセッティングは、FUMIYA氏が猫曼珠でプレイする時のもので、"オクタバン"というパーカッションをタムとしてセッティングしているのが印象的である。


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実質的には3タムということになるセッティングなのだが、タムの位置を少しずらし、2個目のタムがスネアの正面にくるような形にして、タムが左右対称になるようにセッティングしているのも特徴だ。

タムだけではなく、フロアタムの逆側には電子パッドがあったり、小口径シンバルもスタックシンバルを真ん中にしてスプラッシュが2枚あったりと、全ての物が"左右対称"になるようにセッティングされている。

FUMIYA氏の好きだった時代のバンド達は、当時の流行も相まってみんな左右対称のセッティングであったということが影響し、このようなセッティングになっていったとFUMIYA氏は語っていた。

また、FUMIYA氏の自宅にあるV-Drumsも生ドラムの時と同じくらいの環境で練習をしたいという理由から、左右対称のセッティングになっており、生ドラムのセッティングを余裕で凌駕する変態的とも言える程の多点セットとなっている。

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RolandのTD30とTD10という2つの音源モジュールと、TMC6というMIDIコンバーターを全てMIDI OUT THRUでPCに繋ぎ、DAW上で1つ1つのパッドに音を当てはめていって一元化しているという。

こうして見てみるとFUMIYA氏の言う通り、全てのパッドが左右対称で均等にセッティングされており、多点ながらもどこかスッキリした印象がある。

そして、FUMIYA氏の高速ツーバスドラミングを支えているフットペダルはTAMAのSpeed Cobra。

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このSpeed Cobraはロングボード仕様になっていて質量がある為、ペダルの重さを利用して踏むFUMIYA氏にとっては踏みやすいペダルだという。

本章でFUMIYA氏は基本的にはツインペダルを使用して右側のバスドラムしか踏んでいないと発言していたが、実は左のバスドラムも全く使っていないと言うわけではない。

左のバスドラムは右の物よりも大きい24インチサイズになっていて、より深いサウンドが出せることからミュートをあまりせずに、バラード曲などでは敢えてこちらを踏む事が多いようだ。

左利き用のツインペダルを左の24インチバスドラムに取り付け、右足でも左のバスドラムが踏める工夫がされたセッティングである事が写真でわかる。

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足元に多くのペダルをセッティングする為からか、スネアを3脚スタンドではなくラックに連結するような形でセッティングしており、この工夫で足元をスッキリさせているという印象がある。

また、メロディックで華麗なフィルを叩き出すスティックは、TAMAで製作された自身のシグネチャーモデルを使用している。

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材質はヒッコリーで、チップは音量が欲しいという理由からナイロンチップを採用。

以前から気に入っていた他社の5Aスティック(全長:406mm / 太さ:14.6mm)をサンプルにして製作したという。

ショルダーの先が細い物だとすぐに折れてしまうとのことで、スティックの先は通常のものよりも太い仕様になっている。

黒塗りの中に、ドラムセットのカラーと同じシルバー色で施された文字たちが描かれているのが目を引く、洗練されたデザインも印象的だ。

本章を読んでもわかる通り、FUMIYA氏はドラムのセッティングに対して並々ならぬこだわりを持ち続けている。

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FUMIYA氏は地元、北海道にいた頃には夜な夜な自身の部屋でセッティングの研究をしていたとも語っていたのだが、こうして彼のセッティングを見ていくと様々な工夫とアイデアが詰まっていて、とても面白い。

本当は自宅のエレドラセッティングのように、ライド側にもタムを置いたりして更なる進化を追求したいらしいのだが、ライブハウス側の回線の都合で中々実現が難しいとFUMIYA氏は語っていた。

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今のままでも十分強烈だが、これよりもさらに進化したスーパー多点キットがお目にかかれる日が来たら更に面白いことになるだろうなと思っている。

いつか、その光景が見れたら国内のメタルドラムシーンは更に盛り上がっていくだろう。

今後もFUMIYA氏には"スーパー多点メタルドラマー"として、シーンを牽引していってもらいたいものである。

やっぱ2バスって絵になるよなー、、良いなー、、俺も2バスにしようかなー、、

という気持ちが無いわけではないが(笑)自分は引き続き、この半分以下の点数で彼が残してきたプレイを叩いていこうと思っている。

それがある意味、彼のドラムスタイルに対する自分なりのリスペクトの示し方でもある。


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