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どうやら自分はジストニアらしい 〜経緯とか気持ちとか近況とか〜

どうも皆さん、YU-TOです。

9月5日という日を、恐らく自分は一生忘れることはないだろう。

伊達政宗の誕生日であることをたまたま点けていたテレビで知り、15年来の友達の誕生日でもあることもSNSで思い出した日。

そんな9月5日に、先ほどSNS等でご報告させてもらった通り、自分は神経内科で "局所性ジストニア" であるという診断を受けた。

患ったミュージシャンのほとんどが引退するという、現代の医学をもってしても確実な治療法が確立されていない、いわゆる "難病" と呼ばれる類のものだ。

こんな時、普通であれば「頭の中が真っ白になった」とか「ショックで動けなくなった」とか、そんなドラマティックなセリフの1つでも吐いてみたくなるものだけれど、自分が思ったのはただの一言、「ああ、やっぱりな」。

焦り、不安、将来への失望、そういった感情が全くなかったと言ったら嘘になる。

ただ自分はその時、何故だか妙に安堵感にも似た穏やかな気持ちにもなっていた。

やっと倒すべき敵を特定することが出来たとでも言うのか。

今までは怖くて向き合うのを避けてきたことに、ようやく真正面から向き合う覚悟が出来たみたいな、そんな気持ちだ。

今までは得体の知れなかった何かが、具体性を帯びてはっきり見えるようになった安心感と、ここから始まるであろう長い闘いを憂う不安感の両方を抱きながら、病院近くの公園のベンチでただ時が過ぎるのを眺めていた。

まだ夏を引きずった暑さが続く、よく晴れた夕方前の子供達が無邪気に遊ぶ公園。

そんな目の前に広がる平和的な光景と、頭を過ぎる様々な困難の想像との落差が滑稽で、何だか笑えてきてしまった。

1番最初に違和感を感じたのは2019年の夏頃。

まだ世間がコロナ渦に入る前の、"通常営業" をしていた時代。

この時のことは、未だはっきり覚えている。

ライブに向けてのリハーサルでドラムを叩いている時、何故だか急に足が全く動かなくなった。

演奏していた曲は、THOUSAND EYESの "ETERNAL FLAME" 。

イントロ、A・Bメロ、サビと進み、イントロに戻った瞬間、身体がもつれ、足が急にストップし、ペダルを踏んでいる感触が一切なくなった。

「ビーター(※フットペダルに付いてる打面に当てる部分)が外れた!」一瞬そう思ったのだが、ちゃんと2つビーターは付いている。

足に痛みも無く、腰にも違和感はない。

だけど、足が上がらない。
右足は通常通り動いている。
だが両方の足で踏もうとすると、まるで身体が叩き方を忘れてしまったかのように、左足が固まってしまって動かない。

「一体何が起きているんだ!?」と、この時は本当に何が何だかさっぱり分からなかった。

どうやら、比較的遅めのテンポで足全体を使ってバスドラムを連打し続けるセクションになると左足が止まってしまうようで、他曲の同じようなパターンでもほぼ全く歯が立たず、この日はシングルペダルでのプレイに切り替えて事なきを得たのが、頭の中は謎だらけ。

「スクワットをやり過ぎて足がバカになったのか?」

「身体作りをし過ぎて、ドラムに使う筋肉に何か支障が出始めたのか?」

などと色々仮説を立ててみたのだが、正直どれもしっくりこない。

「1日安静にしてみて、それでもダメだったら他のフレーズで代替えして演ろう」と、とりあえず1回気持ちを落ち着かせ、少し様子を見てみることに。

2日後、自宅で叩いてみると問題なくすんなりと叩くことができ、次のスタジオでも問題なく叩くことが出来たから、「何だ、一時的なものか」と安心し、ライブも問題なく終えることが出来たのだけど、考えてみれば、ここから断続的に同じような症状が出るようにはなっていた。

出る箇所は決まって同じような足のフレーズの場所で、遅めなテンポでの足全体を使った連打の時。

妙に足がもつれたり、力が入って止まってしまいそうになったりといったことがライブ中やリハーサル中に見受けられるようになってはいたのだが、そこまで気にするレベルになることはなく、「まあ、何とかなるし」と演奏を続けていたのだが、診察を受けた医師いわく、軽度ではあるにしろ、恐らくこの時からもう発症はしていたとのこと。

局所性ジストニアの発症原因はネットで検索すればいくらでも出てくるので、敢えてここでは詳しく説明しないが、2018年後半〜2019年夏頃までの自分の状況は、その発症原因に大きく当てはまる。

何個もバンドやサポートの仕事を抱え、プライベートでのショックかつ面倒臭い出来事も処理しながら、初めて携わるアーティストの曲を何十曲と覚えたりと(THOUSAND EYESに参加したのもこの時期)、良い意味でも悪い意味でも忙しい、ストレスが溜まりやすい時期だった。

1度発症してもそこまで重症化しなかったのは恐らく、サポートの仕事に関してはほぼ左足を使うようなプレイをしていなかったことと、その翌年のコロナ禍でドラムを叩く機会がそこまで増えなかった為だろう。

もちろん、コロナ禍でもライブはあることにはあったが、ロングセットでのライブをすることはなかったし、レコーディングやプリプロも自宅で行っていたので、そこまで根詰めた練習をすることもなかった。

ただ、"ジストニア" という言葉を世間でよく聞くようになったのはこの時期だ。

"ミュージシャン特有の病気" ってなんだ?と調べてみると、怖いくらいに自分が体験した症状と酷似している。

"なりやすい人" や "なりやすい境遇や練習法" も、見事なくらい自分自身の性格(特に自分では無自覚でも周りから言われる方の性格)や取り組んできた練習法や経験してきた事と当てはまっていて、「これもしかして、、?」と、何となくだがこの時期から疑いの気持ちを密かに抱き始めていた。

だが、臭いものには蓋をしてしまうのが人間の性なのか何なのか、正直この時はまだそこまで気にしていなかったように思う。

巷で聞くほどの症状は無いし、もう前に体験したような症状はそこまで出てきていない。

「まあ、そこまで気にしないで大丈夫だろう」と、話を横耳に挟んでも、何となく気掛かりではありつつも大きく気に留めるようなことはしなかった。

そして2022年に入り、アルバムレコーディングとそれに伴うツアーの準備。

アルバムレコーディングの準備までは、割と順調だった。

確かに、"今考えると" という結果論になってしまうのだけれど、「妙に身体が重いな」と感じることは増えた。

アルバムは久しぶりの完全生ドラムでのレコーディング。

どうせ生で録るならば、1発録りでも問題ないくらいのクオリティに仕上げたい。

むしろ、"そうで無いといけない" とすら思っていた。

こういう自分自身に妙なプレッシャーを掛ける癖があることもジストニアを引き起こしやすい例らしい。

同じ曲を何回も叩き続け、身体に叩き込む練習を毎日行った。

当たり前だが、曲のテンポはBPM210越えが当たり前。1曲を通して同じような2バス連打だって何度も出てくる。

そんなハードな楽曲を、毎日毎日叩き続ける久しぶりの根詰めた練習。

そのお陰か、レコーディングは1日半ほどで全11曲を録り終えた。

流石に1週間ほど叩かない休みを作ったが、そうウカウカもしていられない。

今度はそれをライブでプレイしなければならないし、レコーディングで見つかった自分自身の弱点を克服する必要もある。

そこで行っていた練習は、"左足の強化"。

思い付く限りの、左足強化に効きそうな練習を毎日行った。
日によっては、1時間ほぼノンストップで左足を動かし続けた日もある。

だが、この練習によって変わった感覚など、微々たるものだった。

今考えると、この時に行っていた練習が "強化" ではなく、"悪化" に繋がっていたのではないかと思えて悔しい。

そしてツアー開始まで2ヶ月を切った。

ツアーのためのリハーサルは1ヶ月前から始まるから、その時までに新曲と過去曲のおさらいをして、約20曲を叩き切ることを日常化させていなくてはならない。

ただ、何故だか妙に身体が重い。

何度もこの言葉を使ってしまって申し訳ないのだが、"今思えば" この時から何だか嫌な予感はしていた。

ただ、そうこうしているうちにも時間はどんどん過ぎ去っていく。
叩かないと、ツアーに対応しきれない。

とりあえず、13曲連続で叩く事からスタートし、そこから毎日2曲ずつ増やしていくという方法で練習を行い、身体を慣らしていくことにした。

汗だくになり、曲間のインターバルもほぼ無し。

15曲くらいまでは、割と余裕があり、新曲もレコーディング前にしっかりと準備しただけあって身体に馴染んでいる。

「割とすんなりいけるかもな、、」そんな手応えを感じながら練習に勤しみ、20曲連続練習に挑戦。

流石に久々なだけあって、最後の方は少々グロッキー気味ながらも何とか叩き切れた。特に身体の痛みもない。

「これをしっかり日常化して、ライブに望もう」

そう決心した翌日の練習。

5曲目辺りで、急に足が動かなくなった。

数年前に発症したのと同じようなパートでの2バス連打。
昨日までは問題なく出来ていたことが全く出来ない。

左足に力が入って全く上がらず、身体が言うことを聞かない。

「うわっ、、また出た、、、」

数年前の不安が再び襲う。

1回練習を切り上げて、少し冷静になってみる。
前回は、1日置いたら良くなった。
きっと今回も良くなるはずだ。

そう考え、そう信じ、翌日も練習をした。

叩き始めは好調だった。
しかし、また同じことが起きる。

こんな日が何日も続き、頭の中はパニック状態。

部屋で寝そべり、天井を見つめながら、「何か、夢でも見てる気分だな」と現実と空想のさかえ目が無くなるような気持ちに陥った。

ミュージシャンは本番で歌詞を間違えるとか、声が出なくなるとか、全く曲を覚えていないのにステージに立っているとか、そんな悪夢を頻繁に見ると言う。

自分もそのような類の夢を見たことはあったが、それがまるで現実になったかのような信じられないほどに最悪な状況。

「何かがおかしい、、、」

もうこの時から、もしかしたら自分はジストニアなのではないかと疑い始めていた。

だが、信じたくはない。

図書館に行ってその類の本を全部読み、ネット記事を全て読み、YouTubeに載っている症例も、診てくれそうな病院なども全部チェックした。

だがそれでも、自分がジストニアだなんて信じたくはない。

症例が人によって違うとは言っても、自分の症状はジストニアなんかじゃない。絶対に違う。

だがもうこの時には、ドラムを叩くことが内心怖くなっていた。
ドラムセットを見るのも、人が叩いてる映像を観るのも、嫌で嫌で仕方がない。

でもとりあえず、1度スタジオで個人練習に入ってみることにした。

怖かったけれど、叩いている環境を変えることで、案外よくなることもあるかもしれない。

やはり最初は好調だった。
生ドラムを叩く感触を取り戻しつつ、曲を叩いていく。

しかし、4曲目に入ったところで、強烈な違和感が身体を襲う。
足が上がらず、身体がもつれる。

「結局、ここでも同じか」

明日はバンドのリハ初日。
正直、こんな状態で音合わせなど出来るはずがない。

だが、まだ希望はある。
バンドで合わせたら、まだ何か変わるかもしれない。

そして翌日の全体リハ。

結果は最悪だった。

1曲目からすでに身体に違和感がある。

足全体で踏み込むセクションで、1曲目から左足に力が入り、足が上がらない。

「ああ、もう終わったな」
瞬時にそう思った。

だが、切り替えなければ意味がない。

メンバーに事情を説明し、とにかくその日は、どういうアレンジならば左足が動いてくれるのかを探ってみることにした。

とりあえず分かったことは

断続的な動きや、足首を使う速い連打、1小節単位での短い連打では以前とほぼ変わりないくらいに動くということが分かった。

この時点で、今回のツアーでアルバム通りのプレイをすることは諦めた。

恐らくそこを目指してしまうと、より事態を悪化させることになる。

そして帰り道、とりあえず明日にでも1度病院へ行き、専門医に診てもらうことを決心した。

ジストニアを診てくれる病院はその殆どが紹介状が必要なところで、全くの初診で診てもらえる病院は少なかったのだけど、1か所そこそこ近場でジストニアを診てもらえる神経内科を見つけていたので、翌日そこに行ってみることに。

翌日の午前中に電話をし、予約を入れる。

予約をし終わった時、何故だかボロボロと涙が出てきた。

どんな結果が出たとしても、今まで通りに叩くことは出来ない。

仮に「ジストニアだ」と医者に言われたら、その病気との長い戦いが始まる。

仮に「ジストニアじゃない」と言われたら、この得体の知れない身体の違和感に一生苦しめられることになる。

どちらにせよ、今まで通りにはいかない。
でも、これで必ず"何か"は変わるはず。

そして翌日。
前述の通り、よく晴れたしつこい残暑が残る夏日だった。

「検査してみましたけど、ジストニアとしか考えられないですね」

そうはっきりと、医師に言われた。

「そうか、俺はジストニアを患ったのか」

そう思いながら、公園のベンチでビールを飲んだ。

こんなに味がしない、BrewdogのPUNK IPAを飲んだのは生まれて始めてだった。

医師からは色々な方法を勧められたが、やはりどれも対処療法にしかならないらしい。

薬は2割の人にしか効かず、服用するには脳をしっかりと精密検査する必要があり、リスクが高いとのこと。

とにかく1番は、"月単位で叩かない休みをしっかり取ること" だと言われた。
それが出来ないのならば、練習時間をしっかりとセーブすることだと。

目の前にはツアーが迫っている。

正直、逃げ出したかった。

不謹慎極まりないが、このままどっかで車にでも轢かれて、大怪我して入院にでもなれば良いとも思った。

一世一代の大恥をかくかもしれない。

自分の叩いたアルバムの曲すらまともに叩けない、ゴミドラマーだと思われるかもしれない。

自分のプレイスタイルを批判した連中が、「ほら見たことか!」と一斉に馬鹿にするかもしれない。

そんなことになるのだったら、俺はここで消えて無くなってしまいたい。

どうせ、死ぬことなんか出来ない。
どんな死に方をするにせよ、どうせ直前になったらビビって逃げ出すほどの玉しか自分は持ち合わせてはいない。

だがもし、スイッチ1つで自分の存在も、他人や家族の中にある自分に対する記憶も、全部消してしまえるのならば、自分は躊躇なく押していただろう。

たかがドラムが今まで通り叩けなくなったくらいで、何を言ってるんだって?。

ああ、その通りだ。

多分、楽器を触ったことのない人には、到底理解し得ない感情だろう。

でも、ミュージシャンっていうのは総じてそういう人種なんだよ。

それが金になってるかなってないかなんてことは関係なく、演奏することそのものが、ミュージシャンという人種にとっては"生きる"っていうことそのものなんだ。

例えそれが、左足での表現1つだったとしても、それは長年培ってきた財産を奪われたということだ。

それははっきり言って、ある意味ではこの世から居なくなることよりも辛い。

だから、消えてしまいたい。

そういうスイッチが、今ここにあるのなら、今すぐにでも押してしまいたい。

しかしここは現実世界だ。
そんなB級SF映画じみた機械など、少なくとも自分が生きている世界線には存在していない。

だったら、自分は何をすれば良い?。

正直、答えはまだ見つかってない。

他の医師にセカンドオピニオンをもらうとか、整体だとか、手術だとか、催眠療法だとか、ジストニアを克服するためのコンテンツは、世の中にたくさんある。

だけど、今の自分はそんなことよりも、目の前にあるツアーをどうこなしていくかということしか考えられない。

月並みな言葉だが、やれることをやるしかないんだと、今毎日毎日自分に言い聞かせている。

幸い右足は動くから、出来ることはまだ沢山残っている。

それを使って、今の自分に出来うる最大限のドラムを叩くしかない。

身体の一部分に爆弾を抱えたままでのドラミングは、どうしても余計な力が入ってしまうし、100点満点の完璧なプレイをすることは、少なくとも今回のツアーでは無理だ。

もしかしたら、一生無理なのかもしれない。

でも、それでも今回のツアーを演る意味が自分はあると思っている。

きっと今回のツアーでは、演奏するのに精一杯なプレイしか出来ないだろう。

でも、それが "今のYU-TOのドラミング"だったのならそれで良い。

今回のツアーは、自分はお客さんの為ではなく、自分の為だけに演奏させてもらう。

側から見たら不恰好でも、それが今の自分にできる最大限であったのなら、もうそれで良しとさせてもらうことにする。

それが何かしらの形で、観ている人達の心に響いてくれたら嬉しいのだけど。

とりあえず、今週末の初日仙台、叩き切ります。





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