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SLAYER 最狂のままで

どうも、皆さん、YU-TOです。

最近は次の激人探訪に向けた準備であったり、音楽活動の方のリハーサルがちょこちょこ忙しくなり、あまり記事を更新出来ていなかった。

しかし"そろそろこれについて書いても良いかな"って感じたというのもあるし、次の激人探訪がかなりヘヴィな内容(めちゃくちゃ楽しみでもある)になりそうなので、ウォーミングアップも兼ねて記事を書いてみようと思う。

今回のテーマはずばり、SLAYERである。

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正直、今彼らの事をどういう言葉で表現していいのかわからない自分がいる。

かつては"最狂のヘヴィメタルバンド"と呼んで何の問題もなかったし、今だにそう呼んでも差し支えない事は百も承知だ。

ただ、もう彼らは活動していないし、PANTERAのように絶頂期に突然解散という形でもなかった。

SLAYERに関しては"解散" "活動休止"というよりは"引退"という表現の方が個人的にはしっくりくる。

全盛期と比べて目も当てられないほどバンドの魅力が無くなっていたり、集客面で苦戦していたから引退したという訳では決して無かったとは思う。

でも遅かれ早かれ、そういう事になるという事は本人達が一番良くわかっていたのでは無いだろうかとは感じてしまう。

だからこそ、彼らはあのタイミングで"バンドを終わらせる"という選択肢をしたのではないかと自分は思っている。

彼らが引退について語っているインタビューを読んだわけでは無いし、見かけた事もない。

仮にあったとしても、はっきり言って読む気にもならない。

SLAYERは、自分が一番影響を受けた、自分に生きる指標を与えてくれた、自分が常に目標にしていた"最狂"のバンドだ。それだけは断言できる。

そんなバンドが自分達の引退について語るインタビューなど読みたいわけがない。

いつぞやの、もう興味もないからなんのイベントだったかは忘れたけど、日本のメタルフェスでのTomがオーディエンスに別れを告げる最後のMC。

SNSで動画が出回っていたし、"感動した!"なんて声が上がっていたが、自分は見てられなかったし、"ふざけんな"って思っていた。

こんなのSLAYERじゃない。

最高に狂ってて、最高にワルくて、最高に残虐だからSLAYERが好きなんだよ。

だからお前らもSLAYERが好きなんじゃないのかよ?

SLAYERのライブにこんなお涙頂戴な感動はいらない。

だから本当に行かなくて良かったし、もうSLAYERなんて観たくもない。

これが自分が当時感じた正直な感想だった。今でもそれは変わらない。

でもこれは、彼らに対する自分なりの最大のリスペクトだ。

理解してもらえるかはわからないが、そう自分自身に言い聞かせて彼らを自分の中で"最狂"のまま留めておきたいというような若干身勝手な思いもある。

今更なタイミングだし、少なくともここ日本ではSLAYERが活動をしなくなって結構な歳月が経ってしまったが、やっと自分の中で気持ちもまとまったので今日はSLAYERについて書いてみたいと思う。

興味があったら最後まで読んでみてください。

"まだ俺はこれを聴いちゃいけない"と感じた出会い

SLAYERを初めて聴いた時の事は今だに覚えている。

ただ、METALLICAやPANTERAを初めて聴いた時のような"これだ!"という感触は全くなかった。

むしろ、最初は拒絶反応を起こしたくらいだった。

初めて聴いたSLAYERの音源は図書館から貸りた「DIVINE INTERVENTION」

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中学生当時、自分にとって図書館のCDコーナーでメタルのCDを探す事は最高の楽しみの1つであった。

もちろんそこまで数は無いにしろ、探せば結構マニアックなメタルのCDもあったし、何よりも図書館だったら無料で貸りられるので、自由に使えるお金がない中学生の自分にとっては、図書館のCDコーナーはまさに宝庫だった。

そんな中、よくMETALLICAなどと一緒に"スラッシュメタル四天王"として語られ、一番"過激"とも語られるSLAYERは、より過激な音を欲していた当時の自分にとっては聴いてみたい、理解したいと思わせられるバンドであった。

しかし、最初聴いた時は全く理解が出来なかった。

何をやっているのか判別不可能なドラムのフィルから始まり、ずっと鳴り止まない高速2バスの連打、拍が取れないビート、、、

もう訳がわからない世界がそこに広がっていた。

こんなドラムが人間に叩けるというのか、、信じられない、、

感じたのはそれだけだった。

曲を飛ばし続けて、4曲目のDittoheadに到達した瞬間、もう自分の頭はパニックになり、そっとCDをケースにしまい、そのまま図書館に返してしまった。

ブックレットに写っているメンバーはもうアメリカの殺人鬼みたいだし、歌詞の対訳を読んでも生々しい性的な表現が数多くあり、13歳の子供には刺激が強すぎて読む気にもならなかった。

訳がわからない、、、これはMETALLICAとはレベルが違う、、これは危険過ぎる、、

それが自分がSLAYERを初めて聴いた時に感じた事だった。

予想外のところからきた衝撃

初めてのSLAYERにコテンパンにやられ、"もしかしたら自分は本物のスラッシュメタルを好きになれないかもしれない、、俺はショボい負け犬だ、、"と感じてしまったが(大げさだがメタラーならこの気持ちわかるでしょ?笑)まだまだ自分は諦めなかった。

もう一枚、図書館にあったSLAYERの音源「Undisputed Attitude」を貸りて、"もうこれでダメならSLAYERは諦めよう"と家に帰って聴いてみた。

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"えっ、、、、クソかっこいいじゃんこれ!!!!!"

まさに、体に電流が走る衝撃だった。

パンキッシュなスピード感に、叫び散らかしながもどこかキャッチーなボーカル、1分30秒くらいでスパッと終わる潔い楽曲。

"これがSLAYERか!!!!SLAYERって最高じゃないか!!"

そんな事を思い、新たなカッコいい音との出会いに胸踊っていた幼き頃の自分であったが、まあこれを読んでくれてる皆様なら一斉にツッコミを入れたくなるであろう。

"これ、カバーアルバムだぞ!!"と(笑)

そう、何を隠そうこの「Undisputed Attitude」はVerbal Abuse、G.B.H、Minor Threatなどの往年のパンク、ハードコアバンドのカバー集であり、他のSLAYERのアルバムとは若干毛色が違うアルバムでもある。

当時、割とパンクも好きだった自分にとってはこのアルバムは親しみやすく、正にパンクとスラッシュメタルの融合であるこのアルバムは、この時自分が求めていた音楽にドンピシャにハマってしまったというわけだ。

まあ、後々にカバーという事がわかって愕然とするのだが、これが紛れもない最初のSLAYERへの入り口であった。

この後に一番の名盤と呼ばれる「Reign in Blood」を買って聴き、本格的にSLAYERにハマっていく訳だが、正直この「Undisputed Attitude」を初めて聴いた時ほどの衝撃はなかったような気がする。

もちろん、後になってから最初は拒絶反応を起こした「DIVINE INTERVENTION」も、しっかり普通に聴けるようになったが、やはり最初にSLAYERを好きになれたアルバムはこの「Undisputed Attitude」だったなと今になって感じている。

そして何故か、自分にとってSLAYERは、"一聴して惚れたバンド"ではなく、"惚れたくて惚れたバンド"であったというような印象がある。

"わからないけど好きになりたい!" "この人達を理解出来るようになりたい!"

そんな気持ちを抱かせてくれた最初のバンドがSLAYERだった。

何故かメタルという音楽には、"より過激な音を聴けるようになれれば、周りより一段強くなれる"というような、普通の音楽好きな人からすれば意味不明な"マウント取り"のようなものが聴き始めの頃には割と存在する。

まあ、実にくだらない、若気の至り的なマウント取りなのだが(笑)

それを自分に初めて感じさせてくれたのがSLAYERであり、彼らを好きになる事で何故か知らないけど自分が少し強くなったような錯覚に陥った事を覚えている。

当時の自分にとって、SLAYERにはそういう不思議な魅力があった。

"俺、ここで死ぬのかな"と感じた初めてのSLAYERのライブ

初めて生のSLAYERを体感したのは2001年のBEAST FEASTだった。

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ラインナップを見てもらえばわかると思うが、異常なメンツである。

当時は中学2年生。よくもまあ、こんなところに飛び込んでいけたなと感じてしまう。何を隠そう、これが自分の人生で初めて行ったライブであった。

普通に考えてなかなか狂ってる。

この2001年8月25日の横浜駅は今考えても本当に異様な光景だった。

如何にも血の気の多そうな入れ墨だらけのイカツイ若者がウジャウジャ溢れ、"さあひと暴れしますか"という妙な気迫がそこいらにビシビシ沸き立っているように感じた事を今でも思い出す。

一応、双子の兄&付き添いの父の3人で行ったのだが、正直めちゃくちゃ浮いていた。

駅ではSEPULTURAのTシャツを着たドレッドの兄ちゃんに睨まれ、会場前では恐らく自作であろう出演バンドの旗を持った暴走族風の兄ちゃん数人に絡まれた。

ただ、嫌な絡まれ方ではなく、その時着ていたCANNIBAL CORPSEのTシャツ(下写真)に反応して話しかけてきてくれたのだ。

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基本、メタラーは良い人達である。まあ、恐かったけど(笑)

本格的なヘヴィ系のフェス、しかもこれだけ偏ったメンツでのフェスは日本で初めてだったためか、警備は相当厳重だったように思う。

ステージ最前にいる警備スタッフは全員、如何にもケンカが強そうな腕の太さが自分の3倍くらいある外国人がやっていたし、ヘッドライナー時の最前エリアは混乱を避けるため、抽選で入場できるようなシステムだった。

もう危ないとか怪我するかもとかそういうことは何も考えず"とりあえず前で見たい!"と思い、SLAYERの最前エリアの抽選を引いたのだが、なんと当たってしまった。

"よっしゃ!"と思うと同時に、不安が胸に過った事を覚えている。

"果たして生きて帰れるのか?"

まあ、それでも何とかなるだろうと、SLAYERまでは体力温存するために二階席で色々なバンドを堪能し、最後に"モッシュピット"という、そのまんまの名前で銘打たれていた最前エリアに突入した。

"あっ、、これヤバイかも"と嫌な予感が走った。

周りは屈強すぎるガタイのいい兄ちゃんだらけ、おまけに開演前から"スレイヤぁー!!!"と雄叫びを上げている。

恐い、恐過ぎる。

しかし、ここで怯むわけにはいかない。これから色々な過激なメタルバンドのライブに参加する為にはこのくらいの試練は乗り越えなくてはならない。

人混みをかき分け、前から2列目くらいにスタンバイ。今の時点でとんでもなく熱い、、。

場内暗転と同時に「God Hates Us All」の1曲目のSE、"Darkness of Christ"が流れ出す。

まだアルバム発売前だから誰もこのSEは知らないはずだったが、お客はもはや常軌を逸した盛り上がりで後ろから前方に迫ってきた。

学校内でも身長順で並べば前から数えた方が圧倒的に早いくらいの身長の自分はいとも簡単に押しつぶされ、いきなり前が見えなくなるわ、呼吸が出来なくなるわで軽くパニック状態に。

もはや意識朦朧となっている中、聴こえてくるドラムの"ダダダっ"という3発。

これは!!!Rainning Bloodだ!!!!!!!マズい!!殺される!!!

もう曲が聴けた嬉しさよりも、正直周りのお客の狂い方の方が恐かった。

曲が始まった時のことはもう何も覚えていない。モッシュに巻き込まれ、"あっこのまま死ぬな"と本当に思った。

ちなみにステージ上のメンバーはまだ誰1人として確認出来ていない。

ここで死ぬわけにはいかない!SLAYERのライブでSLAYERを観れずに死ぬとは元も子もねぇ!!

と何とかモッシュが起こってるエリアから抜け出し、ステージを見上げた瞬間だった、、、

Warrrrrr Ensembleeeeee!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

と叫ぶTom Araya。

右にはKerry King、左にはJeff Hanneman、奥には敬愛するPaul Bostaph。

ああ、SLAYERって本当に存在してるんだ、、、、

一目見た時にそう思った。

子供の頃、後楽園ゆうえんちでやってるヒーローショーに連れてってもらった時に感じた、あのテレビの中のヒーローが目の前にいる不思議な感覚、、、

それを100倍強烈にしたような感覚が体中を駆け巡り、完全に脳みそがバグってしまった。

"盛り上がる"とかそういう感覚ではなく、"これって多分、自分の人生で一生忘れられない経験になるんだろうな"と、14歳の自分はその場で感じていたが、本当にそういう経験になったと今でも感じる。

この時のSLAYERのメタルシーンからのリスペクトのされ方と、発売されるニューアルバムへの期待値はとんでもないものだった。

もうこぞって"SLAYERこそ最狂"という言葉が色々な媒体で語られていたような気がする。

そんな脂の乗り切った過激なヘヴィメタルの最前線のバンドを14歳という、"厨二"と揶揄される多感すぎる年齢の時期に目の当たりにし、完全に人生が狂わされてしまったことは言うまでもない(笑)

やはりこの時のライブが、その後の人生で自分が観た全てのSLAYERのライブの中でブッチギリで一番だった。

感じ始めた違和感

そこから、来日する度にSLAYERのライブには足を運んでいた。

ラウドパークなどで来日しても、フェスの方は行かずに必ず単独公演の方に足を運び、フルセットでのライブを堪能した。

毎回毎回安定したライブで、どれも満足感のあるライブであったし、別にガッカリした事はないのだが、確か2015年のライブだっただろうか?この時に単独公演だけは強烈な違和感を感じた覚えがある。

Jeffが亡くなり、Garyが入ってから初めて見るライブで、尊敬するPaul Bostaphがバンドに戻り、2001年に観た時以来となるPaulの生のドラミングをとても楽しみにしていた。

やはり"Disciple" "God Send Death"などの「God Hates Us All」からの楽曲はPaulのドラミングじゃないと成り立たないと観て感じたし、 Tomも首を痛めていたせいで大人しくなってはいたものの、相変わらずの安定したパフォーマンスのクオリティは保たれていた。

しかし、気になったのはオーディエンスの反応の仕方だ。

自分も含めた全てのオーディエンスが、もうお決まりの反応しか出来なくなっていた。

"Are you ready?"と、Tomが言ったら次に何の曲を演るか誰もがわかり、"ウェ〜い!War Ensembleきました〜!"というような反応。

"Dead Skin Mask"前のMCは一緒になってオーディエンスがTomの"セリフ"を言い出す始末で、そして最後の"Angel of Death"が終わったら名残惜しさのかけらもなく、誰もが一斉に出口に向かい出す。

それを観て、自分はまるで"ダチョウ倶楽部のコント"みたいだなと感じてしまった。

もう"熱湯風呂"や"おでん"が出てくれば何をするかわかるし、上島竜兵さんがキレだしたらその後どういう展開になるかは大体の想像は付く。

そんな何か、お決まりの展開とお決まりの構成で進む、すごく滑稽なものに見えてならなかった。

ライブ中盤で挟まれる"懐かしの曲"も、もはやこっちの想像が付く安定志向の楽曲で、Paulが復帰したから"Bitter Peace"や"Killing Fields"を演ってくれないかなという淡い期待は当たり前に打ち砕かれた。

ラストの"Angel Of Death"でのTomの雄叫びと共に、Jeff Hanneman追悼のHeineken(彼が生前好んでたビール)のロゴをモチーフにしたバックドロップが現れる演出も、何か引っ掛かるものがあった。

確かに感動したし、グッときた。胸が熱くなるような思いにもなった。

でも、心のどこかでは"何でAngel Of Deathでこんな普通のお涙頂戴じみた感動をしなきゃいけないんだ?"って思ったのは事実だ。

この曲はアグレッシブで、ヘヴィで、最高に狂ったスピードメタルを代表する曲である事は誰もが認めるだろう。

だからこの曲は、暖かい気持ちで観たり聴いたりする曲ではない。

この曲はBeast Feast 2001の時のように、目をギラギラさせて異様に興奮した血の気の多いオーディエンスが、鬼の形相で暴れ狂う為の曲ではなかったのだろうか?

そんな光景を想像しながら、若かりし頃のJeff Hannemanはこの曲を書いたのではなかったのだろうか?

自分は、この光景を見たJeff Hannemanは何と言うのだろう?と考えてしまった。

"お前ら随分丸くなったな、笑えるぜ"

どうにも、こんな風な皮肉を言う彼を想像してしまう自分がいた。

"もう決してSLAYERは最狂のバンドではない"

そう感じながらも、それを認めたくない自分もいて、すごく複雑な気持ちを抱えながら新木場を後にした事を今だに覚えている。

そこからしばらく経ち、SLAYERは突如"Final Tour"を発表し、事実上の引退宣言を出した。

最狂のままで

この事実上の引退宣言を発表したというニュースを見たとき、自分は何故かとても嬉しかった。

"ああ、もしかしたら本人達も同じ事を感じてくれてたのかもしれないな"と思ったのだ。

もう自分達が本来の意味でのアグレッシブさで勝負出来ないという事が彼ら自身もわかっていて、それを誤魔化してまでSLAYERを続ける必要はないと、彼らは感じたのではないかと直感的に感じた。

今の自分達は昔に演った事をなぞる事しかできず、それはもうどうしようもない事で、本当の意味でアグレッシブな事はもう自分達には出来ないと、彼らも感じていたのではないかと思ってしまった。

まあもちろん、他にも理由は沢山あるのだろうけども。

だから、Final TourのSLAYERを観たいという気持ちは自分には湧かなかった。

単純に単独公演が東京で無かったというのもあるが、どうもちゃんとした気持ちで、14歳のあの時のような気持ちで、SLAYERをもう観れないと思ってしまったからだ。

それだけ2001年に観た、"最狂の現在進行形"であったSLAYERのインパクトが自分の中で強すぎたのだ。

そのインパクトのまま、SLAYERを自分の中で留めておこうと、その引退宣言を境に自分の中で決めてしまった。

それは過去の中に生きるという事で、あまりポジティブな事では無いのかもしれないが、それが自分に払えるSLAYERに対する最大限の敬意だった。

まあしかし、このタイミングで引退を決めてしっかりと最後の仕事をこなし、華々しく散った彼らはまさしく問答無用の"プロフェッショナル"だと思う。

もうとっくに往年の輝きと人気を失っていても活動を続けているベテランバンドもいて、もちろんそういうバンドでもリスペクトする事は出来る。

しかしSLAYERはあっさりと"引退"という道を選んだ。

昔からSLAYERというバンドは自分達に何が求められているかをよく分かっているバンドであった。

何がSLAYERで、何がSLAYERじゃ無いのか、それを自分達自身がよく分かっていて、それを貫き、もう貫けなくなりそうだと思ったら潔く辞める。

当たり前だが、これは誰にでも出来るような事では無い。

まさかこういう終わり方だとは思わなかったが、SLAYERというバンドらしい終わり方だったなと感じる。

でも、自分は今だにSLAYERを聴くし、あのアグレッシブで最狂なSLAYERは自分の中には今だに、そして一生健在だ。

だからこそ、あの時のTom ArayaのMCを生で聞かなくて本当に良かったと思うし、出回った動画など一生観ない。

あれは、自分の中では"フェイクニュース"と同等の扱いだ。紛れもない事実で、現実に起こった事なのかもしれないが、そんな事はどうでもいい。

SLAYERに感謝と感動と涙は必要ない。

SLAYERは狂気と怒号と流血だ。

自分の中のSLAYERは、最狂でアグレッシブで危険な存在のまま自分の中に留めておき、そのSLAYERを自分の一生の指標にしていこうと思っている。

それが自分の、彼らに対する最大限のリスペクトだ。

SLAYER is SLAYER

SLAYER FOREVER

SLAYERは自分の中では一生、最狂のままだ。                                                                                        

                       2020/07/13 YU-TO SUGANO




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