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私的血肉作品 Vol.1 SLAYER 『God Hates Us All』

どうも皆さん、YU-TOです。

音楽を愛する人ならば、人生の価値観を揺るがすくらいの衝撃を与えられた作品がいくつかはあるものだ。

まるで食べ物のように自身の中に取り込まれ、そこから得た養分が血液を通し吸収され、肉体を形作っている感覚すら覚えるほど、自らの音楽観の基礎を作り上げた重要作品。

そんな作品を、自分は "血肉作品" と称していて、決して多くはないものの、そのレベルで自分の中に浸透している作品に、この30年ちょっとの人生の中でいくつか出会うことが出来た。

今回のシリーズでは、そんな自分の "血肉作品" をリリースされた当初(手に入れた当初)の時代背景や初聴時の心境、その作品が血となり肉となった要因を自分なりに咀嚼してまとめて、皆さんにお伝えできればと思っている。

作品に興味があっても無くても、お時間ある方は是非ともお付き合い下さい。

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2001年は、何かと物騒な年だったように思う。

遠い海の向こう、当時の自分にはまだリアルに存在するとは思えなかったニューヨークという街で、飛行機がビルに2台連続で突っ込むという大事件が勃発。

ただでさえリアルな実態が持てない場所で巻き起こった、パニック映画さながらのフィクションみたいな事件の話題が、2001年9月11日の夜のテレビニュースで流れていた。

当時14歳だった自分は、何がどうなってこんな事件が巻き起こったのかをあまり理解せぬままテレビを眺め、その当日に買ったCDを聴き込んでいた。

その作品は、SLAYER『God Hates Us All』

発売日は2001年の9月11日。

「神は俺達の全てを憎んでいる」という物騒なタイトルの作品を、歴史を揺るがす凶悪テロ事件が起きたその日に奇遇にもリリースしてしまうとは、つくづくSLAYERは "持ってる" バンドである 。

その少し前には、SLIPKNOTが『IOWA』をリリースし、「人間なんてクソだぜ!」とこれまた物騒なことを叫び散らかしていたのだから、2001年のエクストリームメタルシーンは世相を反映させたような作品が偶然にも連続で産み落とされる妙な時代となってしまった。

とは言っても、それは「今考えると」という話であり、当時はそんなことが界隈で語られることはなかったと思うし、自分だってそんなことを当時から考えていたわけではない。

ただただ、過去作品を追うことしか出来なかったSLAYERの "新作" が買えたという事実に興奮し、釘が刺さった血塗りの聖書が鎮座する禍々しさを極めたジャケットを表現したかのような暴虐サウンドに酔いしれていただけだった。

世界的凶悪事件が巻き起こった日に手に入れたこの作品を、そこから20年以上経った今でも自分は聴き続けている。

自分にとっての "世界一好きなメタルバンド" であるSLAYER歴代作品の中でも、確実に1番の視聴回数を誇っている作品だろう。

『God Hates Us All』はSLAYERというバンドの歴史の中では、どちらかといえば存在感が希薄な作品として認知されているのではないかと思う。

SLAYERフリークな人とは数多く会ってきているが、1番のフェイバリットとしてこの作品の名を挙げる人は極めて少ない。「えっ?なんで?」と疑問を呈されたことも何度かある。

何故、自分はSLAYERの中でも影が薄い部類に入る『God Hates Us All』という作品に、こんなにも強烈に惹かれてしまったのだろうか?。

正直、音楽性云々よりも、まず "10代前半の多感な時期にリアルタイムでリリースされたから" という要因がかなり大きいと思う。

もちろん、音楽的に非常に完成された作品という面もあるのだけど、前述したように自分は14歳の時にこの作品の発売日を待ち望み、楽しみにしながら当日を迎えて、テレビで凄惨なテロ事件の模様が伝えられている最中にこの作品を初めてCDプレイヤーにセットしていた。

その時に感じていた様々なことは、うっすらとはしていても自分の心の底にしっかりと張り付いていて、恐らく一生剥がれることはないだろう。

ネガティブな物言いだが、"トラウマ" と呼んでも良いくらいに自分の心にしがみ付いていて、離れない。

結局、10代のころに心から好きになったものは、自分の人生に一生ついてまわる。何故だかは分からないけれど、人間というのはそういう構造になっているらしい。

20代や30代になって出会った音楽も、自分の中に栄養として残ってはいるが、何故かどうしても奥には入っていかず、表層に留まる。

どうやら人間の心の奥底にはキャパシティがあるようで、ある一定の量が入ってしまうと他のものを受け付けなくなってしまうようだ。

しかも、そこは入れ替えも再入場も出来ないらしく、1度そこに入ったものは自分の意思とは無縁に一生そこにいて、「これはもう古いからこっちと入れ替えてみようかな」なんてことは通用しない。

『God Hates Us All』は、そのキャパシティの限られた自分の心の奥底の何%かに潜んでいる作品だ。

別に毎日聴くとかそういう訳ではないけれど、たまに引っ張り出して聴くと「うわー、やっぱりこれだなぁ、、、」と唸らさせられる。

そのように未だ自分の心に巣食う『God Hates Us All』という作品だが、音楽的な視点で考察してみても、非常に優れた作品であると聴き返す度に思う。

SLAYERは、 "スラッシュメタルバンド" として世間から認知されているアーティストだ。

しかし、『God Hates Us All』に収録されている音楽を、"スラッシュメタル" という一言だけで形容するのは不可能だと思っている。

"ツタツタ" というドラムの2ビートによる疾走感溢れるビートと、ザクザクと細かく刻まれるギターリフを直線的な曲構成で叩きつける音楽性がスラッシュメタルの特徴だが、よく聴いてみると『God Hates Us All』にはそういった要素はそこまで多くない。

ハードコアやニューメタルを彷彿とさせるストンピーな跳ねたビートの曲も数多くあり、2ビートで疾走する箇所は曲中の数%程度なバランス。

ラップ調のヴォーカルアプローチもそこかしこで聴けて、ヒップホップ顔負けに韻を踏みまくる箇所もあり、それまでのSLAYERのヴォーカルとは少し毛色が違ったパフォーマンスが聴ける。

『God Hates Us All』における制作の総指揮を取っていたのは完全にケリー・キングであり、「自分らしくないパフォーマンスをさせられた部分もあった」というようなことを、後のインタビューでトム・アラヤが語っていたけれど、この作品が発するささくれ立った独特な質感は、そういう部分からもきているのかもしれない。

しかし、SLAYER歴代作品の中でトム・アラヤのヴォーカルパフォーマンスが1番ブチ切れているのは間違いなく『God Hates Us All』だ。

トム.・アラヤ自身は解せない部分もあったのかもしれないが、キャッチーでありながらも暴力性が宿る狂気のスクリームは、彼のキャリアの真骨頂だったのではないかと思っている。

ピッチを限界まで押し上げた、はち切れんばかりの高音シャウトでラップ調のフロウを叫びまくる様は最高にカッコ良い。

特に "New Faith" , "Exile" でのパフォーマンスは、いつ何時聴いても震えがくる。

ミュージシャンの底力というのは、"自分らしいこと" をしている時よりも、その範疇を超えたパフォーマンスをやらなければならなくなった時に出るものだ。

快適に表現できる領域を飛び越えて、未知の領域に挑戦している人間の出すギリギリの表現には、鬼気迫る勢いがある。

『God Hates Us All』でのトム・アラヤの叫びは、ポテンシャルの限界を飛び越えた切羽詰まる狂気の塊だ。

また、『God Hates Us All』の楽曲は "プログレッシブ" とも呼べるくらいに複雑な楽曲も多く、変拍子を用いた一筋縄ではいかないリズム構成が散見されるのも特徴。

特にそれが顕著なのが "War Zone" で、6/4拍子を基調としながらも、5/4拍子を突如挟み込み、流れをぶった斬ってくる展開は非常にスリリング。

6拍子系の楽曲は1小節が長いため、疾走感を出すのが難しい部分があるのだが、小節終わりに巧みに入れてくるブレイクとダンサンブルに跳ねまくるブレイクビーツ的なビートへの展開が、6拍子特有のもっさり感を見事に打ち消している。

"Threshold" で聴けるような複雑な符割りのギターリフも見事で、『God Hates Us All』は単なるスラッシュメタルサウンドとは一線を画す、速さ一辺倒に終始しない多彩なアプローチがそこかしこで光る作品なのだ。

"SLAYER is SLAYER" という言葉が生まれ、SLAYERは時代に左右されて音楽性を変えることのないバンドとして有名だったが、この頃までのSLAYERは、実は "トレンディー" な要素も数多く取り入れていて、1作1作確実に進化していたバンドであったと思う。

2001年といえば、世はニューメタル全盛期。

"ヒップホップ調の跳ねたビートにローチューニングのヘヴィリフとラップ" というバンドが世に蔓延っていた時代だったが、『God Hates Us All』にも、その辺りの音の空気感は多分に含まれている。

アルバム発売直前に来日した "Beast Feast 2001" のメンツを見ても分かるけれど、この時はまだ "メタルコア" などという言葉がなかったような時代。

2001年当時、ニューメタル以外のヘヴィミュージックは売上や動員で見れば下火だったかもしれないし、どのバンドも演奏のクオリティは荒削りだったけれど、ニューメタルをぶち壊し、次のヘヴィミュージックシーンを台頭していきそうな勢いのあるバンドが数多く出始めていて、当時のSLAYERはその中のどのスタイルのバンドからも一心にリスペクトを受けていたという印象があった。

メタル寄りなバンドからも、ハードコア寄りなバンドからも目標とされ、"最狂" という称号を与えられた、勝ち目の無い現行最先端を突っ走るベテランバンド。

自分は当時のSLAYERにそういう印象を持っていたし、あながちこの見方は間違っていなかったと今でも思っている。

そのヘヴィミュージックシーンから浴びせられる羨望の眼差しに応えるかのようなタイミングでリリースされたのが、『God Hates Us All』という作品だった。

その期待の中で、自らのキャリアに驕ることのない攻めまくるエクストリームサウンドを叩きつけてくる姿勢は、まさに帝王の名に相応しい姿だった。

SLAYERのピークは、個人的にはこの2001年が最高潮。

『God Hates Us All』以降のSLAYERは、段々とではあるけれど、当時の自分が感じていた "最狂のSLAYER" では無くなっていった。

詳しいことはこちらの記事に書いているが、"ファイナルツアー" のアナウンスを見た時、特に残念にも思わなかったし、「ああ、やっぱそうなるよな」と腑に落ちる感覚があったくらい、SLAYERの引退をすんなりと自分は受け入れた。

正直、「思い出補正なのかな」と思う時もある。『God Hates Us All』が1番好きなのは。

だが、それでも別に良い。

音楽なんてそんなもので、10代という多感な時期に心にこびりついた音への思い入れは、どんな理論も評論も打ち消すくらい強い。

月に何度かはメタル作品のニューリリースは必ずチェックするようにしているけれど、「これ!」という作品にはなかなか出会えないでいる。

それは昨今のメタル作品に魅力がないわけでは決してなく、自分の中で『God Hates Us All』を超える作品に出会うことが難しくなってきているからなのだと思う。

前述したように、心の中のキャパシティは決まってしまっていて、自分の心のメタルの部分は広い範囲を『God Hates Us All』が占領してしまっているから、他が入ってくる余地がないのだ。

頑張って自分の心の中を入れ替えて、新陳代謝をした方がメタルリスナーとしても、メタルプレイヤーとしても進化ができるのかもしれない。

だが、それは到底無理な話だ。

未だ聴くたびに発見があって、「新しい!」と感じられるメタル作品など、自分にとっては『God Hates Us All』くらいなものなのだ。

むしろ、『God Hates Us All』を聴いて「ダサいな」とか「古いな」とか、ネガティブなことを感じ始めるようになったら、自分はメタルの世界から足を洗おうとすら思っている。

この音をカッコ良く感じられなくなったら、もう自分の中にメタルが好きな気持ちは1mmたりとも残されていないということだから。

そういう、"ここだけは譲らない" という思いが、自分の中にはっきりとある。

メタルを聴くことが減ってきて、時たま「自分は "メタル好き" を自認して良いのだろうか?」と疑問に思うことすらあるが、『God Hates Us All』には未だ奮い立たされ、体を突き動かされている自分が、2023年9月11日になっても確かにいた。

『God Hates Us All』は、自分の "メタル魂最後の砦" です。









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