続・その男、狂猿につき。
当時の事を思い出して書きつつ、これは一つの投稿にしようとすると余りに長くなるなと思ったので分けさせて頂きました。それでは、続きを。
あれだけ燃え上がっていたプロレス熱が突然の燃え尽き。いま思い出してみて何だったのかと考えると単純に「音楽の方にのめり込んだから」かと思うのですが他にも「就職して周りにプロレスの話が出来る人が居なくなったから」と言うのもあったかもしれません。思い出してみたらこの頃はプロレスに関しては過去に録画した試合や購入したビデオばかり観てました。因みにこの頃に昭和の新日、全日、UWFの良さを改めて感じた時期でもありました。
飲んでる場でふとプロレスの話題になると「昔はちょこちょこ観てたんですが最近のは分からんですわぁ」と言う日々が数年過ぎたある日、縁あってドラゴンゲートの試合を観に行く事になりまして。因みにこれが初のプロレス観戦。一番熱上げてた時期はチケット代問題で会場に足を運ばずでした。
ドラゴンゲートならまだ観てた当時から居てる選手も居るし行ってみるかという軽い気持ちでしたが、会場に入ってその雰囲気に圧倒されました。ライヴとは違うあの感じ。そして生で観る試合の興奮!それから頻繁にでは無いですがドラゴンゲートやインディー団体の試合を観に行くようになりました。
そんなある日、嫁さんの友人のお店に飲みに行ったら店内になんと大日本プロレスのポスターが。そして、そこには葛西純が!!!えっ!?何でこんなポスターが!?と思っていたら嫁さんのご友人が葛西さんのファンと。マジか。就職してから約10年、葛西純の名を他人から聞く事が無かった自分の中で何かが燃え上がった瞬間でした。(BURNING SPIRITS by鉄アレイ)
そこから離れていた間の葛西さん情報を猛検索。とりあえずこれは良さそうと思ったDVDを片っ端から購入&YouTubeで試合を観る。ヤバい、あの頃以上に凄いぞ。そしてネットで葛西さんを検索してさらにビックリ。ブログやってるがなとかお子さん居てはるんやとか。グッズめちゃくちゃカッコええがな、バンドTシャツみたいやがなとか。それ以上に自分としては「葛西純 背中」で検索した結果に驚きました。観てなかった間に数々のデスマッチで勝ち上がってきた結果のあの傷だらけの背中。戦いの勲章ですね。痺れましたよ。
そして忘れもしない2014年、夏。初めて葛西さんの試合を生観戦。PAIN LIMIT2014、バッファローとのガラスボードデスマッチ。試合前にTシャツ購入。しかもご本人が売ってる事に驚き。人気選手は出てこないもんなんやろなと言うイメージがあったので。一緒に写真も撮って頂き試合前から既に興奮が最高潮。試合の方はと言うと本当に凄かった。初のデスマッチ観戦がガラスボードデスマッチってのも相当なんやと思いますが生で試合を観た葛西純は言葉に表せない凄さが伝わってきました。因みに会場に僕の友人が来てたのですが、「葛西さんと写真撮るなら試合後!血みどろになった葛西さんのカッコ良さはまた違う!」って言うてたのがよく分かりました。
この日で大きく変わったのは当初「葛西さんの試合観れたらええかな」って気持ちで行ってたけど帰り道には「今のデスマッチファイター昔以上にヤバい奴多いな。追わなくては」と言う気持ちに変わってました。約10年のブランクを経てプロレス好きの中に戻ってまいりましたの瞬間。恥ずかしながら帰ってまいりました。
それからは怒涛の葛西さんとデスマッチ推しの日常に。東京まで初のプロレス観戦遠征。後楽園ホールでのブラッドクリスマス。竹田誠志との四面楚歌ガラスボードデスマッチ。初の後楽園ホールでの葛西さんの試合観戦がが奇しくも初の葛西さんの試合観戦の時と同じガラスボードデスマッチ。試合後には号泣でしたね。プロレス好きで良かったと思った瞬間やった。
この日、試合前に今も続く葛西さんファンの皆様と知り合い、後楽園ホールのレモンサワーの何とも言えない味わいとファイターチキンのチープな美味さに感激。その後は夏と冬に後楽園ホールへデスマッチ観戦旅行が定番となり今に至っております。
プロレスから離れてる期間が無かったらどうなっていたやろうか?とも思う時もありますがこれで良かったのかもしれないと思ってます。離れた時期あったからこそもっと広い視野で楽しめるようになったのかなと思います。
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