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「バランス」にこだわることは無意味

ユーシロです。

「何事もバランスが大事」っていう日本人が多いですけど、誤解してる人がいます。

「仕事とプライベートのバランス」
「食事のバランス」
「勉強と運動のバランス」

どれも、

バランスが取れている人=しっかりしている、優秀

みたいに見る風潮ありますけど、僕は異論を覚えます。

まず言いたいのは、ここ「バランス」と聞いて多くの人の頭に浮かぶのは「50:50」とか、「釣り合った状態」じゃないでしょうか?

成績で言ったら、5段階評価で

国語4、数学5、英語4、理科4、社会4

みたいな人が優秀とされ、

国語5、数学2、英語4、理科2、社会5

みたいな人は、「理系科目に力を入れましょう」的な指導が入る。

普段仕事ばかりしてる人は「ワーカホリック」と揶揄されて、仕事はそこそこに、プライベートも充実させてる人が「バランスのとれた人」とされている。

でも、よく考えたら、

「50:50」とか「半々」=バランスが取れた状態

なんて、誰が決めたのか?

もっと言うなら、本当に「半々」な状態って、「バランスが取れている」と言えるのか?

人体の構造を見てみて欲しい。

僕たちは基本的に「利き手」と「利き足」があるが、日本人の9割は「右利き」です。

「利き手」じゃない方の手で書いたり、箸を持とうとしても、ぎこちなくなる。

これ、「バランス」悪くないと思いませんか?

他にも例を挙げるとすると、地球の海と地面の面積比って、だいたい「7:3」です。

塩の満ち引きで多少前後はあるけど、「6:4」になることはないし、ましてや「5:5」になったら、日本は多分海に沈みます。

さらには、空気中の気体の割合だって、窒素が約78%、酸素が約20%で、残りは二酸化炭素とか、それ以外で、

窒素:それ以外=約「8:2」

の割合になってる。

あと、会社の売り上げは「パレートの法則通り」に、どんな会社も、全体の売り上げの8割は上位2割の社員が、全体の売り上げの2割をそれ以外の8割の社員が出すように自然となるという法則です。

ここでも「8:2」で、つまり「平等」じゃない。

逆に、かつて「全部平等」にしようとした「ソビエト連邦」という国の集合体がありました。

今のロシアですね。

そう、今はロシアになってる通り、ソビエト連邦(ソ連)は崩壊してしまった。

作ったものは、みんな平等に分けよう。
貧富の差のない、平等な理想の国。

を目指した国は、頑張る人がやる気を無くし、怠け者はさらに怠け者になっただけでした。

つまり、こうは言えるのではないでしょうか?

仕事もプライベートのバランスが取れていること自体、そもそも「不自然」じゃないか?

どっちかに「偏っている」方が、よっぽど自然の摂理に合っているんじゃないか?

だとしたら、「趣味に熱中」した人は、「不自然」なのか? オタク、マニアと呼ばれる「偏った人」たちは、実は「自然」なんじゃないか?

なんでもバランス取ろうとしてる人は、僕にはとても窮屈そうに見える。仕事とプライベート、どっちも中途半端だったり、どの教科の成績もそこそこだけど、自分に自信は無かったり。

仕事はそれなり、給料もそれなりだけど、何かつまらなそうな公務員。
別に今の生活に特に不自由してない、けど何かが足りない、退屈な大学生。

みんな「何かに飢えている」ように見えるのは僕だけか?

本当は「偏りたい」んじゃないのか? 時間を忘れて熱中しちゃうような、そんな「刺激」を求めているのではないのか?


「なんでもバランスが大事だよ」
「何事もほどほどが重要」

とバランスを強要してくる「バランスハラスメント(バラハラ)」に屈する必要はない。

自分の「好き」とか「情熱」に正直に生き、嫌いなものには、はっきりと「No」と言う。

その方が、精神的にも楽だし、ストレスないから人にも優しくなれます。

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