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拘束のエンターテインメント

滝沢歌舞伎ファイナル
気がつけば3回ライブビューイングをしていた。

わたしは、浅瀬でチャプチャプしているSnowManのファンである。
箱で推している。一応佐久間担ではあるが、それはわたしが「彼からこのグループを深く知ったから」というのが強い。

いつの間にかバラエティを席巻し、ドラマで当確を表し、パフォーマンスで魅了されていた。九人も覚えられるかよ。とか言っていたが今ではすっかり夫婦でハマっている。

今回初めてライブビューイングという形で滝沢歌舞伎ZEROファイルを見て
「多様なエンターテインメントを打ち込むステージ」はさながらフェスだと感動した。

ジャニーズが好きだというと
「顔のいい若い男が好きなんでしょ?」
と、心無い声を浴びることもある。
が、誰だって顔がいいのは好きだろう。その「いい」の基準が違うだけだ。大人な女優・俳優さんによさを見出す人だって、同年代位のアイドルに見出す人だって。子供がいれば、あなたのお子さんがその「いい」にいることもあるだろう。

どさりと重量を持って降り注ぐ花びらから登場する九人は、美しいじゃないか。

オープニングアクトの美しい佇まいからの九人の歌唱とダンス。色調は同じなのに、個性をたたえた衣装。ライティングから目配せまでもがアイドル。見てくれる人を楽しませたい彼らの熱が見て取れる。
ステージの高さまで使った演出にも感動する。メンバーでアイコンタクトしてくれたり、ライビュのために目線をカメラにくれたり。踊りながら、歌いながら会場とその先に気を遣っているという事実だけで卒倒しそうになる。
かの有名な腹筋太鼓は圧巻だが、その太鼓音も迫力も素晴らしい。冠されている歌舞伎だって、生半可なものではない。動きや表情ひとつをとっても、それは過去にわたしが見たことがある歌舞伎なのだ。ステージで踊るジュニアの皆さま、他のプロプレイヤーの動きだって見逃せない。ステージが変わるたび、顔つきも空気も何もかも変わる。五条大橋ではないが、洪水のように押し寄せてくるんだ、エンターテインメントが!

「幕間などない」
全てがステージだ。

SnowMan以外の performersもとてもエンタメに富んでいる。正直、こう言ったものが見れるだけでもお金を払った甲斐がある。世界のエンタメの事情は知らない。が、演劇であれば演劇、ミュージカルであればミュージカル。それ以外は添え物として扱われるのが舞台だと思っている。(クラシックのコンサートでコントしないでしょ?)
だが、滝沢歌舞伎という舞台はそうではない。もちろん歌舞伎という演目は中心に据えながらも、さまざまな舞台上でのエンターテインメントに溢れている。
フェスに例えたが、フェスよりも門戸と懐が広い。そして全てが全力である。メンバーそれぞれの見せ場があるステージが、殺陣・変面・歌とダンス・さらに視覚効果。もうフルパワーで殴ってくる。フェスのように「気になるところをつまみぐしていたら受動喫煙した」というレベルではない。
悪い言い方をすれば強制的に飲み込まされるのだ。
だが、それは味わって咀嚼して飲み込んで、幸せに変わるのだから。

やはり、拘束されて物を見るというのは大事だと思う。
ライブで声を出してはしゃいだり、サブスクで映画を飛ばしたりしながら見たり。そいういう過ごし方だって否定はしないが
劇場で、その一挙手一投足を食い入るように見させられる時間を、飽きさせず感動させるという時間が大事だし、わたしは好きである。
そして、ステージで繰り広げられる全てが、その拘束に値するしなんならその方法でしか味わえないものだと思う。
余談ではあるが、だからわたしは映画館が好きだ。映画館という環境で強制的に浴びせられる物語と映像。見るものに、他に目移りを許さない時間と空間。そして、そのために作り手が全力を、心血を注ぐものは素敵だ。

歌舞伎の生化粧の時に、やっとメンバーの「話し声」がするのも、本当に巧みな時間配置だと思う。彼らが生きている人間で、その場で思うことがあるということだって伝わる。いや、このステージを考えて作り出した滝沢秀明という怪人に脱帽である。ある意味、3月の東京03フロリックアホリックとも似ている。やはり、世の中には構成力の化け物がいる。

個別の演目の詳細を伝えたところで、わたしの語彙なんぞ、ふわりと消えていくだろう。でも、現地で見た人も、ライブビューイングで見た人も何かを感じて楽しんだだろう。ジャニーズというグループの芸術に対する懐の広さ、そしてチャレンジングな姿勢。


ここで考える。
なら、こういう形式のステージがもっとたくさんあったっていいんじゃないだろうか?
いや、実はきっとあるんだと思っている。お笑いのステージにフリートークが挟まれるように、ライブにバラードがぶち込まれるように、その他にもこういう前例はたくさんあるんだと思う。ただ、それを受け手であるわたしが知らないのが問題なのだ。最近であればとある合唱のコンサートに行った。その中で初めて体験した「合唱劇」という存在。ミュージカルとはまた違うその世界は、発信者たちが受け手を楽しませようとするその姿勢そのものである。

決して、ジャニーズという軍団だけがこれをできる とは思っていない。ただ、ジャニーズという看板や経験値が、多くのことを可能にしている節はあるのかもしれない。
ステージで誰かを喜ばすのは、前に立つ人たちの使命である。
わたしのように独りよがりで、誰かのためではなく自分のために文章を認めるのとは覚悟が違う。いや、お前もその覚悟を持つべきだろう。

なんでもできるように見える人は、その陰ではかり知れない努力をしている。
楽しそうにさらりと読めるNoteであっても、その後ろでは推敲を重ねてクオリティをあげてる人だっているんだ。
文字を読みにわざわざ来る人に「時間を拘束させてまで見る価値がある」と思わせることができるライターには尊敬しかない。

自分はその場所で勝負をしていないのに。
ただ、これは逃げているのかもしれないですね。
なら陰でもがけ、苦しめわたし。ジャニーズの作り出すものに感銘を受けたわたしは、また一つ新たな領域に足を踏み込んだのでしょう。まぁ、浅瀬にいるのは否めません。お前にジャニーズの何がわかると聞かれたら、何もわからないでしょう。ただ、興業の世界に君臨している理由の本の少しだけは回見えたような気がしています。だから、面白いことを知るのはやめられないんだ。

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