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「デザインって何?」 アトラエでデザインを学んだ、入社7年目文系大卒デザイナーのひとりごと

あ…ありのまま
今起こった事を話すぜ!

「アトラエという会社に入社して、未経験でデザイナーになることができたと思ったら、人はデザイナーじゃなくてもデザインをしていた。」

な… 何を言っているのか わからねーと思うが 
おれも 何をされたのか わからなかった…

(出典:ジョジョの奇妙な冒険 27巻 荒木飛呂彦)


............はい。大変失礼しました。
上記がこの記事のめちゃくちゃ雑なサマリーになります。笑

あんまりうまいことは言えてないです。ただ言いたかっただけです。
(ジョジョわからない方はごめんなさい。
ちなみにサムネもポルナレフ立ちです、下手くそですが…。)

自己紹介

2015年3月。早稲田大学英語英文学科を卒業。

その翌月、私はアトラエのデザイナーになりました。

そうです。私の現在の職業、私が学校で勉強してきたこととは、全くもって何の関係もございません。(経緯は今回は割愛します)

今でこそ入社7年目のデザイナーとして、「ビジネス版マッチングアプリ Yenta」というプロダクトのデザインに当たり前のように取り組んでいますが、当時の私にとって、「デザイナー」という道を選ぶことは、正解どころか輪郭さえも見えない未知の世界に踏み出すことでした。

デザイナーって、何なのか?どこからどこまでを「デザイン」と定義するのか?

周りを見ても、イベントに行ってみても、自分と似た境遇で同じことをやっている人にはなかなか出会えませんでした。(今思うと、新卒未経験のデザイナーに新規事業のデザインを任せてくれたアトラエという会社と先輩方の器の大きさは、底が知れないなと感じます。。)

「デザインって何?これで合ってるの?」「わからんけどとにかく前に進むしかない!」

そんな状態で、がむしゃらにYentaというアプリのデザインをする、というのが、私のデザイナー人生のはじまりでした。

現在のYentaのイメージ画像です。 当時の画像を引っ張り出せず…。


デザイナーとしての成長…?

改めて振り返ってみると、自分が「デザイナーとして成長する上でめちゃくちゃ重要な学びだった」と感じているものの中に、ものごとの捉え方やメンタリティに関する学びが含まれます。

デザイナーというキャリアを歩み始めた当初の自分は、デザインといえば「美しいものを作ること」のような捉え方をしていたため、成長するためには技術的なインプットが圧倒的に重要なのかなと考えていましたが、実際にアトラエで「デザイナーとして成長できている」と感じた要因としては、メンタリティに関する学びも大きな比重を占めていました。

例えば... (イメージを持っていただくために、2点ほど紹介します。)


モノ・コトに集中すること(アウトプットと自分自身の分離)

1つ目。

既にデザイナーとして働いていたり、デザインを学ばれている方からすれば当たり前かもしれませんが、入社1年目の頃、デザイン業務にもチームで働くことにも全く慣れていなかった私には、自分が作ったものと自分自身とを切り分けることがうまくできていませんでした。

自分なりに考えて形にしたものに対して集まるフィードバックを、全て自分自身へのフィードバックであるかのように捉えてしまい、ずっと心が疲弊していました。

自分自身が傷つかないためにも「何も言われないものを作らないといけない」というマインドでデザインに取り組んでいる状態だったと思います。

そんな状態からのスタートでしたが、アトラエには、「人の目や感情ではなく、作っているものや、実現しようとしている目標に集中しよう」という文化があります。アトラエで働き、その文化に触れるうちに、様々なフィードバックをいただきながら徐々に自分が作っているデザインと自分自身とを分離して捉えることができるようになっていきました。

「良いものを作る」という目標に集中していれば、その過程で起こる意見の対立も、フィードバックも、全て良いものを作るために皆が意見を出しているに過ぎないということを理解できます。

「自分が作ったものはあくまで議論の叩き台であり、そこからさまざまな視点を取り入れてより良いものにしていくのも、デザインという仕事の中の重要なフェーズである」という感覚を身につけることで、「意見をどんどん貰いたい!」というマインドに切り替わり、スムーズに仕事を進めることができるようになりました。


できないことを認めたうえで、前向きに取り組むこと

2つ目。

よっぽどの超人でない限り、人間どこかに弱点は存在するものですし、やったことのないことをいきなり上手くできる人なんていません。

しかし、そんな当たり前のことを受け入れられない時期がありました。

年次が上がり、後輩ができたばかりの頃、私は「先輩として、できないことを晒してはいけない」という謎の責任感(見栄?)から、バッドループに入った経験があります。

自分が未経験からデザイナーになったということもあって、自分に自信を持てず、防衛本能が全開だった時期です。

「できないことを晒さない」ことを自分に課していると、自己認知が歪んでいきます。

できないことをできると思い込もうとしたり、「これができないと認めてしまったら、自分の存在価値がなくなる」などということを無意識のうちに考えてしまい、周囲に助けを求めることができなくなったり、正しく自分の状況を報告できなかったり、自分一人でタスクを回そうとしてしまうといった状況が起きていました。

これに関しては、アトラエ内に徐々にデザイナーのメンバーが増えていき、様々なメンバーと接するうちに、「この先輩、すごく活躍してるけど、苦手な部分は当然のように苦手って言うんだな」とか、「先輩・後輩に関わらず、わからないことは平気で質問するんだな」とか、「ていうかむしろ、できないって言いながら体当たりしてる人の方がかっこいいな」とか、自分の中の先入観や固定観念を壊していただく経験ができたことで、少しずつ不要な防衛本能を手放すことができたように思っています。

それからは、ありのままの弱い自分を受け入れた上で、できるようになりたいことには素直に挑戦するというスタンスに自分自身も変わっていき、少しずつ怖いものや苦手なものが減り、前に進むことができるようになりました。


上述したようなマインドセットを多少なりとも自分の中にインストールできたと感じた後、自分の中に、「もっといいものが作れるようになった気がする」「以前よりもスムーズに仕事が進められている」「仕事が楽しくて仕方がない」という強い手応えがありました。

作ろうとしているものがいいものになるまで、仲間と協力して要求し合いながら走り続けることさえできれば、ぶっちゃけ、これって結構最強なんじゃないか。と。

もちろん、マインド面だけではなく、技術面を伸ばすこともものすごく大事で、デザインの技術や引き出し、専門知識の深さによって、アウトプットのクオリティは大きく変わると思っています。

一方で、仲間と忌憚なく意見を交わせる状態になっていれば、クオリティについてのフィードバックはもちろん、クオリティを上げるための技術について自分よりも経験のあるメンバーからアドバイスを得ることもできる。

なので、チームの中でデザイナーとして働く上での成長の要素として、メンタリティの比重もとても大きいのではないかと考えるようになりました。


誰もがデザインをしている

話は変わりますが、昨年、「コ・デザイン」という本を読む機会があり、この本を読んだことで、「デザイン」というものの捉え方が、自分なりに非常にクリアになりました。

ですので最後に、1年目の自分への自分なりのアンサーソングとして、このテーマについて少しだけ書いて終わりたいと思います。

本来、デザインは生きていく中で誰でも行っている行為

コ・デザイン 上平崇仁著


この本の中には上のような記述があり、私はその解釈に深い納得感を覚えました。

ご興味があれば詳しくは書籍の方を読んでいただきたいと思いますが、例えば、イヌー族の Tea doll の例。

(イヌー族の写真:Frank G. Speck, Naskapi より)

イヌー族とは、北米最後の遊牧民として、1箇所に定住しない生活を古くから続けている民族だそうです。

住居ごとまとめて長距離を移動する際に、幼い子供も含めて荷物を分担して運ばなければならない掟があるそうで、当時交易によってしか入手できない貴重な嗜好品であった「お茶の葉」を小さな子供に運んでもらうために生み出されたのがこの "Tea doll" なのだそう。

こどもが、雪道の中で大事に抱き抱えて運べるように、自分のものとして決して忘れないように、この人形の中にはお茶の葉が仕込まれているのでした。たしかに、これだと乾物のお茶の葉を保管するのにも良い環境となり、こどもは荷物だと意識せずに自力で抱きかかえて運び、隊列の一員として立派に役割を担うこともできます。

つまり、小さなこどもを内側から力づけ、過酷な旅に貢献できるようにするための一つの仕組みでもあるわけです。

コ・デザイン 上平崇仁著


著者の上平さんは、この人形にデザインの概念を「見た」と語っています。

まず、ここで行われていることは、荷物の制限とお茶の葉の保管の観点から、人形の内部スペースに気づき、そこを有効活用したことです。
つまり「なんらかの困りごとをとらえなおし、より良い解を生み出している(問題の発見と問題の解決)」と解釈できそうです。



しかし、単純に問題をつぶしただけでは、マイナス点がゼロになることはあっても、プラスを生むこと、つまり私たちがなんだか言葉にならない共感を感じることはないはずです。
もし、私たちがこの人形に「小さい子にも相応の役割を持たせ、共同体に貢献できるようにする優しさ」や「極寒の地で足を踏みしめながら自分の意思を持って歩き始める小さなこどものたくましさ」などのストーリーを意識的に感じるのであれば、そこには問題解決だけでは説明のつかない、なんらかの要素が生まれていることは明らかです。
そこで、もう一つの解釈として、デザインすることは、「意味を与えることである」とする見方があります。

コ・デザイン 上平崇仁著


この本を読んでから、人を想いながら「何かを解決しよう」「何かを届けよう・伝えよう」という目的を持ってものごとを真剣に考える時、人は皆デザインという活動をしているのだな、と考えるようになりました。(※個人の思想です)

世の中には様々なデザインの領域がありますが、どんなデザインも、使う人・見る人を意識して作られていることだけは共通しているのかな、と考えると、自分としては上記のような捉え方がとても腑に落ちました。

だから、内面的に成長することで、より自分の周囲の仲間や、使う人のことを考えられるようになっていき、デザイナーとしても成長できるという構図も成り立つのかな、と思ったり。


そうやって「デザイン」というものを捉えると、少しだけ自分の仕事への取り組み方や認識も変わってきました。

私はデザイナーという職種でやらせてもらっていますが、企画や、採用関連の面談など、時と場合によって、一般的には「デザイン」と呼ばないであろう職務を担うことがあります。

そういった内容の仕事で一週間を終えることも稀にあります。
それでも「今週デザインしてないな」とはあまり思わなくなりました。(UI作ってないな、とかは思います。)

社内を見渡してみても、周囲のメンバーと作用し合い、様々な視点を取り入れながら、お客様や株主の方々、身内である社員など様々な関係者のことを想い、魅了しようとしているアトラエのメンバーは全員、日々、めちゃくちゃデザインしているなと感じています。


職種を気にすることなく全員がフラットに意見交換をできるのは、全員が同じ目的を持ち、自分たちのサービスを価値あるものにしてユーザーさんに届けたいと考えているから。

そんなアトラエでデザイナーという役割を担わせてもらっている自分は、アトラエのメンバーと協働的にデザインをしながら、技術や知識などの専門性の部分を磨くことをサボらず、常に成長し続けねば!と身が引き締まる思いです。

と、いい感じのプレッシャーを自分自身に与えたところで、この記事を締め括ろうと思います。

今後も、まだまだ沢山ある自分の弱い部分と戦い続けて、人の心を動かすような「何か」をアトラエで作ることに邁進してまいりたいと思います。


社員総会の様子


長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました!


文末付録: アトラエ × デザイン情報

よろしければご覧ください。


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