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脳出血でぶっ倒れたけど生きてた話

こんにちは。オイケです。初めてnoteを書きます。

ベルフェイス株式会社でセールスとして勤めています。弊社が取り扱う「bellFace」は、電話を用いたオンライン営業ツールです。

5月17日に脳出血で倒れて以降、早いことに1ヶ月が経過しました。えらそうに「ベルフェイスでセールスをやってます」と書いたものの、絶賛入院中のため、しばらくお休みをいただいています。
コロナウイルスが猛威をふるう中、非対面での打ち合わせを可能とするサービスは需要が急増しています。弊社ベルフェイスも例に漏れず、社会的要請は高まっています。
そんな、ちょうど忙しくなってきたな〜という時期の出来事で、会社の仲間はもちろん、家族や何よりお客様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、脳出血の後遺症で身体的障害が残る現在、弊社でセールスとして在籍していることをとても幸運と感じます。
従来であれば、身体障害者が営業職として復職することは困難を極めるでしょう。それを目指すということすら頭に浮かばないかもしれません。でも、在宅勤務により移動時間などを短縮できる、オンラインセールスならその可能性は広がるのです。
まあ私がベルフェイスのオンラインセールスとして復職できるかどうかは、様々な審議の上で判断されることだと思うので、これ以上は触れません。

私自身の容態は落ち着き、急性期から回復期に入りましたので、リハビリの様子を記したいと思います。同じ病気や病状を抱える方々の励みになったり、いじりの的になったり、煽りになればいいなと思い、NOTEを書くことにしました。取り留めもなく書き綴っていきますが、いつかこの散らかった情報を自分で整えたいとおもいます。

全体を通して

突然のことに大変驚きました。救急搬送時は対症療法を受けたのですが、その後の突発性水頭症の発症などもあり、5月は丸々記憶がありません。
あとで確認したところ、水頭症の際はなかなか辛かったようで、周囲にも攻撃的になり、奇声を発したり暴れたりと、およそ人間的ではない言動を続けていたそうです。その際の動画が残っていたのですが、本当に壮絶なものでした。
こんなになった私を支えてくれた家族に心から感謝の意を込めて今回の投稿をいたします。
出血による脳の浮腫みの影響で、頭が晴れないことと、複視っぽくなった目が見えにくいこともあり、誤字脱字や不適切な表現などがあったり、感情的になり急にお涙ちょうだい的なクサいことばかり書いたりすることもありますが、何卒ご容赦のほどお願いいたします。

現状

さて、そんな私についてですが、家族の支えもあり、6月12日には、国内ナンバーワンとの呼び声も高い回復期病棟、初台リハビリテーション病院への転院が決まりました。
長嶋一茂さんも通ったという、業界では超がつくほど有名な場所のようです。(全然知らんかったけど)

病気の内容

AVM(脳動静脈奇形)というものです。

最近では、モデルで俳優の清原翔さんが同じように脳出血の症状がみられ、現在もICUにいるそうです。私も意識を取り戻してからこの話し聞いて驚きました。反応は薄かったと思いますが、とても他人事とは思えず、その夜思い出して泣きました。

脳の細胞というのは非常に繊細で、壊れた細胞は元に戻らないそうです。私も脳出血により左半身の運動機能ならびに感覚機能を失いました。
体幹はばっちり動きますが、マグカップでコーヒーを飲んだり、左手でドライヤーを持ったり、普通に歩いたりすることは今の私にはできないのです。

筋肉はあるけど、それを動かす信号が飛ばない状態です。部屋の中でリモコンを無くして、エアコンをつけられず、探し回れば、汗だくになります。そのような状態です。とても焦りますし、イライラします。そして、イライラすれば汗をかき、熱中症のリスクは増えます。
これが、血圧上昇に伴う危険度に似ているかもしれません。

また、高次脳(考える、話すなど)の一部にも、やはり影響は出ており、現在はまだ頭がボーッとしていたり、昨日食べたものを思い出せなかったり、細かい作業をするにも以前より時間がかかったりします。

私は急性期病棟から、回復期病棟に転院しました。ただし、現在の私は病巣を持ったままです。
今回の脳出血の原因は、脳血管の奇形によるものでした。そして、これの対処はまだ全くできていないのです。
つまり、爆弾を抱えたままということで、いつ再発してもおかしくない状況であるということです。この恐怖に見舞われながら、毎日少しずつ良くなっていく体の様子を楽しんでいる訳です。かなり変態的な状況だなと思います。
よく喜べるな…と自分でも思うわけです。

今後の治療

今後、脳血管の奇形部位を治療していく方針はまだ固まっていません。ひとまずは人間レベルに戻ってから出直して来いということでしょう。
申し遅れましたが、私はここで、かなり酷めの表現をしています。ただ、皆さんにお伝えしておきたいのは、私は一切悲観的にもなっていなければ、未来を諦めた訳でもありません。
搬送されオペを受ける際までは、本当に死んだ方がマシだと感じるほどに辛い毎日だったのです。人間に戻りたいと思うほど、非人間的なおよそ文化的ではない毎日を送っていました。
その際の動画が残っていますが、人様に見せられるような状態ではありません。

あのような酷い状態を任せてしまった家族にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。あの妖怪のような自分には今後一度足りとも戻らない。戻りたくはない。という決心をこめて、私は今回の病状のことを否定しまくります。心は前向きで、かつ同じ病状を抱える方々へも、思いやりと優しさは忘れておりません。ただ、病気と病状が酷く憎いのです。許してください。

初台リハビリテーション病院での毎日

リハビリは1日3時間。短い!余裕!仕事なら午後休みたいなもん!と思っていましたが、キツすぎて筋肉痛で動けないのが今です。頭ではまだまだいける!と思うんです。その時はまだまだ追い込んでほしいと思うし、疲労度どのぐらい?と聞かれても、調子に乗って10段階で4くらいと応えるんです。なのに、夜になるとお手洗いに立てないくらい足がプルプルするんです。要は自分のキャパが分からないんですよ。やる気だけあっても、逆にリスクがあるんですね。理解。

また、身体的なリハビリだけでなく、言語療法という高次能訓練もカリキュラム化されており、毎日脳トレをやってます。

なんと言っても、この、言語療法が一番きつく、やはり私は勉強が苦手なのだと実感しました。
私は幸いなことに一般的に見ればまだまだ若いです。自分ではめちゃくちゃおっさんだと感じます。白髪も増えたし、足も臭いし。

でも、一般的には全然ピチピチなのです。初台リハビリ病院には70〜90歳の高齢患者も少なくありません。本当に大変だと思います。半分認知症のような言動を取るリハビリ患者もいます。体調が優れずに、ごはんを食べられない方もザラにいます。不謹慎にも、ああ、自分は良かった。本当にラッキーだったと思わずにはいられません。

そんな中で、私は何か一つをできるようになるたびに、黄色い歓声に包まれます。すごーい!足動いたね!肩上がったね!迷路を解くのが1分早くなったね!そんなことに、何を喜んでるんだと思う訳です。自分なんて、こんなことできて当然なのだと思う訳です。

今回のことで、どれだけ周りに迷惑や心配をかけたのか、もう一度整理しなければなりません。

私は足首がピクッと動いたくらいで喜んでいてはいけないのだと、自分自身を戒める訳です。

今回のことで、周囲からは抱えきれないほどの優しさをいただきました。今後の私の命では足りないくらいです。

皆さんのお気持ちを考えると、自然と涙が溢れてきます。私はもっとハイスピードで、毎日必ず何か一つをカイゼンしなければならないのです。ただ、ウルトラCは全くありません。

誰と比べるでもなく、自分自身と向き合い、自分の左手を見つめ、動くまで何度も何度も地味なつまらない作業を繰り返すことでしか、元には戻れないのです。

他のことを考えながらでも、歌を歌いながらでもできたあの作業は、今の自分にはもはや超難しいものになってしまいました。

まずは一つのことを完璧に。そしてつぎは時間短縮。その精度を保ちながら、だんだん早く。そして作業と思考を増やす。そして別の課題を同時に考えながら進める。そうでした。今までも、そうやってひとつひとつクリアしてきたのでした。

誰かに助けられながら、時には任せながら、それすらも気づかないまま、私は気づけばそれができるようになっていただけなのです。

それを私は、あたかも自分自身の力でできるかのように勘違いし、周囲に対して強欲になり、思うがままに制御してしまっていた時期もありました。本当に申し訳なく感じます。
ただ、それを考えれば、今回の病気は本当によい機会でした。

ここでは、私の入院生活とリハビリの内容、その結果などを記録していきたいと思います。

と書くつもりだったようです。
いつのまにか話が逸れてしまいました。

このように、こんな簡単な文章を書いているだけでも、あれ、こんなことやってたっけ。この部品はどこに使うつもりだったんだっけなということが多々あるわけです。今の私にとっては大変難しい作業を、何となくでやっていた今までを思うと、本当に人間はすごいなと思うんです。
同時に、普通に生きていられることへの幸せを痛いほど感じるわけです。
忙しいとか、あいつが嫌いだとか、これはやらないとか、そんなことばかりでした。
まあ大変人間的で、むしろ健康だとも思うんですけど。ただ、私は周囲に対しての姿勢を誤っていたと実感しましたし、自覚しました。

やはり話の腰が折れてしまいました。
書いていて、何が言いたいのか分からなくなります。恐らく、今までも同じようなことはありました。自分が一体何を求めて相手と議論しているのか、たまに分からなくなっていました。
今回のリハビリでは、そのような発病前の自分をも改善できるチャンスと考えて前向きに取り組んでいます。

なぜこんなこともできないんだ、クソが、と思うこともありますが、もともとが超サボりでよかったです。今は焦ったところでそこまで結果は変わりません。このように、いつ力を込めれば、どの程度の結果になるのかを捉える力は人一倍強いようです。つまり、今回わたしがなくした感覚というものについても、一部は生きているということです。
私は自分で思っているよりも、はるかに感覚派だったようで、新しいことや苦手っぽいやったことないことをできるようになるまでの時間がめちゃくちゃ短いです。
人並みまでに合わせに行く能力が高いのか、だいたいこのくらいが平均だろうなと思ってそこまでのレベルに合わせに行っているのかは、また別の機会に紐解いていきたいとおもいます。

こうやって、だんだん思考の迷路に入っていきます。もはや、当初何を話していたかは全く忘れました。
これは今回の病気になる前から、だいたいいつもこんな感じなので、皆さんにはご迷惑をおかけしていると思います。そろそろ本題に戻します。

理学療法

歩行訓練や、そのほか下半身の運動が主です。
立ち座りなども含まれており、大きな筋肉を使った運動はこの理学療法に含まれています。
ドSですね!!!と自信を持ってお伝えできる療法士さんが多数います。ちなみに男性陣が多いのですが、イケメン揃いで興奮気味です。

作業療法

主に上半身の、とくに手の運動を集中的に実施します。脚と異なり、肩や肘など、上半身の筋肉と関節は非常に不安定で、かつ細かい筋肉で動かされます。
下半身を動かすよりも、上半身を動かす方が難易度が高いようです。
理学療法と異なり、女性スタッフが多いです。
細かな作業や繊細な動きは、やはり男では無理ということか…と感じます。

言語療法

脳トレです。遂行能力を測る迷路とか、集中力を測る穴埋めとか、そういうのが延々と続きます。運動と異なり、健常者を含めた年齢平均点数が基準となるため、たまに高得点を叩き出すと言葉にならないほどの優越感に浸ることができます。私はこんなになっても、割とマシなほうなのだと思える唯一の瞬間でもあるわけです。

栄養管理

今までだと考えられないくらい厳密な栄養管理を徹底されます。毎週体重測定があり、±1キロ以上だと再測定。それが連続した場合は、翌週から食事内容が見直されます。ちなみに、初台病院の食事はめっちゃくちゃおいしいです。
うますぎて、いつも食堂で食事を食べながら美味い美味いと大声で叫んでいます。日常風景になったのか、もはや他の患者さんもスタッフも、誰も気にしなくなりました。

最後に

入院期間の目安は、3〜4ヶ月の予定です。
その期間中の回復目標は、歩行や基本的な生活動作に関するレベルですが、より高度な運動動作を退院後に目指していくために必要な身体的下地を作ることが、この初台リハビリテーション病院での目的です。
また、復職に向けては、当然ながら他者とのコミュニケーションや会話を通した意思疎通、表情や声色、言葉遣いからあらゆる情報を察知し、議論することなども必要とする合格ラインに含まれます。まあ高次脳障害がないからこのへんは大丈夫かな。と思っているのですが…
これらをクリアし、いつの日か必ず復職を果たし、会社と仲間、家族に報いることを誓います。

明日からも頑張ります!!!!
それではまた!!

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