死に方は生き方



実は今年の6月に実父が亡くなりました。
母が帰宅して部屋を見たら父が倒れていてそのまま帰らぬ人となりました。
あまりにも突然で、人ってこんなに簡単に死んじゃうの?と唖然とすることしかできませんでした。
死因は肺塞栓だろうと言われました。
病院の先生に、父は亡くなる時苦しかったのでしょうか、と聞いたらすぐだったと思います、と言われたことがせめてもの救いでした。苦しまずに亡くなることができてよかった、そう強く思ったのが心に残っています。

自宅で亡くなったということで、病院で死亡診断を受けたあとは警察の捜査が入ります。母は一度自宅に戻り、警察と一緒に現場検証。鍵、通帳、携帯の履歴を写真にとられまるで犯人扱いをされた母。
夕方病院に搬送され、帰宅できたのは明け方でした。

元々パーキンソン病の持病があった父。最近は進行してきて身体を動かすのがしんどそうだったり、呂律がまわらなかったり。体の痛みを訴えていたそうです。
肥満気味で不健康な食生活を送る父。健康に気をつけるよういっても気にもせずスナック菓子やインスタント食品を食べ続けていた。
俺は長生きなんかしなくてもいい。そう言っていました。
母は父にそんなに太っていたら介護しないからね!といつも言っていました。


一昨年、父方の祖父の介護が必要になった時に相当苦しんでいた母を見ていて、父は母に自分の苦しむ姿をみせたくなかったのかもしれない、母に迷惑をかけないように亡くなったのかもしれない、そう思えました。進行していく病気の苦しみから解放されてよかったのかもしれない。
残された人の勝手な解釈なのだけど、そうでも思わないとどんどん気持ちは沈んでいってしまいそうでした。

お通夜、葬儀の手続き、仕事をしていたので会社の手続き、そして遺品の整理、残された母の生活の手続き、やることが多すぎて悲しむことではなく、大変さに怒りをぶつけることで私たち家族は父の死を受け入れていたように思えます。

父の収入をまったく知らなかった母。
退職金もいくらもらっていたかここで初めて知っていました。
父はスマホ3台、タブレット3台を契約し、様々なサブスクにも加入、クレジットカードも何十枚も契約していて、その解約手続きが本当に大変だったのです。
特に母はパソコン、ネットも使えないなら私と弟と必死に手続き。
次から次へとくるクレジットカードの請求。
借金がないだけよかったけど、残されたお金もあまりなく、本当に好きなように生きていたんだなと思いました。

仕事や自分の友人関係の話は一切家族にしなかった父。葬儀には予想以上に沢山の人が来てくれました。コロナ禍のためどこまで呼ぶべきか迷いましたが、声をかけた方が周りの人にも声をかけてくれてきてくださいました。そこには私たち家族の知らない父の姿がありました。ぶっきらぼうな父、まわりの人に嫌われているんじゃないかと思っていた私たち家族は驚きました。
でもコロナ禍での祖父の葬儀、数人の親族だけで見送った時になんかさみしいなとぼやいていたので、沢山の人に見送ってもらえてよかったと思いました。

父が亡くなって半年がたちました。
自分の中で気持ちを吐き出したくて書き綴ってみました。

死に方は生き方。
私は父の姿をみてそう思いました。

そして残された人に迷惑をかけたくない。
自分の持ち物(目に見えるものだけではなく財産やネットのアカウントやパスワードなども)をきちんと整理整頓しなくてはいけないのと同時に家族にきちんと伝えておくことの大切さを身をもって感じました。


父は普段から私と話すことも少なかったのですが、孫である我が子の様子をみて、いつも笑って見守ってくれました。遊びの一つひとつの様子を見ながらうれしそうにしていました。

手続きも落ち着き、今、生きていたら我が子にクリスマスプレゼントのリクエストを聞いたり、二人の遊んでいる様子を見ながらにこにこしていたりしたのかな、と考えたり、父と同世代の人を見かけるとまだまだしたいこといっぱいあっただろうなあと思ってしまいます。

家族をなくすことを経験して、自分の考え方も大きく変わった一年でした。
生きてること、家族と過ごせることって当たり前じゃない。
家族、自分自身を大切に一日一日を過ごしたいと思っています。

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