死を想う2

生と死は隣り合わせ

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、「生と死は隣り合わせ」の話です。

 前回のnoteでは、介護士になった友人と話したことの中から、「死について語ること」について書きました。他にも色々話したことがあったのですが、前回の記事には書き切れなかったので、今日はその中で私の心に残った言葉ついて書きたいと思います。

 「生きるための行動が、そのまま死のリスクに繋がる」
 彼女のこの言葉が、とても印象に残っています。例えば、歩くことが転倒や転落の危険に繋がったり、お風呂に入ることが脱水症状や溺れることの危険に繋がります。私は普段、何も意識しないで歩くし、お風呂にも入りますが、言われてみるとその通りです。外に出て道を歩けば車に轢かれる危険があるし、料理をすれば火事になる危険があります。生きるためにする行為が、死に繋がることがあると考えたことがなかったので、新鮮でした。

 死について考えるとき、私は「いつか未来のこと」を想像します。そして、「未来こういう風になったら嫌だな」とか、「死んだ後こうだったら嫌だな」とか考えたりします。しかし、本当は明日生きている保証はありません。「いつか来る死」と「今すぐ来るかもしれない死」では、捉え方が少し違ってくるような気がします。
 「いつか来る死」を考えるときには、死ぬときの苦しみや、死後どうなるのかが気になって、漠然とした、大きな不安に苛まれます。しかし、「今すぐ来るかもしれない死」について考えるときは、「何かしなきゃ!」という気持ちになります。家族に電話をかけたり、ずっと見ようと思って見ていなかった映画を見たり、ずっと食べたかったものを食べたりします。今すぐ死ぬとしたら、死んだ後のことはもうすぐ分かるので、考えようという気にならないのかもしれません。生きている間に、やり残しのないようにしようという気持ちになります。

 ずっと「やり残しのないように」と思って精一杯生きられたら良いなと思うのですが、実際は、なかなかそうもいきません。もうすぐ死ぬというのは実感がわかないし、老後はどんな感じだろうか、死んだらどうなるんだろうか……と考えることもやめることができません。不安と恐怖は拭えません。
 不安と恐怖が拭えないなりに、ときどき、生と死は隣り合わせであることを意識して、「今、どう生きるか」を考えていけたら良いなと思います。

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